第6話 禁忌のコード「Rewrite」起動

 訓練室での暴走事件から三日後。

 俺は再び学校へ戻ってきていた。

 幸いにも事故の記録は「設備の誤作動」という名目で処理され、立花が管理局にうまく報告をまとめたらしい。

 だが、教師たちの視線には明らかに警戒が混じっていた。

 異能者の世界で“何かを隠している”というのは、それだけで危険視される理由になる。


「よっ、篠宮。今日こそまともに授業出られるのか?」

 教室の扉を開けるなり、御影聖人の声が響いた。

 いつもよりは落ち着いた表情をしているが、眼の奥にはまだ敵意が残っている。

 彼の後ろには取り巻き数名。

 俺は無言で通り過ぎようとしたが、肩を掴まれた。


「無能が調子に乗んな。模擬戦でちょっと勝ったぐらいで、俺に勝てると思うなよ」

「勝ったのは事実だが?」

 静かに言い返す。

 教室が一瞬、凍りついた。

 御影が顔を歪める。

「言ってくれるな……。いいぜ、もう一度試してみるか?」

「どこで?」

「昼休み、裏庭の訓練エリア。逃げんなよ」


 そのまま彼は笑いながら出て行った。

 取り巻きたちは面白がって囁き合う。

 俺は小さく息をついた。

 ――やれやれ、また面倒なことになった。


 咲良が心配そうに近寄ってきた。

「本当に行くつもり? 御影くん、本気だよ」

「止めても無駄だろ。どうせやらなきゃ終わらない」

「でも……前みたいに抑えられるの?」

 咲良の言葉に、一瞬だけ胸がざわつく。

 Rewriteの力は確かに絶大だ。

 しかし、使い方一つで世界の法則すら書き換える。

 ちょっとした感情の揺らぎで暴走する可能性もある。


「……わからない。でも試す価値はある」

 そう言うと、咲良は悲しげに目を伏せた。

「レン、お願いだから……忘れないで。力は人を守るために使うものだよ」

「ああ、わかってる」


 心配そうな顔を残して咲良は席に戻った。

 俺は窓の外を見た。

 雲の切れ間から差す光が、どこか冷たく感じられた。


*****


 昼休み。

 裏庭の訓練エリアにはすでに人だかりができていた。

 噂の広がりは早い。

 「無能とトップの再戦」――その見出しだけで十分見世物になる。

 咲良も遠くの柵のそばにいた。

 視線を合わせると、彼女は小さく首を振った。


「準備はいいか、篠宮」

 御影が黒いコートを翻し、周囲に重力波を走らせる。

 地面が沈み、砂が浮遊する。

 尋常ではない圧力だ。

 俺は一歩前に出て、深く息を吸った。


「始め!」

 見物人たちの声が響くと同時に、御影の攻撃が来た。

 足元から重力の陣が展開し、俺の体が引きずり込まれる。

 即座にRewriteが反応する。


【Rewrite: 重力パターン反転】


 空間が震え、俺の足が地面から離れる。

 反転した重力波が御影の方へ跳ね返り、彼の身体を押し潰した。

 鈍い音。

 砂煙が上がり、周囲からどよめきが起こる。


「な、なんだ今の……!」

「御影の能力が……逆流した?」


 御影はすぐに立ち上がったが、表情が歪んでいる。

 額から流れる汗が乱反射する光を帯びて見えた。

「ハッ、相殺だけじゃなく、“改変”か……! 面白ぇ!」


 彼の瞳孔が収縮する。

 次の瞬間、彼は全力で重力球を展開した。

 見たことのない密度だ。

 地形が歪み、鉄柵がきしむ。

 観客たちが悲鳴を上げて逃げ出す。


「御影、やめろ! それ以上やったら施設が崩れる!」

「黙れぇぇぇっ!」


 俺は胸の奥に集中した。

 Rewriteの光が青白く脈打つ。

 しかし、その力を使うたびに頭痛が走る。

 限界が近い。

 暴走の記憶が脳裏をよぎる。


「……なら、賭けるしかねぇ!」


【Rewrite: 時空演算領域再定義】


 目の前の空気が歪んだ。

 重力球が膨張していくその中心に、俺のRewriteが侵食していく。

 力がぶつかり合い、眩い閃光が走った。

 音が消え、風が止み、時間が引き延ばされたように感じる。


 気がつくと、俺は御影の目の前に立っていた。

 彼の重力球は完全に消えていた。

 両膝をついた彼の肩にそっと手を置く。


「終わりだよ、御影」

「……バケモノめ」

 その声とともに御影の意識が途切れた。


 群衆が凍りつく。

 誰も声を出さない。

 息の音すら聞こえるほどの静寂だった。


*****


 放課後。

 学園全体がざわつき、俺の名前が至るところで囁かれていた。

 “篠宮レンが御影聖人を瞬殺”“能力不明のRewrite型異能”――。

 どれも中途半端な憶測ばかりだ。

 だが、それで十分だった。

 笑われることも、侮られることも、もうない。


 校門を出ようとしたとき、背後から声がかかった。

 咲良だった。

 彼女の表情は笑っていなかった。


「レン……どうしてあんな力の使い方をしたの?」

「必要だったからだ」

「御影くん、重傷なんだよ。今も保健棟で意識が戻らないって」

 沈黙。

 自分でも、何かを踏み越えた気がしていた。

 Rewriteは、使うほどに感情を鈍らせる。

 先ほどの戦いでも、恐怖も躊躇も感じなかった。


「……抑えたさ。殺すつもりじゃなかった」

「でも、もう普通には戻れないよ。レンが怖い、みんなそう思ってる」

「構わない。どう見られようが、俺はもう無力じゃない」


 咲良の手が小さく震えた。

 それでも一歩、俺のほうに近づいた。

「ねえ、覚えてる? 小さい頃、二人で約束したよね。

 “どんな力を持っても、人を助けられる人間でいよう”って」

「……そうだったな」

「それを信じてる。だから、もう一度だけ言う。

 この力に飲まれないで。Rewriteに“人間”を取られないで」


 その言葉に、胸の奥が熱くなった。

 彼女の声だけが、暴走しかけたRewriteを抑え込んでくれる気がする。


「ありがとう、咲良。俺、少し冷静になれた」

「よかった……」

 ほっとした笑顔を見た瞬間、俺はふと彼女の腕を掴んだ。

「もし俺が……自分を保てなくなったら、そのときはお前が止めてくれ」

「……うん。約束する」


 夕陽がゆっくり沈む。

 咲良の髪が橙色に染まり、その姿はどこか儚く見えた。


*****


 その夜。

 寮の部屋でひとり、Rewriteの紋章を手のひらに描き出す。

 裏庭の戦いで感じた、あの感覚を再現しようとした。

 指先が震え、青白い光が形を成していく。

 まるで、生きているように蠢くコード。

 その中央には、見覚えのない新しい文字列が浮かび上がった。


【Access Granted:Rewrite Codex Level Two】

【禁忌コード“Ω”への接続が許可されました】


 背筋に冷たい汗が流れた。

 立花の警告を思い出す。

 ――Rewriteには“封印階層”がある。

 通常の異能管理システムが存在しないほど深い階層。

 そこに触れることは、世界の根幹を崩す行為。


「……俺に、今さら選択肢なんてあるのか」


 光が収束し、手のひらに刻まれた紋章が不気味に脈打つ。

 室内の時計が一瞬止まり、微かな電子音が鳴った。


【Rewrite Ωコード:起動準備完了】


 瞼を閉じる。

 頭の奥で響く声が確かに聞こえた。

 それはまるで、世界そのものが語りかけるような低い囁きだった。


「篠宮レン。因果を上書きする者よ。――選べ」


 静寂が満ちる。

 Rewriteの光がゆっくりと溢れ、部屋の中の時計の針を逆回転させた。

 もう後戻りはできない。

 禁忌の扉が、音もなく開かれた。

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