美の魔法

余白

第1話 美の魔法

「美」

それは人間社会において、圧倒的なアドバンテージだ。

努力よりも早く、才能よりも強く、人格よりも先に評価される。

誰もが望み、惹かれ、手にしたいと願う――最も手軽で、最も残酷な力。


井上愛莉(いのうえ あいり)は、生まれたときから可愛かった。


産声を上げた瞬間、助産師は笑顔になり、

「まあ、なんて整った顔なの」と言った。

母親は安堵と誇らしさの入り混じった表情でその言葉を受け取り、

父親は「将来はモデルかな」などと冗談めかして笑った。


誰も悪気はなかった。

むしろ祝福だった。


「可愛らしい子ね」

「目が大きいわ」

「この顔なら、将来は芸能人かしら」


それらの言葉は、愛莉にとって最初の魔法だった。



保育園でも、小学校でも、中学校でも。

愛莉は無敵だった。


何もしなくても人は集まり、

少し微笑めば空気が柔らぐ。

先生は無意識に優しくなり、

同級生は彼女の機嫌を気にした。


怒られても、泣けば許された。

失敗しても、「仕方ないよね」と笑ってもらえた。


愛莉自身は、それを特別だとは思っていなかった。

世界は最初から、こういうものだと信じていた。


街を歩けば、視線を感じる。

すれ違った人が一瞬、振り返る。

ショーウィンドウに映る自分の姿を見て、

「あ、やっぱり可愛いな」と、何の疑問もなく思う。


彼女の「美」は引力だった。

意識しなくても、人を引き寄せる力。


そして同時に、

彼女から何かを奪っていく力でもあったことを、

その頃の愛莉はまだ知らない。



高校に入る頃、世界は少しだけ変わり始めた。


「可愛い子」は、珍しくなくなった。

SNSには、愛莉よりも整った顔が溢れていた。

加工された写真、完璧な角度、完璧な光。


それでも、愛莉はまだ“選ばれる側”だった。

スカウトの名刺がバッグに増え、

「一度だけでも」と誘われる場所が増えた。


初めての撮影。

初めてのプロのメイク。

初めて言われた言葉。


「この鼻、少しだけ整えたら完璧だね」


その言葉は、優しく、軽く、

冗談のように放たれた。


でも愛莉の胸の奥で、

何かが小さく、確かにひび割れた。


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