第24話:深淵の入り口



 遠征への出発を翌日に控えた王都の大通りは、どこか浮足立った空気に包まれていた。  

 学園の生徒たちがこぞって物資を買い求めているため、どこの道具屋も大盛況だ。


 俺たちもまた、最後の買い出しに来ていたのだが――。


「……なぁ、エレオノーラさん」


「何かしら?」


 俺は目の前に積まれた山を見て、こめかみを押さえた。  

 そこには、艶やかな光沢を放つ布地が畳まれていた。


「これは何だ?」


 「野営用のテントよ。最高級のシルクと、防虫効果のある香木を編み込んだ特注品ね。寝心地は王都の屋敷と変わらないわ」


 「……却下だ」


 俺は即答した。


「重い、嵩張る、目立つ。そんなもん担いで樹海を歩けるか。それに、シルクなんて木の枝に引っ掛けたら一発で破れるぞ」


 「あら、そうなの?残念ね、私の従者に持たせようと思ったのだけれど」


 「今回は従者帯同禁止だぞ。自分の荷物は自分で持つのがルールだ」


 公爵令嬢の金銭感覚と生活水準は、サバイバルにおいては最大の敵だ。  

 俺がエレオノーラに指摘している横で、今度は天才少女が怪しげな瓶を並べていた。


「ねえカイル、これを見て。自信作よ」


 ミナが得意げに見せたのは、毒々しい紫色の液体が入ったガラス瓶だ。それが30本ほどケースに入っている。


「……嫌な予感しかしないが、中身は?」


 「『超濃縮溶解液』よ。植物だろうが魔物の甲殻だろうが、かけれは数秒でドロドロに溶かせるわ。これがあれば、藪漕ぎも楽勝よ」


 「森を溶かす気か!却下だ、絶対に持っていくな!」


 俺は叫んだ。藪を切り開くのに強酸を使う奴があるか。

 環境破壊どころの話じゃない。  

 万が一、転んで瓶が割れたら俺たちが全滅する。


「はぁ……。どいつもこいつも、遠征をピクニックか実験場と勘違いしてないか?」


 俺は大きなため息をついた。  

 俺のリュックには、実用性重視のアイテムが詰め込まれている。  

 ナイフ、ロープ、着火剤、水筒、携帯食料。

 そして、愛銃「ピースメーカー」のメンテナンスキットと、大量の予備弾薬。  

 Gランクの俺が生き残るには、地味だが確実な準備が必要なのだ。


 頭を抱える俺の袖を、誰かがくいっと引いた。


「あ、あの……カイルさん」


 振り返ると、小柄な少女――リーゼが、自分よりも大きな風呂敷包みを抱えて立っていた。  

 眼鏡の奥の瞳が、不安そうに揺れている。


「こ、これ……役に立つか分かりませんけど……」


 彼女はおずおずと包みを開いた。  

 中に入っていたのは、丁寧に油紙で包まれた固形物と、乾燥した草花の束だった。


「これは……干し肉と、ハーブか?」


 「はい。保存食は、クズ肉を燻製にして固めたもので……味は保証できませんけど、日持ちはします。あと、こっちはシトロネラ草とミントを乾燥させたもので、焚き火に入れると虫除けになるんです。あの、お金がなくて、手製で貧乏臭いんですけど……」


 リーゼは恥ずかしそうに身を縮こまらせた。  

 だが、俺は目を見開いてそのアイテムを手に取った。


「……すげぇな」

 

 「え?」


 「この干し肉、塩加減が絶妙だ。汗をかく行軍中には最高の塩分補給になる。それにこの虫除けハーブ、店で買ったら高いぞ。樹海は毒虫が多いから、一番助かるやつだ」


 俺は本心から言った。  

 エレオノーラの高級テントや、ミナの危険劇薬よりも、遥かに野営を理解している。  

 生活の知恵というか、生きるための工夫が詰まっていた。


「マジで助かる。ありがとう、リーゼ」


 「は、はい……っ! えへへ……」


 俺が褒めると、リーゼは顔を真っ赤にして、嬉しそうに俯いた。  

 ようやく、まともな戦力が確認できて俺は安堵した。


 


