ダークヒーローの胸の内
青い葵
第1話 死より苦しい生き地獄
「はぁ……はぁ……はぁ……。」
暗くジメジメしたこの洞窟に、男たちの汚らしい息遣いが響く。ツルハシで岩石を砕く甲高い音、サビだらけの貨車がレールを滑る嫌な音。どれも耳障りだ。
「一〇一番!! しっかりやれ!!」
「っ!? はい!!」
長時間労働の疲れから、一人の男が倒れ込んでしまった。その男は丸々太っていて、
「すみません!! すみません!!」
男の目には涙。顔を
「お前のようなクソが、休んでいるんじゃねぇ!!」
最後に一発、看守が男を蹴り飛ばした。男の顔は腫れ上がり、鼻からは情けないことに血を垂らしている。
周りで働いている連中は、サンドバックになっている男に見向きもしない。ただただ、虚な目をしてツルハシを振るうだけである。
ここは、エルツ・ミネラーレ帝国の辺境に位置する、帝国最大の鉱山である。その規模は、一国の領土に匹敵するほど広大だ。金銀銅からミスリルまで、鉱物資源が豊富で、帝国が宝石の国と呼ばれる
だが、ここでの鉱石採掘は宝石のように美しくない。看守に鞭を打たれながら、ボロボロの男たちが疲労困憊で掘削するのである。
ここの労働者は、皆犯罪者である。
国庫資金を横領した貴族や、略奪を繰り返した盗賊団の長、子供を好んで殺害した猟奇殺人者など、様々な罪人が働かされている。
死刑を免れた者たちが、この鉱山で働かされる。死刑になった方が楽だと思うぐらい、ここでの労働は過酷なものだった。
この男もその一人。艶のある黒髪に真っ黒な瞳。平均的な身長に細身の身体。肉体労働に不向きそうな見た目の彼は、かつて帝都で名を馳せた有名人だったが、あることで、国中に名前を知られる犯罪者になっていた。
そんな彼は、この鉱山では運搬担当を担っている。採掘された鉱石を錆だらけの貨車に目一杯詰め込み、仕訳担当の居所まで運ぶ仕事だ。貨車には動力源がなく、人力で動かさなければいけないため、かなりの力仕事である。これを一人で担当するのは難しい。そのため、手足を鎖で繋がれたバディがいる。バディは基本は交代しない。
「お前。ここにくる奴にしては若いな。」
鉱石運搬の最中、今日からペアを組むことになったバディが話しかけてきた。髪の毛一本ないスキンヘッド、首ぐらい太い上腕、六つに割れた腹筋、そして、背中に目立つ大きな傷跡。肩から腰まで斜めに貫かれた、痛々しいものだった。
「なかなかいい体してるだろう。これでも、賞金稼ぎやってた時期もあるんだ。」
彼の視線に気付いたのか、男はポーズをとり、上腕二頭筋を見せつけてくる。片腕を貨車から離したため、彼の負担が跳ね上がった。彼はこの元賞金稼ぎの馬鹿力がよく分かった。
「そうだな。」
彼はそっけなく返事をする。
賞金稼ぎ。懸賞金目当てで犯罪者を捕縛、または殺害する。生死を問わない大罪人を仕留めれば、一生遊んで暮らせる金を手にできる夢のある職業だ。その分、危険も多いが。この傷は仕事柄負ったものなのだろう。
「お前さんは何をしてたんだ? というより、何をしでかした?」
『何をしでかした』。この場にいるということは、誰もが犯罪を犯している。盗人のような生ぬるいものではない。人前では決して口にできないような、大罪だ。もしくは、しょうもない貴族連中の横領だ。
「すまん。先にこっちが言うべきだったな。」
彼がダンマリしていると、男が申し訳なさそうに頭を掻いた。強面な見た目とは裏腹に、性格は紳士的のようだ。こんなところにいる人間にしては珍しい。
「俺はアスケル。隣国からクスリを密輸入して、裏で売り捌いていたんだ。」
クスリ。もちろん、治療薬などではない。ここに連れられたということは、かなり危険な代物だったのだろう。
「国境の森で見つかっちまった。それまでは、うまいこと隠せてたんだがな。」
最近、この国周辺の状況は不安定だ。火種があちこちに
「お前は?」
「僕は……」
「おいっ、そこ!! 無駄口を叩くな!!」
彼が輝かしい経歴を披露しようとしたとき、看守に目をつけられてしまった。看守は甲冑に身を包み、胸元には帝国の紋章を引っ提げている。戦士らしい見た目のくせに剣は持っておらず、犯罪者たちを叩くための鞭を代わりに所持している。戦場で戦うのが怖いくせに、この場ではここぞとばかりに威張る哀れなやつだ。
「この犯罪者が!!」
「っ!? すみません…。」
看守がアスケルを鞭打つ。鞭を振るうその表情は、情けなく歪んだ笑顔である。騎士の中では最下層、それより下の人間を見下して優越感に浸っている。実に馬鹿らしい。
「何だ!! 聞こえないぞ!!」
「すみませんでした!!」
アスケルが大声で謝罪の言葉を述べた。イラついているのが声色からよく分かる。看守もそれを感じ取ったのか、「態度が悪いな!!」と言い、鞭を振るう手にさらに力を込めた。
看守は鞭で何度も叩くが、アスケルは決してやり返さない。いくら鞭で打たれ、蹴飛ばされ、殴られようとも、決して手を出さない。バディは連帯責任だ。片方が何かをしでかせば、もう片方にも危害が及ぶ。迷惑をかけないようにとでも考えているのだろう。
彼は、ただその光景を冷ややかに眺めていた。
「なんだ、その目は。」
