第6話
あいも変わらず真っ暗な空からは絶えず雨粒が落ちてきている。
瑠奈はノートを開いたまま、ペンを指先で転がしている。
白夜が語った「宵夜」という名前が、
頭の奥で、鈴の音みたいに何度も反響していた。
(……なぜ名前が変わってるんだろう。変な人)
そう思ったはずなのに。
気づけば琉奈は、
ノートの余白に小さく、文字を書いていた。
――宵夜
書いた瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
「……あれ?」
自分で書いたはずの文字なのに、
どこか“勝手に書かされた”ような感覚がある。
琉奈は首を傾げ、そのまま肘をついてページを見つめた。
雨音と、紙の匂いと、
窓から差し込むぬるい光。
そのまま――
ほんの数秒、意識が沈む。
夢、というほどはっきりしたものではなかった。
白い道を歩いている。
遠くで、誰かが名前を呼んでいる。
りん……。
鈴の音。
手を伸ばそうとした、その瞬間。
「……琉奈さん」
白夜の声で、はっと目が覚めた。
「……あ、ごめんなさい。寝てました?」
「少し、うたた寝を」
白夜はそう言いながら、
ふと琉奈のノートに視線を落とす。
そして――
動きが、止まった。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
呼吸が、浅くなるのが分かる。
琉奈はその変化を見逃さなかった。
「……白夜さん?」
白夜は、ノートの余白を見つめたまま、
指先をぎゅっと握りしめている。
そこには、はっきりと書かれていた。
――宵夜
白夜は、ゆっくりと息を吐いた。
「……それは」
声が、ほんのわずかに低くなる。
「その名前は……使わないでください」
琉奈は目を瞬かせた。
「え? どうしてですか?」
白夜はすぐには答えない。
代わりに、静かにページを指でなぞり、
その文字から目を逸らした。
「……その名前は、
物語に出てくる人の名前ではありません」
「でも、さっき白夜さん――」
「設定として使うには、少し……重すぎます」
その言い方は、拒絶というより、
“懇願”に近かった。
琉奈はペンを握り直す。
「……消した方がいいですか?」
白夜は、ほんの少し迷ってから、首を振った。
「……いいえ」
そして、視線を上げる。
「今は、そのままで」
「……今は?」
白夜は、かすかに笑った。
「そのうち、
使ってもいい時が来たら……その時に」
琉奈は納得していない顔をしたが、
なぜかそれ以上追及できなかった。
(……ほんと、何なんだろう、この人)
そう思うのに、
ノートから「宵夜」という文字を消す気には、どうしてもなれなかった。
白夜はカップに口をつけながら、
小さく呟く。
「……まったく。
相変わらず、すぐに気がつく人だ」
「え? 何か言いました?」
「いいえ」
白夜は首を振る。
窓の外で、
雨雲の切れ間から、わずかな光が差し込んだ。
りん……。
また、鈴の音がした気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます