ソブリン・デフォルト ~勇者も魔王も、弊社の大事な「資産」です~
@Iruga_Koichi
第1話 不良債権と悪魔の契約
紫煙が、玉座の間を汚していた。
俺が口から吐き出したのは、安物の薬草タバコの煙だ。鼻を突く独特な臭気に、目の前に座る豪奢な豚――いや、国王マモン8世が露骨に顔をしかめる。
「……臭いぞ、カイ・ヴォン・ハイローラー。王御前であるぞ」
「失礼。ニコチンが切れると計算ができなくなる質(タチ)でね」
俺は悪びれもせず、さらに深く煙を吸い込んだ。
この煙には微量な抗魔成分が含まれている。この部屋の至る所に仕掛けられた「読心」や「鑑定」の魔法をジャミングするための、俺なりの防衛策だとは、この金の亡者は気づいていない。
「それで、話というのはなんだ? 追放処分となった無能な三男坊に、何の用だ」
俺の問いに、マモン8世は脂ぎった唇を歪め、羊皮紙の束を放り投げてきた。
それは、死刑宣告にも等しい辞令だった。
「貴様を北の辺境『デッド・エンド』の領主に任じる。魔王軍侵攻の最前線だ」
デッド・エンド。旧名ノースゲート。
歴代領主が全員死亡か逃亡した、正真正銘の死地。国にとっては防衛費を食うだけの「お荷物」だ。
「……随分な左遷だな。俺にそこで死んでこいと?」
「違うな。そこで『稼いで』こいと言うのだ」
王は下卑た笑みを浮かべ、一枚の契約書を指差した。
そこに書かれていたのは、狂気としか思えない歩合制の契約内容だった。
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【魔物討伐変動相場契約(モンスター・オッズ)】
報酬(インセンティブ):
甲(カイ)が魔王軍の兵力を1体無力化・討伐するごとに、乙(王国)は金貨100枚を支払う。
※大物には別途、特別レートを設定する。
罰金(ペナルティ):
甲の管理下にある領民・兵士が1名死亡、または再起不能になるごとに、甲は乙に金貨1,000枚を支払う。
担保(コラテラル):
甲が支払い不能に陥った場合、王家の秘宝『隷属の首輪』の機能により、甲はその魂の所有権を乙へ永久譲渡する。
---
「どうだ? 貴様のような無能でも、運が良ければ大金持ちだ」
王が嘲笑う。
なるほど、わかりやすい罠だ。
一般的な傭兵相場において、魔物1体の討伐報酬は金貨数枚が関の山。それが100枚というのは破格だ。
だが、ペナルティが異常すぎる。味方が1人死ぬだけで金貨1,000枚。つまり、敵を10体倒しても、味方が1人死ねばチャラになる計算だ。
最前線の激戦区で、死者ゼロなどあり得ない。
普通に戦えば、数日で俺は天文学的な借金を背負い、王の奴隷となる。これは国にとって、防衛費を削減しつつ、確実に俺を破滅させるための「出来レース」だ。
「……断れば?」
「今ここで反逆罪として処刑だ。選べ。死か、博打か」
王は勝利を確信している。
俺に魔法の才能がないことも、後ろ盾がないことも知っているからだ。
俺はタバコの灰を床に落とし、契約書を拾い上げた。
ざっと目を通す。インクの滲み、羊皮紙の質、そして条文の裏に隠された意図。
俺の目には、それが「兵士」や「魔物」の命のやり取りには見えない。ただの数字の羅列、確率の偏り、そして――
「……いいだろう。乗ってやる」
「ほう?」
「ただし条件がある。現地の指揮権、人事権、そして作戦立案の全権を俺に寄越せ。王都からの口出しは一切無用だ」
「よかろう。どうせ死に行く身だ、好きにするがいい」
王が合図をすると、影から現れた宮廷魔術師が、俺の首に冷たい鉄の輪を嵌めた。
『隷属の首輪』。契約不履行と同時に俺の自我を焼き切り、永遠の操り人形に変える呪いのアイテムだ。
「契約成立だ、カイ・ヴォン・ハイローラー。精々、国のために散ってくれ」
王の高笑いを背に、俺は踵を返した。
バカな男だ。