 数日後。  

 学園の馬車に揺られ、俺たちは王都から向かって東部に位置する「深淵樹海」の入り口に到着した。


 そこは、まさに「魔境」への入り口だった。  

 空を覆い隠すほどの巨木が壁のように立ち並び、昼間だというのに薄暗い。  

 森の奥からは、湿った風と共に、得体の知れない獣の咆哮が聞こえてくる。


「うわぁ……雰囲気あるわね」


 ミナがワクワクした顔でゴーグルを装着する。  

 一方で、他の生徒たちは緊張で顔を強張らせていた。  

 そして、それ以上に彼らの視線を集めていたのが、俺たちだった。


「おい見ろよ、あのパーティー」


 「Gランクのカイルに、Fランクのヒーラー……」


 「公爵令嬢と魔導工学科の天才が何でまた、あんなゴミみたいな連中と組んでるんだ?」


 「エレオノーラ様もお気の毒になぁ」


 ヒソヒソと、しかし確実に聞こえる声量で嘲笑が降ってくる。  

 リーゼがビクリと震え、俺の背中に隠れるように身を寄せた。  

 エレオノーラが不機嫌そうに柳眉を寄せる。


「……不愉快ね。あんな羽虫ども、まとめて氷漬けにしてやりましょうか?」


 「よせよせ、魔力の無駄だ」


 俺は彼女を制して、メンバー全員を見回した。


「いいか、周りの雑音は無視しろ。俺たちの目的は『他人に勝つこと』じゃない。『全員で生還して、課題をクリアすること』だ。派手な成果も、名声もいらない。安全第一で行くぞ」


「了解よ、リーダー」


 「りょーかい」


 「は、はいっ!」


 三人の返事を聞き届け、俺は樹海への第一歩を踏み出した。




 森の中は、外から見る以上に視界が悪かった。  

 鬱蒼と茂るシダ植物が腰まで覆い、頭上は幾重にも重なった枝葉が日光を遮断している。  

 湿度は高く、じっとりとした空気が肌にまとわりつく。


「陣形を確認するぞ」


 俺は小声で指示を出した。


「前衛はエレオノーラ。そしてミナのゴーレムだ」


 先頭を行くのは、レイピアを提げた氷姫と、ミナが操る身長150センチほどの無骨なゴーレム。  

 ゴーレムは両腕に装甲を取り付けてあり、頼もしいタンクだ。


「中衛は俺。全体の指揮と周囲警戒を担当する。そして後衛は――」


 「は、はい……」


 「リーゼだ。お前は俺のすぐ後ろ、絶対に離れるな」


 リーゼは緊張で顔を青くしながら、コクコクと頷いた。  

 彼女は自分がいかに「狙われやすいか」を理解しているのだろう。  

 過去の経験から、戦闘が始まれば真っ先に自分が足手まといになり、罵倒される未来を想像して怯えている。


(……まずは一戦だ)


 俺は歩きながら思考を巡らせた。  

 このパーティーの連携が機能することを証明し、リーゼに「成功体験」を与えなければならない。  

 そうしないと、彼女も安心できないだろう。

 その機会は、予想よりも早く訪れた。


「――ッ! 上だ!」


 俺の感覚が、頭上からの殺気を感じ取った。  

 ほぼ同時に、ガサガサという激しい葉擦れの音が響く。


「キシャァァァァッ!!」


 頭上の枝から、黒い影がいくつも降り注いできた。  

 長い手足に鋭い爪、そして凶暴な赤い目。  

 「キラー・エイプ」だ。  

 単体ではそれほど強くないが、群れで連携し、執拗に弱い獲物を狙う狡猾な魔物。  

 数は六体。

 いきなりの奇襲だ。


「ひぃっ! ま、魔物……!」


 リーゼが悲鳴を上げ、腰を抜かしそうになる。  

 彼女の視線の先には、真っ直ぐに自分を狙って飛びかかってくる猿の姿があった。  

 彼女は動けない。


 だが、俺は冷静に彼女の肩を掴んで支えた。


「落ち着けリーゼ!動くな、見るだけでいい!」


 「えっ……!?」


 「迎撃ッ!」


 俺の号令と同時に、前衛の二人が動いた。


「展開!」


 ミナが指を鳴らす。  

 先頭を歩いていたゴーレムが、ギギィッ!と軋んだ音を立てて腕を広げた。

 飛びかかってきた三匹の猿が、その硬い装甲板に激突する。

 ガンッ!という鈍い音が響くが、ゴーレムは揺らぎもしない。


「キッ!?キシャーッ!」


 猿たちが体勢を崩した瞬間、


「遅いわね」


 銀色の閃光が走った。  

 エレオノーラの剣だ。  

 冷気を纏った刃が、美しい軌跡を描いて三匹の首を同時に切り裂いた。  

 血飛沫すら凍りつき、猿たちは絶命して地面に落ちる。


 残るは三匹。  

 二匹がゴーレムに群がっている隙に、最後の一匹が前衛を飛び越え、空中の枝を蹴ってリーゼへと殺到した。


「あ、ああっ……!」


 リーゼが目を見開く。  

 鋭い爪が、彼女の顔の目前に迫る。  

 彼女は恐怖で目を瞑った。


 だが。


 キィン!!


