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ゲオルグは手荷物をまとめ、鍵のかかる部屋に放り込んだ。亡くなった司祭が使用していた部屋だろう。部屋の鍵は机の上の分かりやすい場所に置かれていた。亡くなる前に次の神父のために置いておいたのかもしれない。
ゲオルグは亡くなった司祭に祈りを捧げる。
「シモンは、村の宿屋にいると言っていたな」
宿屋の場所は教会への道すがら聞いていた。村に一つしかない宿で酒場もかねているらしい。ゲオルグは皮袋に数枚の銅貨と銀貨を一枚押し込み、静かに鍵をかけた。
村の中心部へと歩いていくと、目的の宿屋はすぐに分かった。窓から明かりがこぼれ、にぎやかな笑い声や器がぶつかる音が通りにまで漏れ聞こえてくる。
ゲオルグは宿屋の門をくぐった。騒いでいた男たちがゲオルグを見るなり、静まり返る。審問官を名乗る黒衣の神父の話は、すでに村中に広まっているようだ。
「おう、ゲオルグ。こっちだ!」
静寂の中、シモンが声を上げ、手を振る。ゲオルグは他の客に一礼し、シモンの待つテーブルへと向かう。
「待ったか?」
「ん、別に待っちゃいねぇよ。この町での商売はとっくに終わってるからな。特にすることもないんで一日ここに入り浸ってる」
シモンはそう言ってエールを飲み干し、ゲラゲラと笑う。
「今日にも村を出られるはずだったんだが、誰かさんのせいでもう何日か足止めさ」
そう言って、シモンは他の客へ視線を送った。
「それに関しての謝罪はできない。主の御心に背くことになるからな」
ゲオルグの言葉に、シモンはやれやれと手を上げる。
「せっかくの再会だ。今日だけは仕事のことを忘れようや。で、何を飲む。ここのエールは最高だぜ」
「そうだな、やはり再会の一杯は……アップルワインではないか?」
ゲオルグはそう言って口角をわずかに上げた。
いたずらっぽい笑みを浮かべるゲオルグに、シモンは虚を突かれた顔をした。そして、眉を下げ、少年の頃と変わらぬ笑みを返す。
「レナ、こっちにアップルワインを二つ」
「はいよ、シモンさんがアップルワインなんて珍しいね」
レナと呼ばれた若い女性が、樽からワインを杯に注ぎ持ってくる。
「シモンさんはこんなんじゃ足りないんじゃない? 神父様も、どうぞ」
レナはシモンにからかうような笑みを浮かべ、二人の前にワインを置いた。
「これは、俺らにとって思い出の飲み物なのさ」
「ああ、それもとびきり、苦い思い出だ」
懐かしいと言った顔でワインを見つめる二人を、レナは交互に見る。
「その話、聞かせてもらってもいいかい? なじみの商人と神父様がどんな関係なのか、ちょいと気になるからさ」
レナはシモンの隣に座る。
「お前、店はいいのかよ?」
「今来てるのは常連ばっかりさ。酒が飲みたきゃ自分で樽から注ぐよ。あ、金をちょろまかしたりしたら、承知しないからね!」
レナは立ち上がり、他の客へと叫んだ。わかってるとばかりに、数名が手を振る。
「ま、おかみさんもなくなったばかりだからね。神父様がいる場所で金をちょろまかすような不届き者はいないと思うけどね」
レナはそう言って、ゲオルグに視線を向けた。シモンは一瞬だけ表情を陰らせたが、ゲオルグの視線に気づくと、顔に笑みを張り付けなおす。
「子供の頃の話だからな、隠すほどのことじゃない。ゲオルグ、話してもいいか?」
「問題ない。ただ、あまり面白い話ではないがね」
シモンとゲオルグは杯を上げ、一気に飲み干す。リンゴの風味とともに流れこんでくる酸味が喉を焼く。シモンもアップルワインを飲むのは久しぶりなのか、故郷を懐かしむ顔で空になった杯を見つめる。
