第12話 二重帳簿と黒い手帳
「……カイ様。この数字、合っていませんが」
執務室の窓際で、セリアが帳簿を突きつけてきた。
彼女の指差す先には、王国へ提出するための『月次報告書』がある。
「食料在庫:枯渇寸前。兵士の健康状態:栄養失調が蔓延。至急、追加の支援金を求む……?」
セリアが呆れたように顔を上げる。
彼女の背後、窓の外では、兵士たちが帝国製の高級コンビーフをパンに挟み、ワインをラッパ飲みしながら「カイ・コイン」を使ったポーカーに興じている姿が見える。
「どこが『栄養失調』ですか。彼ら、着任時より体重が5キロは増えていますよ」
「見たままを書くな。それは『株主(王)』への報告書だ」
俺はタバコを灰皿に押し付け、もう一冊の帳簿――バルトが管理する『裏帳簿』を開いた。
そこには、帝国との密貿易による黒字と、豊富な在庫が正確に記されている。
「いいか、セリア。企業には『二つの顔』が必要だ。税務署(王)に見せる『赤字の顔』と、経営陣(俺たち)が握る『黒字の顔』。これを『二重帳簿(ダブル・ブック)』と言う」
「粉飾決算じゃないですか! 詐欺です!」
「自衛だ。俺たちが『帝国製のステーキを食ってます』なんて報告したら、王はどうする? 『じゃあ報酬は払わなくていいな』と言って、契約を打ち切るに決まってる」
マモン8世は、俺たちが飢えて死ぬことを期待して金貨を送った。
その期待に応える(フリをする)ことが、次の予算を引き出すためのプレゼンテーションなのだ。
「……わかりました。共犯者になれというのですね」
セリアは深く溜息をつき、しかし拒絶はしなかった。
彼女も理解しているのだ。騎士道精神だけでは、部下の腹は満たせないことを。
彼女は報告書に『承認印』を押すと、懐から一冊の小さな手帳を取り出した。
ボロボロで、手垢にまみれた黒い革の手帳だ。
「……では、真実はここに記しておきます」
「なんだそれは?」
「『死者名簿』です。……あなたが来る前、このデッド・エンドで死んでいった兵士や領民たちの記録です」
セリアは沈痛な面持ちで、手帳のページを捲った。
そこには、びっしりと名前と日付、そして死因が書き連ねられていた。
『○月×日、兵士トム。餓死』
『○月△日、農夫ジム。治療薬がなく、傷口の化膿により死亡』
『○月□日、騎士見習いアンナ。装備の不備により、ゴブリンの錆びたナイフで即死』
「私は無力でした。彼らを救えなかった。……せめて名前だけでも残しておこうと」
セリアの声が震える。
彼女がこの地で抱え続けてきた、重い十字架。
俺はタバコを置き、その手帳を手に取った。
パラパラと捲る。
ただの感傷的な日記かと思った。だが――。
「……おい、セリア。この『日付』は正確か?」
「え? はい。死亡確認時刻まで正確に記録しています」
「では、この『備考欄』の記述は?」
「物資の到着遅延や、王都への援軍要請が却下された日時です。彼らがなぜ死ななければならんかったのか、その『理由』も忘れまいと……」
俺の目が、ページの上を走る。
名前、日付、死因、そして王都の対応。
それらのデータを頭の中で繋ぎ合わせ、時系列(タイムライン)に落とし込む。
すると、ある「法則」が浮かび上がってきた。
「……なんてこった」
「カイ様?」
「セリア、これはただの名簿じゃない。……『告発状』だ」
俺は手帳を彼女に突き返した。
「ここを見ろ。兵士が餓死した日の二週間前、王都で『大規模な園遊会』が開かれている。さらにここ、装備不足で全滅した小隊の記録。この時期、王都の騎士団では『儀礼用鎧の新調』が行われている」
「そ、それが……?」
「相関関係があるんだよ。王家が『無駄遣い』をした直後、必ず辺境への送金が止まり、その数日後に『死者』が出ている」
つまり、この手帳は証明しているのだ。
兵士たちが魔物に殺されたのではない。
王が私利私欲のために予算を横領したその瞬間に、間接的に「殺された」のだという因果関係を。
「お前は、無意識のうちに『王の殺人記録』をつけていたんだ」
「王の……殺人……」
セリアの手が震える。
彼女はただ、弔いのために書いていただけだった。
だが、その真面目さが、期せずして最強の証拠(エビデンス)を生み出してしまった。
「……ずっと、一人で抱えていたのか」
俺は手帳を返す際、震える彼女の手に、そっと自分の手を重ねた。
「え……?」
セリアが驚いて顔を上げる。
触れ合った肌から、予想外の熱が伝わってくる。
彼女の手は、ずっと重圧と寒さに耐えてきたせいか、凍えるように冷たかった。
「……あ、熱い……」
セリアが呆然と呟く。俺の体温に、戸惑っているようだ。
俺はハッとして、慌てて手を引っ込めた。柄にもなく、顔が少し熱くなるのを感じる。
「か、勘違いするな。お前の手が死体みたいに冷たすぎただけだ」
俺はわざとぶっきらぼうに言って、視線を逸らした。
「資産管理も経営者の仕事だ。……風邪でも引かれて、業務効率が落ちたら困るからな」
「……ふふ。相変わらずですね」
苦しい言い訳に、セリアの頬が微かに朱に染まる。
張り詰めていた騎士の仮面が崩れ、年相応の少女のような、柔らかい表情が覗いた。
「重かっただろう。こんなもん、真面目な騎士様が一人で背負うには荷が重すぎる」
「カイ、様……」
「だが、もう一人じゃない。この負債(うらみ)、俺が買い取ってやる」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「大事に持っておけ。……そして、書き続けろ。今はまだ、王を倒す力はない。だが、いつかこの『黒い手帳』が、剣よりも鋭く王の喉元を突き刺す武器になる」
セリアは手帳を強く握りしめ、胸に抱いた。
その瞳には、かつてのような盲目的な忠誠心ではなく、一人の男への信頼と、淡い熱が宿っていた。
「……はい。書き続けます。……今度は、あなたの『悪事』も漏らさずに」
「ハッ、望むところだ。監査役としての仕事、期待してるぜ」
二人の間に、契約書には書けない種類の空気が流れかけた――その時だった。
コンコン、と扉がノックされた。
バルトが顔を出す。その表情は、いつものヘラヘラしたものではなく、少し強張っていた。
「旦那、王都から客ですぜ」
「また監査官か? 今度はドラゴンにでも食わせるか」
「いいえ……もっと厄介な、『身内』です」
バルトが指差した先。
廊下の向こうから、豪華な僧服を纏った一団が近づいてくるのが見えた。
胸には、王家直属の『教会』の紋章。
「……『聖女』様のご到着だ」
カイは眉をひそめた。
聖女。癒やしの力を持つ教会の象徴。
だが、このタイミングでの来訪。
ただの慰問であるはずがない。
「……王め。金攻めがダメなら、今度は『精神(メンタル)』から崩しに来たか」
カイは新しいタバコに火をつけた。
物理、経済、そして次は宗教。
マモン8世の攻撃は、休むことなく多角化していく。
(第12話 完)
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