 耳をつんざくような、甲高く鋭利な金属音が森に響いた。  

 直後、空中にいた猿の頭部が、熟れた果実のように弾け飛んだ。  

 声も上げられず、首を失った死体がドサリとリーゼの足元に転がる。


「……え?」


 リーゼが恐る恐る目を開ける。  

 そこには、オゾンの匂いを漂わせる銃口を向けた、俺の姿があった。


「クリア」


 俺はすぐに周囲を警戒する。  

 ゴーレムに群がっていた残りの猿も、すでにエレオノーラとゴーレムの剛腕パンチによって処理されていた。


 戦闘時間、わずか十数秒。  

 完勝だった。


「怪我はないな?」


 俺は銃をホルスターに戻しながら、振り返って聞いた。  

 リーゼは呆然と立ち尽くしていた。  

 足元には猿の死体。

 しかし、彼女自身の身体には傷一つなく、泥さえついていない。


「あ……は、はい……」


 彼女は信じられないといった顔で自分の手を見た。  

 今までのパーティーなら、前衛が突破され、彼女が襲われて怪我をし、パニックになって詠唱もできずに全滅しかける――それが「いつものパターン」だったはずだ。


 だが、このチームは違った。  

 誰も彼女に、指一本触れさせなかった。


「言っただろ?戦闘中は俺たちが守るって」


 俺はリーゼの頭に乗っていた枯れ葉を払ってやった。


「お前は焦らなくていい。戦いが終わってから、俺たちが擦り傷を作っていたら治してくれればいいんだ」


「そうよ。私の後ろにいれば安全だって言ったでしょう?」


 エレオノーラが剣を払い、優雅に髪をかき上げた。  

 ミナもゴーレムの装甲を点検しながらニヤリと笑う。


「ま、私の可愛いゴーレムちゃんを抜ける魔物なんて、そうそういないわよ」


 三人の言葉に、リーゼの大きな瞳にじわりと涙が溜まっていく。  

 それは恐怖の涙ではなく、安堵の涙だった。


「……はいっ! ありがとうございます……!」


 彼女は眼鏡の位置を直しながら、力強く頷いた。  

 初めて「仲間」に守られる安心感を知った瞬間だった。




 その後、俺たちの探索は順調に進んだ。  

 リーゼの用意した虫除けハーブのおかげで、鬱陶しい羽虫に悩まされることもない。  

 ミナは道中で珍しい植物や樹液を見つけては、「ふひひ」と怪しい笑い声を上げながら採取している。


 指定されたマッピングエリアの半分ほどを埋めた頃だった。  

 先頭を歩いていた俺は、ふと足を止めた。


「……ん?」


 「どうしたのカイル?魔物?」


 エレオノーラが剣に手をかける。  

 俺は首を横に振り、地面を指差した。


「いや、違う。……誰かいたみたいだ」


 少し開けた場所に、踏み荒らされた草地があった。  

 明らかに野営をした跡だ。  

 だが、様子がおかしい。


 地面には食べかけの保存食や、飲みかけの水筒が散乱している。  

 さらに、茂みの中には一本の剣が投げ捨てられていた。  

 鞘に施された装飾を見るに、かなりの高級品だ。


「これ……結構いい剣よ。ミスリル銀が使われてるわ」


 エレオノーラが剣を拾い上げて検分する。  

 そして、その柄に刻まれた紋章を見て眉をひそめた。


「この紋章……確か、テング家の……」


 俺も思い出した。  

 バルト家。

 昨日の昼休み、裏庭でリーゼを「ノロマ」と罵っていた貴族男子たちのリーダー格の家名だ。  

 つまり、これは彼らの野営地だ。


「……争った形跡があるな」


 地面の土が激しく掘り返されている。  

 だが、奇妙なことに血痕がない。  

 魔物に襲われたのなら、血の一滴や二滴は飛び散っているはずだ。  

 それに、武器である剣を捨てて逃げるなんて、よほどのパニック状態か、あるいは――。


「連れ去られた、か?」


 俺の呟きに、場が静まり返った。  

 リーゼが青ざめた顔で俺の袖を掴む。


「つ、連れ去られたって……魔物に、ですか?」


「分からん。だが、普通の状況じゃない」


 ただ食い散らかすだけの魔物なら、ここで食事を済ませているはずだ。  

 人間が消えているということは、巣に持ち帰られたか、あるいはもっと知能の高い何かが関与しているか。


 俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。  

 教師から渡された地図には、このエリアにそこまで危険な魔物は記載されていない。


「……追うぞ」


 俺は決断した。  

 嫌な予感しかしない。関わりたくないのが本音だ。  

 だが、同じ学園の生徒が行方不明になっているのを見過ごすわけにはいかない。


「痕跡はまだ新しい。この先だ」


 俺が指差した先は、樹海のさらに深く、光の届かない闇が広がっていた。  

 俺たちは武器を構え直し、不穏な気配の漂う森の奥へと足を踏み入れた。






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