第23話 回復、そして赤面

 嵐は過ぎ去った。

 物理的な暴風雨も、そして俺たちのプロジェクトを襲った絶望的なデータ消失という厄災も。

 澄み渡るような青空の下、俺とカレンは並んで学園の門をくぐった。


 カレンの足取りは力強い。

 昨夜の高熱が嘘のように、その背筋はピンと伸び、銀髪が朝の光を浴びて輝いている。

 だが、その横顔には、いつもの「完璧な生徒会長」の仮面とは違う、どこか柔らかく、そして熱を帯びた生身の感情が張り付いていた。

 繋がれた右手。

 彼女は時折、確認するように俺の手をギュッと握り返してくる。そのたびに、俺の心臓は小さく跳ねる。


「……行くよ、蓮くん」

「ああ」


 俺たちは目配せをし、アトリエ棟への階段を登った。

 戦場への帰還だ。


 生徒会室の扉を開ける。

 そこには、死闘を繰り広げた戦友たちの姿があった。


「――お帰り! 遅いよ、バカップル!」


 白雪マシロが、回転椅子をクルクルと回しながら出迎えた。

 彼女の目の周りには濃い隈ができているが、その瞳はギラギラと肉食獣のように輝いている。

 窓際には、優雅に紅茶(カフェイン過多の濃いめ)を啜る鳳凰院セリカの姿。


「無事、生還したようだな。会長の顔色を見るに、ただの回復ではないようだが?」

「う……うっさい! 元気になっただけだよ!」


 カレンが頬を赤らめて反論する。

 俺は苦笑しつつ、マシロのデスクへと歩み寄った。


「状況は?」

「完璧っ☆ ……と言いたいところだけど、HDDは完全に逝ってたね。物理破壊。プロの仕業だよ」


 マシロがモニターを指差す。

 そこには、無残に焼けたサーバー内部の写真が表示されていた。


「だが、ここからが私の腕の見せ所。……昨夜、パパから送られてきた『プランC』のコード。あれ、凄すぎない? データの断片から欠損部分を予測補完するアルゴリズム……あんなの見たことないよ」

