第28話:公爵
王都の一等地にそびえ立つ、巨大な屋敷。
威圧的なほどの門構えと、広大な敷地。
そこは、この国でもトップクラスの権力を持つ「アルカディア公爵家」の本邸だった。
「……なぁ、本当にここに入るのか?」
俺は門の前で立ち尽くし、心底嫌そうな顔で呟いた。
今日は休日だ。
エレオノーラから届いた、金箔押しの招待状(という名の召喚状)を握りしめて。
「当然でしょ。お父様が時間を空けて待っているのよ。遅刻なんてあり得ないわ」
門の向こうから、エレオノーラが出迎えに来た。
今日の彼女は学園の制服ではなく、豪奢な深紅のドレスを纏っていた。
その姿は完全に深窓の令嬢だ。中身はいつものお嬢様だが、黙っていれば絵になる。
俺たちも今日は正装――つまり、学園の制服だ。
ボタンを一番上まで留め、靴も磨いてきた。
最低限の礼儀だ。
「あ、あわわ……こ、公爵様にお会いするなんて……私なんか此処にいていいんでしょうか……粗相したら打ち首……?」
リーゼはすでに半泣きだった。
制服のスカートをぎゅっと握りしめ、門番の騎士に見られるたびに「ひいっ」と小さく悲鳴を上げている。
被害妄想がたくましいな。打ち首っていつの時代だ。
「へぇ、魔導式セキュリティが三重にかかってる。金持ちねー」
ミナだけはマイペースだった。
キョロキョロと屋敷の防犯設備を観察し、あわよくば構造を盗もうとしている。
頼もしいが、捕まったら他人のフリをしよう。
「ようこそお越しくださいました、カイル様」
屋敷の扉が開くと、燕尾服を着た執事が恭しく頭を下げた。
その後ろには、メイドたちが一糸乱れぬ動きで整列している。
空気が違う。
ここは戦場だ。貴族社会という名。
(……気合入れろよ、俺)
俺は深く息を吸い、ネクタイを締め直してから、腹を括って屋敷の中へと足を踏み入れた。
通されたのは、屋敷の奥にある執務室だった。
重厚なマホガニーの扉が開かれると、そこには一人の男が座っていた。
アルカディア公爵家当主、ゲオルグ・アルカディア。
この国の政治の中枢を担う大貴族であり、「氷の宰相」とも呼ばれる冷徹な実力者だ。
初老だが、背筋はピンと伸び、鋭い眼光を放っている。
ただ座っているだけなのに、部屋全体の空気が張り詰めているような錯覚を覚える。
圧倒的な覇気だ。
知性と権力に裏打ちされた威圧感。
「……娘が世話になっているな」
公爵が書類から顔を上げ、俺たちを見た。
値踏みするような視線が、俺、ミナ、そしてリーゼを順に射抜いていく。
「君たちが、例の『噂の生徒たち』か」
公爵の視線が、俺とミナの上で止まった。
その瞳の奥に、わずかながら柔らかな色が混じる。
「そして……娘の長年の悩みであった『魔力過多症』への対策案――あの特殊な魔道具を作ったのも、君たちだそうだな」
そう。俺たちは以前、エレオノーラの暴走する魔力を「弾丸」として消費するシステムを考案し、提供した。
公爵はそのことを知っている。
だからこそ、こうして個人的な面会が許されたのだ。
「おかげで娘の体調は安定しているようだ。親として、礼を言う」
公爵が短く頭を下げた。
天下の大貴族に頭を下げられ、俺は内心で縮み上がった。
「も、勿体ないお言葉です。あれはエレオノーラ様の協力があってこそですので」
「謙遜はいらん。功績は正当に評価する。……だが」
公爵の声のトーンが、ふっと下がった。
感謝の時間は終わりだと言わんばかりに、空気が冷たくなる。
「それとこれとは話が別だ。人払いは済ませてある。座りたまえ」
公爵が顎でソファを指した。
俺たちが座ると、彼は手元の書類をトントンと指で叩いた。
「学園からの報告書は読んだ。『謎の男に操られたAランク魔物を撃退した』とあるな」
公爵の目が細められた。
「娘はAランク、そこの眼鏡の娘もBランクだ。個々の能力が高いのは分かる。だが……相手は『クイーン種』だぞ?熟練の騎士団でも犠牲が出る相手だ。それを、GランクとFランクを抱えた急造チームが『無傷』で勝利した。これは異常だ」
鋭い。
単なるランクの足し算ではなく、指揮系統と結果の不整合を突いてきた。
「カイル君。君が指揮を執ったそうだな。……君が魔導工学に明るいことは、娘の件で知っている。だが、それだけではないはずだ」
公爵の眼光が俺を射抜く。
「プライドの高い娘が、なぜGランクの君の指示に従った?……そして、なぜ『誰も傷つかずに』済んだ?隠していることがあるなら話せ。私は、恩人であっても不審な者は懐に入れない主義だ」
部屋の温度が数度下がった気がした。
これはお願いではない。
尋問だ。
公爵は、俺たちに実力があることを認めている。
だからこそ、その底知れなさを警戒しているのだ。
(……この人には、半端な嘘は通じないな)
俺は脳内で天秤にかけた。
秘密を守り通して公爵の不信を買うか。
それとも、情報を切り札にして、最強の後ろ盾を得るか。
彼が恩を忘れない人物であることは、冒頭の言葉で分かった。
なら、賭ける価値はある。
「……取引をさせていただけますか?」
俺は公爵の目を見て言った。
公爵が片眉を上げる。
「取引だと?学生風情が、私と?」
「はい。俺たちが持っている『真実』をお話しします。その代わり……俺たちを、学園や教会の干渉から守っていただけますか?」
隣でエレオノーラが息を呑む気配がした。
