第4話 奇妙なレシート

朝はいつも同じだった。目覚ましが鳴る前に目が覚め、カーテンを少しだけ開け、白くなりきらない空を見る。コーヒーを淹れ、パンを焼き、焦げる手前で止める。新聞は取っていないから、スマホで見出しだけ流す。出勤路は工事中で、歩道が狭い。駅の階段で靴紐を結び直す人がいて、私はそれを追い越す。改札を抜けると、いつも同じ広告が目に入る。


会社では机に座り、メールを返し、資料を整える。昼は近くの定食屋で、日替わりの魚を頼む。骨が多く、口の中で避けるのが面倒だが、文句は言わない。午後は会議がひとつあり、誰かが長く話す。終わるころには、窓の外が少し暗い。帰り道、スーパーで牛乳を買う。レジは混んでいて、私は籠を持ったまま立つ。


会計が終わる前に、レシートが手の甲に触れた。


白く細い紙が、空気から落ちてきたようにそこにあった。私は反射的に掴み、印字された文字を見る。店名、日付、時刻、品名、金額。牛乳一パック。合計は、いつもの端数。まだ会計は終わっていない。バーコードも通っていない。レジの人は画面を見ている。


私は何も言わなかった。レシートは温かくも冷たくもなく、ただ薄かった。レジの人が「次のお客様どうぞ」と言い、画面が切り替わる。私の籠はそのまま流れ、私はカードを差し込む。機械が短く鳴く。支払いは済んだ。レシートは、もう一枚出てこなかった。


外に出ると、夕方の風が吹いた。レシートを折り、ポケットに入れる。紙はそこで音もなく収まった。信号が青になり、私は渡る。誰かが走ってきて、肩が触れた。謝罪はなく、私も振り返らない。


翌日、机の上に小さな切り傷があった。右手の人差し指、第一関節の少し下。赤い線が細く、乾いている。いつ切ったのか思い出せない。仕事をしていると、紙に触れるたびに少しだけ沁みた。昼に絆創膏を貼る。午後、コピー機が詰まり、誰かが溜息をつく。


帰り道、駅の階段で靴紐を結び直す人はいなかった。改札の広告が新しくなっている。スーパーで牛乳を手に取り、籠に入れる。レジに並ぶ。前の人が財布を探して時間がかかる。私は天井の蛍光灯を数える。


会計の前に、ポケットの中で紙が擦れた。取り出すと、昨日のレシートに、もう一行増えている。小さな文字で、絆創膏一箱。合計金額が少しだけ上がっている。日付と時刻は、これから数分後のものだった。私はレシートを戻す。レジの人が「ポイントカードはお持ちですか」と言う。私は首を振る。


支払いが終わる。袋を受け取る。外に出る。ポケットの中の紙は増えていない。空はもう暗い。


数日後、会社で席替えがあった。私の机は窓際になり、風が少し入る。午後、隣の人が紙で指を切り、血が出た。ティッシュを渡す。彼は礼を言い、笑う。私は自分の指を見る。絆創膏はもう剥がしていたが、跡は薄く残っている。


帰り、駅の売店でガムを買う。会計の前に、レシートがカウンターに置かれていた。売店のものだ。ガム一箱。私はそれを見て、手に取らなかった。支払いを済ませる。店を出る。レシートは、そのまま置かれている。


家に帰ると、玄関に小さな箱があった。誰かが間違えて置いたのだろう。宛名はない。中身は絆創膏だった。私は箱を棚に置く。手を洗い、夕食を作る。テレビはつけない。


夜、ポケットからレシートを出して机に並べる。紙は一枚だけで、増えも減りもしない。印字は薄く、ところどころ読めない。時刻は、まだ来ていない。私はそれを引き出しにしまう。


翌朝、目覚ましが鳴る前に目が覚める。カーテンを少しだけ開ける。空は白い。机の引き出しを開けると、何も入っていない。代わりに、机の角に小さな切り傷があった。木目に沿って、細い線が走っている。私は指でなぞらず、そのまま家を出た。

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