「昔、開発中にデータが飛んだ時に作った緊急回避用のプログラムだ。役に立ってよかった」


 俺が作ったのは、描画データの座標情報から、失われたピクセルを数式的に再構築するツールだ。完全な復元は不可能でも、見かけ上の品質は9割まで戻せる。


「おかげで、カレンちゃんの原画データは95%復旧。セリカ先輩のテキストはクラウドのキャッシュから全吸い出し完了。……そして」


 マシロはニヤリと笑い、エンターキーを叩いた。


「御子柴のメインサーバーへのバックドア設置、完了しましたー!」

「でかした」


 俺は思わず彼女の頭を撫でた。

 マシロは「えへへ」と嬉しそうに目を細める。


「これで奴の手の内は筒抜けだ。次の妨害工作があれば、未然に防げる」

「それだけじゃないよ。……奴の会社の裏帳簿と、今回の学園への不正介入の証拠メール。全部抜いといた」


 恐ろしい子だ。

 これがあれば、いつでも御子柴を社会的に刺せる。

 だが、俺たちの目的は奴を破滅させることではない。

 あくまで『作品』で勝つことだ。これは最後の切りジョーカーとして取っておく。


「よし。これで振り出しに戻った。……いや、前よりも強くなった」


 俺は全員を見渡した。


「残り三日。ここからは修正作業じゃない。クオリティアップの時間だ。……行けるか?」

「当然だ。私の辞書に妥協という文字はない」

「私も! マシロンの本気、見せてあげる!」


 セリカとマシロが拳を突き上げる。

 そして、カレン。

 彼女は自分のデスクに座り、ペンタブを愛おしそうに撫でていた。


「……私の絵。戻ってきたんだね」

「ああ。お前の魂は、デジタルになっても消えなかった」

「ありがとう、みんな。……私、描く。今度こそ、誰にも文句を言わせない最高の一枚を」


 彼女の瞳に、迷いはない。

 再始動。

 生徒会室に、再び熱狂的な打鍵音と、ペンの走る音が響き始めた。


 ***


 作業は順調に進み、昼休憩の時間になった。

 俺たちはコンビニで買ってきたおにぎりを頬張りながら、午後の工程を確認していた。


「……ねえ、蓮くん」


 カレンが唐突に、ボソリと呟いた。

 彼女は鮭おにぎりを両手で持ちながら、視線だけを泳がせている。


「昨日の……夜のことなんだけど」

「ん? どうした」

「私……すごく汗かいてたよね?」

「ああ。高熱だったからな。脱水症状にならないか心配だった」

「で、でも……朝起きたら、パジャマに着替えてて……身体も、なんかサッパリしてて……」


 ピクリ。

 俺の手が止まった。

 マシロとセリカの視線が、鋭く俺に突き刺さる。


「……まさか、パパ?」

「おい九条。貴様、まさかとは思うが……」


 カレンの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 耳まで、いや首筋まで真っ赤だ。湯気が出そうなほど沸騰している。


「だ、だって! 私、着替えた記憶ないもん! 誰かが着替えさせてくれなきゃ、あんなふうにならないもん!」


 彼女は俺を指差し、震える声で叫んだ。


「蓮くん……! わた、私の身体……見……見たの……!?」


 静寂。

 生徒会室の時間が凍りついた。

 俺は冷静さを保つために、深呼吸を一つした。

 ここで動揺すれば、やましいことがあったと認めるようなものだ。

 俺はあくまで、合理的な判断として行ったのだ。


「……見た」

「ぎゃああああああああっ!!!」


 カレンが絶叫し、椅子ごと後ろにひっくり返った。

 ドガン! という派手な音と共に、彼女は床の上でのた打ち回る。


「うそっ、うそっ! いやぁぁぁ! 嫁入り前なのに! 全部!? 全部見たの!?」

「落ち着け。医療行為だ」

「医療行為で服は脱がさないよぉぉぉ!」


 正論だ。

 だが、あの時の彼女は汗でずぶ濡れで、そのまま放置すれば肺炎になるリスクがあった。


「いいかカレン。あの状況では着替えが必要だった。そして部屋には俺しかいなかった。……俺は目を閉じて、手探りでやった。最低限の視覚情報しか得ていない」


 嘘だ。

 ガン見したとは言わないが、バッチリ網膜に焼き付いている。

 白く滑らかな肌。華奢な鎖骨。そして淡い色の下着。

 それらの映像データは、俺の脳内フォルダの最深部に厳重にロックして保存されている。


「さ、最低限ってどこまでぇ……!?」

「サイズとか、ホクロの位置とか、そういう細かいデータは取得していない。……たぶん」

「たぶんって言った! 今たぶんって言った!」


 カレンは顔を両手で覆い、ダンゴムシのように丸まった。


「もうお嫁に行けない……。蓮くんの責任とってよぉ……」

「だから、責任なら取る」

「えっ?」


 俺の言葉に、カレンが指の隙間から顔を覗かせた。


「このプロジェクトを成功させて、お前を世界一のクリエイターにする。それが俺の責任の取り方だ」

「……そういう意味じゃないもん」


 カレンはむぅっと頬を膨らませたが、その表情には先ほどまでのパニックはなく、どこか嬉しそうな色が滲んでいた。

 彼女は立ち上がり、スカートの埃を払った。


「……もういいよ。蓮くんだから、許す」

「寛大な処置に感謝する」

「その代わり! ……忘れないでね」

「はい?」

「私の……その、見たこと。……他の女の子見たら、怒るから」


 ボソリと言い捨て、カレンは逃げるように自分の席に戻った。

 俺は呆然と立ち尽くした。

 あれは、独占欲の表れか?