彼の視線に気付いたのか、哀れな騎士未満は鞭を振るう手を止め、彼を睨みつけた。
「犯罪者風情が、生意気な目をするな!!」
看守が怒りに任せて鞭を振るう。彼は無抵抗でそれを受ける。痛い。皮膚がちぎれる。鞭で打たれる感覚は、これまでに何度も味わってきたが、痛いものは痛い。だが今回は、身体の痛みよりも、心の痛みの方が大きかった。彼は目の前の騎士が可哀想で可哀想で仕方がなかった。
「何を笑っている!!」
看守が激昂している。彼は無意識のうちに笑っていたようだ。口角がうっすら上がり、いかにも見下しているような笑みを浮かべている。
「私をバカにするな!!!」
怒りが頂点に達したのか、看守はありったけの力を込めて、鞭を振り下ろした。顔には血管が浮き出て、目も血走っている。よほどお怒りなのだろう。鞭の軌道を、彼は逃げることなくじっと見つめていた。
「っ!?」
突然だった。
気づけば、哀れな看守は
看守の
彼が拳を引き抜くと、看守は倒れ込んだ。自らが吐き出した吐瀉物に顔を
彼はふと、視線を騎士未満から自分の右手に移した。拳をふるった右手に、血がべっとりとこびりついている。再び、気絶した看守に目をやった。腹の下から赤黒い液体が染み出し、小さな水たまりを作っている。どうやら、死んでしまったようだ。腹を
「少し、力が落ちちゃった。」
彼はつぶやいた。
気づくと、周りの奴らもこちらを見ている。犯罪者はもちろんだが、彼がやり返したのがよほど衝撃だったのか、他の看守も口をぽかんと開けている。
隣では、アスケルも同様に唖然としている。彼はアスケルに向き直り、笑顔で話しかけた。
「話の途中だったね。」
容姿端麗な彼は言う。
「僕の名前は、イロアス・シャルル。」
『イロアス・シャルル』。その名前を聞いて、アスケルは血の気が引いた。背筋に悪寒が走る。目の前の彼をアスケルは知っていた。
代々、皇族の護衛を務める由緒正しい家柄の出身。帝国随一と言われた武術の使い手。魔術にも精通し、第一王女の護衛を任されるほど国王が信頼を寄せていた人物。噂によれば、第一王女との婚約がなされたいたという。
そして、帝国史のおける、史上最悪の大罪人。
「その感じだと、僕のことを知ってくれているんだね。」
嬉しいなと、アスケルの顔を覗き込むように彼は言う。
「ご存知の通り、皇太子殿下の三人を殺した、イロアス・シャルルとは僕のことだよ。」
皇族を手にかけたその犯人。殺したのち、全身血だらけで、自ら犯人だと名乗り出たという化け物。
そいつが、アスケルの目の前にいた。
「どういうふうに殺したか知りたい?」
新聞には書かれてなかったよねと、彼は笑顔で続ける。
「第一王子は、胸に料理包丁を刺した。ゆっくりとね。ここがポイント。」
懐かしむような表情。
「第二王子は、殴って殴って殴りまくった。とどめは右ストレートだったよ。」
自慢げな笑み。
「第三王子は、右足首を切って、ほっといてみたんだ。血の量にびっくりしたよ。」
思い出し笑い。
アスケルは恐怖のあまり、腰を抜かしていた。そんなアスケルに彼は顔を寄せる。
「なんで殺したか知りたいでしょ?」
アスケルは思わず頷く。
「興味があったんだよね。」
彼は楽しそうだ。
「人を殺すってどんな感じか、気になったの。それだけ。」
「楽しそうでしょ?。」
彼はウィンクをして話を締めた。
そうこうしているうちに、他の看守達が彼を取り囲んでいた。皆、手には鞭を持っていて、足はブルブル震えている。彼の正体に気づいて、怖気付いていた。
彼は、そんな看守らをバカにしたような目つきで見つめていたかと思うと、突然繋がれていた鎖を手にし、思い切り引っ張った。
鎖はいとも簡単にちぎれ、続けて足の鎖をどこからともなくだした炎で燃やした。看守達が「ばかな!? 詠唱もなしに!?」と、驚愕している。アスケルには魔術の才能がなく、周りにも魔術を使えるものがいなかったため、魔術というものに初めて触れる機会となった。
「アスケル。行くよ。」
「え?」
突然のお誘いに、アスケルは思わず間抜けな声を出した。
「君は貴族に引き渡された妹のために、クスリに手を染めたんだろ。」
「何でそれを!?」
誰にも話していない秘密のはずなのにと、アスケルは驚いていた。
「さぁ。行こう。」
彼がアスケルの手を取る。
「どこへ?」
「妹のところ。」
「何をしに?」
「…………。」
彼は勿体ぶるように口を閉じる。そして、口元に指を当て、キメ顔でこういった。
「それはついてからのお楽しみ♩」
ウィンクをし、情けなく座り込んでいたアスケルを立たせると、鉱山の出口へと向かう。看守たちが道を塞いできたが、彼が睨み返すと後ずさった。情けない連中である。自分より強いものが現れたら、立ち向かう勇気すら無くなるとは。だから、最下層なんだ。
事の顛末を見ていた他の犯罪者達が、「俺の鎖も切ってくれ!!」と彼にねだっていたが、彼はそんな言葉は聞こえていないかのように歩みを進めた。そんな彼に引きずられるように、アスケルは連れられる。
手を引く彼は、これから起こることを想像して、気味の悪い笑みを浮かべていた。
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