「俺たちの村では収穫祭の後、リンゴを樽詰めにしてアップルワインを作るんだ。樽はいつも鍵のかかる小屋で管理されてて、決まった人間しか入れない」
シモンの言葉にゲオルグが続く。
「だが、その年は違った。例年にないほどの豊作だった。ゆえに普段使っている小屋だけでは樽が入りきらなくなった。仕方なく町はずれにあった古い小屋を使うことになった。鍵の壊れた、あの小屋をな」
シモンはばつの悪そうな顔で頭をかいた。
「当時の俺たちは悪ガキでな。熟成前のアップルワインがすげぇ甘いって噂を聞いて飲んでみたくなった。で、どうにか飲む方法はないかって考えてたら、鍵が壊れた小屋に樽が運ばれたって言うじゃないか。これはチャンスって思っちまった」
ゲオルグも懐かしそうに空になった杯を見つめた。
「二人して小屋に忍び込み、樽からアップルワインを拝借したな。噂に聞いていたほど甘くもなかったが、忍び込んでワインを盗んだということにひどく高揚した自分を覚えている」
ゲオルグは過去の自分の行いを恥じ、胸の前で十字を切る。懺悔の祈りを捧げるゲオルグを尻目に、シモンは自分で杯にエールを注ぎに行く。シモンはゲオルグの前にもエールが注がれた杯を置いた。
「で、しばらくして、俺らのしたことがバレた。見られていないつもりが、いろんな人が夜中に抜け出していく俺たちを見てた。親父たちにどえらく叱られたよ。後から聞いた話によると樽一つがダメになったらしい。よく村を追い出されなかったもんだと思うぜ」
ゲオルグは苦笑を浮かべながら、杯の縁を指でなぞる。
「神父様の口利きがあったのだ。子供のしたことだからと。私たち二人は罰として村の仕事を子供ながらに手伝うことになった。私は教会の仕事を、シモンは粉引きの仕事を」
シモンは杯を上げ、立ち上がる。
「粉引きの仕事を終えた俺は思ったのさ。樽の一つや二つ、村ごと買い取ってやるくらいの大金持ちになってやるってね」
別に話を聞いていたわけでもないだろうに、シモンの宣言を客たちがはやし立てる。ゲオルグはその様子を眺めながら、静かにエールをすすった。
「私は神父様の手伝いをするうちに、教会の仕事の大切さを知った。そして、私も神父様のように人を助けられるような人間になりたいと思い、この道を選んだ」
「言わばアップルワインは俺たち二人の原点だ」
エールの泡で口ひげをつくりながら、シモンが笑う。二人の思い出話を神妙な顔で聞いていたレナはシモンを見て、ため息をついた。
「お友達は夢をかなえて審問官様にまでなったって言うのに、シモンさんはこんな村で何をしてるんだろうね」
レナの言葉に、シモンは表情を固くした。しかし、エールとともに陰りを飲み下す。
「俺の夢は誰もが振り向くほどの大商人だからな。下積みがいるのよ、下積みが。この村で買った糸を元手に鉄を買い、鉄を売った金を元手に香辛料を買い、取引をくりかえて大商人になってくんだよ」
「それ、毎年言ってるよ。まあ大商人になったら、この店ごと買い取ってくれるって話だから、期待せずに待ってるよ」
レナはそう言ってあきれ顔で笑う。他の客たちもやり取りになれているのか、ゲラゲラと笑っていた。ゲオルグがエールを飲み干すのを見て、シモンは数枚の銅貨を机に置いた。
「レナ、俺とこいつに飯を持ってきてくれ。ゲオルグ、俺もお前には負けねぇぜ。今はこれぐらいしか奢れないけどな、いつかゲオルグ司祭を称えた盛大な宴を開いてやるよ」
「ああ、楽しみにしておこう」
ゲオルグはそう言って笑う。シモンは照れ臭そうな表情を浮かべ、鼻をならした。
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