 それとも、高度な誘惑か?

 どちらにせよ、俺のライフ(精神力)はゼロになりそうだ。


「……ヒューヒュー! ご馳走様ですぅ!」

「まったく。神聖な生徒会室で情事を語るとは、世も末だな」


 マシロとセリカが冷やかす中、俺は咳払いをして話題を戻した。


「さあ、休憩終わりだ! 手を動かせ!」


 ***


 その日の午後。

 俺たちはアトリエ棟を出て、校庭へと向かった。

 プロジェクションマッピングの実地テストだ。

 まだ日は高いが、機材の設置場所と、投影角の調整(キャリブレーション)を行う必要がある。


 校舎を見上げる。

 歴史ある煉瓦造りの壁面。その凹凸は複雑で、マッピングの難易度は高い。

 だが、だからこそ映える。


「ここに……私の絵が映るんだね」


 カレンが眩しそうに校舎を見上げる。

 その横顔は、真剣そのものだ。


「ああ。カレンが描いた『少女』が、この壁を登り、空へと羽ばたく。……その瞬間、この学園は伝説になる」

「……うん。イメージできた」


 彼女はエアブラシを持つような仕草で、虚空に手を動かした。


「ここの影はもっと深く。光の粒子は、窓枠に反射させて……」


 ゾーンに入っている。

 今の彼女には、完成形が見えているのだ。

 俺はその邪魔をしないよう、黙ってプロジェクターの設置位置をマーキングしていく。


 その時。

 校門の方から、黒塗りの高級車が入ってきた。

 静かなエンジン音と共に、俺たちの近くで停車する。

 後部座席のドアが開き、降りてきたのは――。


「……精が出るね、諸君」


 御子柴レイジ。

 相変わらずの高級スーツに身を包み、不敵な笑みを浮かべている。

 その後ろには、数人の取り巻きを引き連れている。


「御子柴……。何の用だ」


 俺が前に出ると、彼は肩をすくめた。


「視察だよ。私が理事を務める学園の生徒たちが、どんな『お遊戯』をしているのか気になってね」

「お遊戯じゃありません。本気の創作です」

「ほう。……サーバーが飛んだと聞いたが? よく立ち直れたものだ」


 白々しい。

 犯人が何を言うか。

 カレンが俺の背中から飛び出し、御子柴を睨みつけた。


「貴方の妨害なんかには負けません! 私たちは、貴方が想像もできないものを作ってみせます!」

「威勢がいいな、お嬢さん。……だが、期待しているよ。もし失敗すれば、君は私の元で『商品』になってもらう契約だ。忘れていないだろうね?」


 御子柴は舐め回すような視線でカレンを見た。

 俺はカレンの肩を抱き寄せ、彼女を隠すように立った。


「指一本触れさせませんよ。……それに、覚悟しておいてください」

「ん?」

「俺たちが勝ったら、貴方には退場してもらいます。……二度と、この箱庭には手を出させない」


 御子柴は鼻で笑い、車に戻っていった。

 走り去る車を見送りながら、俺たちは拳を握りしめた。


「……ムカつく。あの顔、絶対に歪ませてやる」


 マシロが低く唸る。


「ああ。言葉の刃で切り刻んでやりたい気分だ」


 セリカも殺気立っている。

 だが、カレンだけは静かだった。

 彼女は俺の手を握り、真っ直ぐに校舎を見つめていた。


「……大丈夫。私たちなら、勝てる」


 その声には、根拠のない自信ではなく、確固たる確信が宿っていた。

 彼女はもう、守られるだけの姫ではない。

 俺たちを導く、最強の女神ミューズへと覚醒しつつあった。


「さあ、戻ろう。……最後の仕上げだ」


 俺たちは再びアトリエ棟へと歩き出した。

 決戦の日、全校創作発表会まで、あと二日。

 全ての準備は整いつつある。

 あとは、世界を驚かせるだけだ。

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