第15話 逆転配信・好感度の反転劇

 夜の帳が降りた都市は、光の海のように静かだった。

 再構築された街並みはどこも美しく整っているのに、人の気配は薄い。

 ホテルを出てから、俺は一人で歩き続けていた。

 通りの巨大モニターは相変わらず俺の映像を映し出し、そしてもう一つの映像――咲良の顔も。


『皆さん聞いてください! レンは敵じゃない! Rewriteは私たちを守るための力なんです!』


 その映像が何度も繰り返され、群衆が足を止めて画面を見上げていた。

 誰かがつぶやく。

「でも、御影を消したのは事実だろ」

「いや、助けようとしただけだ。結果が狂ったんだ」

「真実はどこにある?」


 声が交錯し、Rewriteに触発された光粒が空に漂う。

 感情がそのままエネルギーに変換されている。

 人々の思考一つで、世界が形を変える――そんな狂った現実を、俺は自分の手で作ってしまった。


 と、そのとき。耳元の通信端末が震えた。

 立花冴希からの通信だ。

「レン、聞こえる? 緊急だ。今、世界規模でRewriteを“制御できる唯一の方法”が見つかった」

「具体的に」

「“世論演算逆位相”。あなたに向けられる感情指数を、人工的に反転させる。つまり、人々の意識を一斉に“好感”に書き換えるの」

「……洗脳ってことか」

「違う。Rewriteが人々の心を数値化して影響を受けているなら、数値そのものを調整すればいいだけ。あなたの力の暴走を抑制できる。

 そのためには――公的な“生配信”を行う必要がある」

「……生配信?」

「ミレイが提案した。あなたの発言を全世界に同時送信し、Rewriteの影響範囲を“制御した状態で固定”する。成功すれば世界は安定する、失敗すれば……」

「俺自身が神になる、か」

 立花の沈黙が答えだった。


*****


 翌日。

 旧都心のテレビ局跡地に、巨大な光の塔が立てられた。

 Rewriteのネットワーク回路を中継し、世界同時送信を可能にする装置――通称「ルミナスゲート」。

 塔の頂上で、俺は調整を続ける冴希と葵に囲まれていた。

 番組演出を担当するのは皮肉にも朝倉ミレイ。

 黒のスーツ姿で涼しい顔をしている。


「いい? ちゃんと笑うのよ、レン。恐怖を見せたらRewriteが共鳴するわ」

「……まるで舞台芸人だな」

「そうよ。あなたは今日、“世界に愛される役”を演じるの」


 ミレイは薄い笑みを浮かべた。

 立花が小声で言う。

「気をつけて。彼女の狙いはRewriteを“安定”させることじゃない。完全に“固定”するつもりよ。あなたがRewriteそのものになる」

「それでも、今はやるしかない。崩壊の歯車を止めるには、Rewriteを一度受け入れるしかない」


 白い風が吹き抜けた。

 空には雲一つなく、巨大スクリーンに“全世界同時生配信”の文字が踊る。

 カウントダウンが始まった。


 10――。

 人々の息が止まり、

 5――。

 Rewriteの波動が鼓動のように街を揺らす。

 0――。


 カメラの赤ランプが点いた。

 全世界が俺の映像を見つめている。

 立花の声が通信で囁く。

『今よ、レン。あなたの言葉にRewriteを流し込むの』


「……俺の名前は篠宮レン。

 Rewriteを作ったのは俺じゃない。けれど、使ってしまったのは――俺だ。

 世界を壊した罪は逃げられない。それでも、人は“やり直す”ことができる。

 Rewriteは、忘れる力じゃない。

 ――もう一度、誰かを信じる力なんだ」


 言葉が光と混じり合い、塔の上空に網のような模様を描く。

 都市の上空を覆っていた灰色の雲が音もなく裂け、青い空が広がった。

 Rewriteが反転した。


【Rewrite:感情指数逆位相 起動】


 目に見えない風が吹き抜ける。

 都市を包んでいた怒りと憎しみが、少しずつ“安堵”へと変わっていく。

 人々の呟きが静まり、代わりに祈るような声があちこちから上がる。


「……救世主だ」

「俺たちは間違ってた」

「レンが、世界を戻したんだ」


 立花の歓声が通信越しに聞こえた。

「成功よ! Rewriteの暴走エネルギーが安定していく!」

 膝から力が抜け、俺は塔の支柱に背を預けた。

 空を見上げると、Rewriteの残光が白い鳥のように散っていく。


 ――これで、ようやく終わる。


 そう思った瞬間だった。

 塔の下の観測デッキで、異常警報が鳴り響いた。

 ミレイの声が響く。

「安定化率が……上がりすぎてる!? 誰かがRewriteの出力を上げてるわ!」

 視界の端に、街の光が再び蠢き出す。

 立花が叫ぶ。

「ミレイ! 何をしたの!」

「世界を“再定義”するだけよ。人の感情なんて曖昧すぎる。Rewriteで“永遠の秩序”を作り出す!」


 塔の基部が光の奔流に包まれ、周囲の建物が蒸発する。

 俺は反射的にRewriteを起動した。


【Rewrite:緊急制御モード】


 力の波同士がぶつかり、空間が震える。

 永遠の秩序――そんなもの、ただの支配だ。

 Rewriteは希望でも奇跡でもない。

 自由を奪えば、それはただの牢獄になる。


「やめろミレイ! それを続ければ世界は固まるだけだ!」

「それが望みよ。永遠に悲しまない世界なんて、悪くないと思わない?」


 ミレイの背後、光の渦が形を変え、“もう一人の俺”の姿を作り出した。

 Rewriteの投影体。

 それは俺の姿を模しながら、静かに微笑んでいる。


「人々の心はお前に惹かれてる。ならば本物はいらない。

 “概念としての篠宮レン”だけがいればいい」


 あの影が腕を上げる。Rewriteの紋章が夜空に浮かび、数千の光が一斉に弾けた。

 逆転配信によって集められた好感度が、そのまま俺の“偽像”の燃料となっている。


 俺は胸に手を当て、静かに囁く。

「Rewrite、本来のコードを呼び戻せ――」


【Rewrite原点復帰:本人権限認証中】


 視界が一瞬で反転し、風が舞う。

 偽りの“俺”が放つ光が、俺の身体へと逆流していく。

 痛みはなかった。

 ただ、現実と幻想の境界が曖昧になり、世界がゆっくりと重なっていく。

 すべての音が遠のく中、立花の声が聞こえた。


「レン! まだ終わらせないで! あなたが消えたらRewriteは――」

 俺は微笑んで答えた。

「もう一度、やり直すために力を使うんだ。俺がいなくても、世界は選べる」


 光が弾け、塔そのものが崩れ落ちた。

 Rewriteの波が都市全体を包み、すべてのディスプレイが白く沈黙する。


 その夜――世界のネットワーク上から「篠宮レン」という名前が一斉に消えた。

 しかし翌朝、誰もが一枚の映像を見たという。

 青い空の下、かつての廃墟に立つ一人の少年が、確かに笑っていた、と。


 人気は好感度として反転し、Rewriteの負の循環は静かに閉じた。

 それでも、世界はまだ彼の名をどこかで囁き続けている。

 レンと呼ばれたその男が――最後に、何を“書き換えた”のかを。

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