公爵は数秒、俺を凝視した後、ふっと口元を緩めた。
「……いいだろう。娘を救った知恵とその度胸に免じて聞いてやろう。話してみろ」
俺は覚悟を決め、二つの秘密を明かした。
一つ目は、不審な男のこと。
男が俺の武器――「特殊な魔道具」に関心を持っていたこと。
さすがに「銃」とは言わず、「古代の遺物を参考にした独自の魔道具」とぼかしたが、それでもその異質さは伝わったはずだ。
「……なるほど。男の目的はあくまで魔物の実験であり、君たちとの接触は偶然か」
公爵は顎に手を当てて呟いた。
「だが、不運だったな。実験のついでに、厄介な人物に見初められるとは。……偶然とはいえ、目をつけられた以上は向こうから接触してくるだろうな」
そして二つ目。これが本題だ。
リーゼの能力について。
彼女の治癒魔法が、ただのヒールではなく、「組織の再構築」を行う特殊なものであること。
ロンたちの腕が実際には溶解しており、それをリーゼが完治させたこと。
つまり、俺たちの勝利は「無傷」だったのではなく、「致命傷をなかったことにした」結果だと伝えた。
「『時間逆行』に近い再生術式……か」
公爵の目が鋭く光った。
彼はリーゼを見た。
リーゼは「ひぃっ」と小さくなって震えている。
「それが事実なら、教会が黙っていないな。『聖女』として囲い込むか、あるいは教義に反する『異端』として処分しようとするだろう。……どちらにせよ、まともな人生は送れん」
公爵の言葉に、リーゼの顔色が青ざめる。
だが、俺はすかさず言った。
「だからこそ、公爵閣下の力が必要なんです。彼女の才能は、使い潰されるべきじゃない。正しく保護されれば、必ずアルカディア家の利益になります」
「……利益、か」
公爵は顎に手を当て、値踏みするようにリーゼを見つめた。
「……なるほど。教会に奪われれば脅威だが、手元に置けば、我が騎士団の生存率は劇的に向上する。……リスクを冒してでも囲い込む価値はある、か」
公爵の独り言に、リーゼが震え上がる。
囲い込むという言葉の響きが、彼女には監禁か何かに聞こえたのかもしれない。
沈黙が重い。
天秤がどちらに傾くか、俺は固唾を呑んで見守った。
「お父様」
沈黙を破ったのは、エレオノーラだった。
「彼らは私の仲間です。……私を病気から救ってくれたのも彼らです。彼らを失うことは、私にとっても、アルカディア家にとっても損失です。……私が保証します」
彼女は真っ直ぐに父親を見つめていた。
普段の態度ではない。
公爵令嬢としての矜持を持った、真剣な眼差しだ。
公爵は娘を見つめ返し、やがて――短く息を吐いた。
「……よかろう」
公爵が頷いた。
「アルカディア家の名において、君たちを保護しよう。学園や騎士団からの過度な聴取は私が握りつぶす。教会の干渉も、私の力で防いでやろう」
俺たちは一斉に安堵の息を漏らした。
だが、公爵はすぐに条件を付け加えた。
「ただし、タダではない。……今後、私が君たちの力を必要とした時は、優先的に協力してもらう。特に、その不審な男に関する情報は即座に共有すること。……いいな?」
それは実質的な私兵としての契約だった。
貴族の裏仕事や、権力争いに巻き込まれるリスクもある。
だが、今の俺たちには、この最強の盾が必要だ。
「……謹んで、お受けします」
俺は深く頭を下げた。
これで契約成立だ。
「……賢明な判断だ」
公爵は初めて、薄く笑みを浮かべた。
それは冷徹な政治家の顔ではなく、少しだけ父親の顔が混じっていたように見えた。
「娘が良い友を持ったようで、安心したよ」
屋敷を出た瞬間、どっと疲れが出た。
緊張の糸が切れて、膝から崩れ落ちそうになる。
「い、生きて帰れました……」
リーゼがへなへなと座り込んだ。
本当に生きた心地がしなかったのだろう。
「もう、お父様ったら脅しすぎよ。……でも、これで貴女たちは公爵家の派閥扱いになったわ。誰も手出しできない」
エレオノーラが胸を張る。
確かに、アルカディア家の紋章という後ろ盾は絶大だ。
学園内でのいじめも、教会の干渉も、これで防げる。
(……毒を以て毒を制す、か)
俺は夕暮れの空を見上げた。
強力な後ろ盾は得たが、同時に貴族の派閥争いという新たな泥沼に片足を突っ込んでしまった。
まあ、あの正体不明の不審者に狙われ続けるよりは、相手の顔が見えている分マシか。
「腹減ったな。帰るか」
「賛成ー。公爵家の茶菓子、こっそり持ってきたから食べる?」
「ミナちゃん、それ泥棒です……」
俺たちは軽口を叩きながら、王都の雑踏へと消えていった。
ひとまずの安全は確保した。
これからのことは、また明日考えればいい。
王都の薄暗い路地裏。
腐ったゴミとドブの臭いが充満する場所で、一人の男が壁にもたれかかっていた。
茶色いローブを纏い、フードを目深に被った男。
樹海でカイルたちが遭遇した、あの男だ。
彼の手には、一枚の紙が握られていた。
学園の生徒名簿の写しか。
そこには、カイル、エレオノーラ、ミナ、リーゼの顔があった。
男は誰かと話すわけでもなく、楽しそうに独り言を呟いた。
「見つけたよ」
男の指が、写真の中のカイルの顔をなぞる。
「……面白い『おもちゃ』をね」
男の口元が、三日月のように裂けた。
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