第57話 別れるまで、あと54日
まるで自分を追いつめているかのような表情に、いたたまれなくなって尋ねる。
「……警察署って、どんな感じだったんですか?」
秋月は両手から力を抜いて、颯太に視線を移した。
「ごめん、あまり覚えていないんだ。小さな部屋に入れられて、机をはさんで男の警官と話して、その後ろでもう一人警官が会話を記録していたね……。でも、俺はずっとふわふわしていた」
視線を伏せ、当時の事を思い出しているのだろう。秋月はぽつぽつと話していた。目の下のクマが目立つ。小さな皺もあった。
初めて見た時にはきれいな人だと思ったが、憔悴した今では痛々しさが強調されるのだな、と颯太はひっそりと考えた。
「……パートナーが刺されたんです。それも、自分のストーカーに。そうなってもおかしくありません」
母親が言っていた事を自分なりの言葉で繰り返す。秋月は薄く笑ってアイスコーヒーを飲んだ。
「優しいね」
彼はぽつりとつぶやく。言い方からして自分の言葉は本気には取られていないようだと、颯太は悲しくなった。
「……俺、最近アートドールみたいなのを作り始めたんです。今作っているので三個目です」
秋月は目を瞬かせて颯太に視線を移した。
「そうなんだ……。どんなのを作ったの?」
颯太は妹たちを確認する。写真としてスマホに保存されているけれど、今彼女たちからスマホを奪ったらうるさくなることはわかっていた。
再び秋月のほうを向く。
「犬が二つと、ケットシーです。素材はほとんど百円ショップのものですけれど……」
秋月は目を細める。
「今の時代は、まずは百円ショップのもので試せるからいいよね。結構クオリティが高いものもあるし」
「……言っても今回のケットシーは、体はドールの素体を買ってきて、それにフェイクファーをくっつけるようにしようと思っているんですけど」
「なるほど。百円ショップの素体、百円とは思えないもんね」
「はい……。俺も、これが百円なんだって驚きました」
「試せるんだから、どんどん試してみたらいいと思うよ。そうして失敗しても、その分だけ知見が増えるから。まだあまりアートドールの認知度も低いし、情報が少なくて大変だと思うから、わからないことがあったら聞いて。俺にわかる事だったら教えるよ」
やっと、彼の瞳に光が戻った。颯太は知らないうちに力を込めていた腹の筋肉を緩める。ほぅ、と大きく息を吐いた。
「ありがとうございます。……あの、個展も行きました。すごくよかったです」
秋月は目を細めて頷く。芳名帳に名前を書いてきていたから、颯太が来ていたのは知っていたようだ。
教室ほどの広さの部屋に秋月の作品が大量に展示されていた。自分で作ったというドールの瞳は星をちりばめたようで、ライトの光を跳ね返しきらきらと輝いていた。
あの時感じた衝撃を、感動を、こんな拙い言葉でしか伝えられない自分がもどかしい。
「いつか、秋月さんが作ったドールを買いたいです。早くても三年後になると思うんですけど、それまで作り続けていてください」
今言うことではないとわかっている。それでも、今言っておきたかったのだ。
颯太の入った中学校ではバイトは禁止されている。そもそも十六歳未満を雇ってくれるところはめったにない。だからといって秋月の様にアートドールを売ろうにも、技術が未熟で値段がつけられると思っていなかった。
秋月は目を瞬かせ、それからしっかりと頷いた。
「うん……。楽しみにしてる」
今度は自分の言葉を信じてもらえたようだ、と胸が温かくなる。ほぼ同時に、祖父母と零が戻ってきた。
「一、目を覚ましたって」
零は秋月を見ると、少し遠くから報告した。駆け寄る時間も惜しかったらしい。
は、と秋月が息を呑む音が聞こえた。彼はすぐに立ち上がる。颯太もつられて腰を上げた。そんな二人を驚いた顔をして妹たちが見つめていた。
零は周囲の目を意識したようで、口を覆うと近づいてきて、秋月に再び一が目を覚ましたことを告げた。
「明日には面会できると思う。……大丈夫そうだったよ」
母の目が潤んでいる。
秋月は両手で口を覆い、俯いた。ぽたり、と彼の瞳から涙がこぼれ落ちる。
零の背後に視線を移すと、ほっとしたような、複雑そうな顔をして祖父母が秋月を見つめていた。
零と祖母を残し、颯太と妹たちは祖父の運転する車で帰る。こうなった以上、学校や会社に行くようにと強く言われていた。
帰りがけ、颯太は助手席に座り、祖父の話の相手をすることになった。
取り留めのない話のあとに、ぽつりと祖父が尋ねる。
「颯太。……お前、秋月君の事は知っていたのか?」
来たか、と颯太は唇を舐める。
「知っていたけど、……何で?」
彼は言いにくそうに一度バックミラーを確認する。つられて颯太も後ろの席に座る妹たちを見た。最初のうちは喧しく喋っていた二人だったが、座っているのに飽きたのか気持ちよさそうに眠っている。
「ストーカーは男性だったんだな」
「……そうらしいね」
「男性のストーカーに迫られて、一は秋月君と付き合っていると言っていたというが……、男に迫られて、男の一が男の秋月君と付き合っていると言ったんだよな……?」
颯太はするりと受け入れていたが、祖父は秋月の説明に対して違和感を抱いていたようだ。
「あの二人はそもそも恋人同士なのか?」
颯太は再び正面を向きつつ、祖父の横顔を確認する。
再雇用制度により以前から勤務していた水道局で働いている彼の顔には年相応の皺があり、年齢を感じさせられた。
「それはわからない。……聞いてないから」
「……そうか」
祖父の声が重くなる。更に彼は数度口を開け閉めしてから、聞きづらそうに尋ねてきた。
「……一は、ゲイなのか?」
ハンドルを握る手の甲に血管が浮き出ていた。まるで何かを恐れているような態度に、またも不安な気持ちが沸き上がる。悪い事はしていないはずなのに、叱られた時の様に腹の底が重くなる。
「それも知らない」
返すと、隣で運転する祖父はホッとしたような息を吐き出す。颯太は続けた。
「……いつか、一さんから教えてくれるまで、待った方がいいと思う」
葵や茜には『大切な人』と言った。
それ自体は間違っていないと思うし、小学校一年生に対する説明としては妥当だと思っていた。
けれど祖父相手にそうは言えない。颯太の五倍近く長く生きてきた彼に『大切な人』と言ったところでどう解釈するかわからなかった。
だから、知らないと言うしかなかった。
「……そうか」
祖父の声は苦いものだった。普段は押しの強い祖母や零に流されてばかりでも、一家の大黒柱として家族を支えている彼はあまり自分の感情を口にしない。そんな彼の辛そうな声を聞いて、口の中が渇いていった。
学校で習った『薄氷の上を歩く』とはこんな心地のことを言うのか、とこんな時なのに考えてしまう。
しばらくの間、会話が途切れた。
カーステレオからは流行りの男性が女性に片思いをする歌詞の曲が流れ続けていた。
別れるまで、あと54日。
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