あいつは今、俺というギャンブラー相手に、自分が胴元のつもりでいる。
だが、この勝負――オッズ(倍率)の設定が甘すぎる。
敵を1体倒せばプラス100。味方が1人死ねばマイナス1,000。
ならば話は単純だ。
「誰も死なせずに敵を殺す」。それだけで、この国は俺に無限の金を払うことになる。
「安心しろよ、マモン8世。国ごと買い取ってやる」
俺は誰にも聞こえない声で呟き、紫煙を吐き出した。
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一週間後。北の辺境、デッド・エンド。
馬車を降りた俺を出迎えたのは、腐臭と絶望だった。
崩れかけた城壁。痩せこけた兵士たち。泥のような目を向け、死を待つだけの領民。
ここは領地ではない。巨大なゴミ捨て場だ。
「お待ちしておりました、新領主様」
瓦礫の山の上に、一人の騎士が立っていた。
銀髪をポニーテールに束ね、手入れの行き届いた鎧を纏った女騎士。その瞳だけが、この死んだ街で唯一、鋭い光を放っている。
だが、その光は俺への敬意ではなく、明らかな敵意だった。
「前任の副官を務めておりました、セリア・アインホルンです。……正直に申し上げますと、あなたには失望しました」
「挨拶より先に失望か。正直でいいな」
俺がタバコを取り出すと、セリアは露骨に眉をひそめた。
「ここは魔王軍の侵攻ルートのど真ん中です。前領主は着任3日で逃亡しました。兵力は定員の2割、物資は底をつき、援軍の予定もない。そんな中、送られてきたのが……魔力ゼロの『無能』な貴族の三男坊とは」
「詳しいな。俺のファンか?」
「ふざけないでください! 私たちは真剣なんです! 国を守るために、命を懸けて――」
セリアが俺に詰め寄ろうとした瞬間、遠くで角笛の音が響いた。
重く、腹に響く音。敵襲だ。
「報告! 北の森より魔物の群れ接近! 数はオーク50、ゴブリン200!」
伝令の兵士が悲鳴のような声を上げる。
セリアの顔色が変わり、即座に剣の柄に手をかけた。
「総員、配置につけ! 城門を閉めろ! 私が前線に出る!」
「待て」
俺はセリアの肩を掴んで止めた。
「は……? 何をボサッとしているのですか! 迎撃しなければ、領民が虐殺されます!」
「迎撃? バカを言うな。あんなボロい城壁で防げるわけがないし、お前らが突っ込めば何人死ぬと思ってる」
「死を恐れて戦ができるか! 騎士の本懐は――」
「死ぬなと言っているんだ」
俺はタバコの煙を彼女の顔に吹きかけ、冷たく言い放った。
「勘違いするなよ、女騎士。俺にとってお前らは人間じゃないし、兵士でもない」
「なっ……!?」
「お前らは『金貨1,000枚』だ」
セリアが言葉を失う中、俺は眼下に広がる領地を見渡した。
震える兵士たち。逃げ惑う領民。
こいつらが1人死ぬたびに、俺は1,000枚の借金を背負う。
逆に言えば、こいつらが生きてさえいれば、俺の財布は痛まない。
「いいか、よく聞け。今後一切、俺の許可なく剣を抜くな。血を流すな。かすり傷一つ負うな」
俺は懐から、来る途中に用意させた地形図を取り出した。
魔王軍の進路、地形、そして数日前に降った雨の影響。
全ての情報は、俺の頭の中で「勝率」へと変換されていく。
「戦うんじゃない。勝つんだよ。それも、ノーリスクでな」
俺は懐から、出立前に王から恵んでもらった「金貨1枚」を取り出した。
俺の全財産であり、この絶望的な戦いの元手(シードマネー)。
俺はそれを親指でピンと弾いた。
キィィン……。
澄んだ音が、殺伐とした戦場に響く。
俺はその金貨をポケットの奥底にしまい込み、セリアに命令を下した。
「全軍、城壁を捨てて後退しろ。それと、裏山の土砂崩れ防止用の杭を、今すぐ全部引き抜け」
「は……? そんなことをしたら、次の雨で土石流が……」
「そう、『土石流』だ」
俺は迫りくる魔物の群れを見据え、確率論で構成された未来を幻視する。
「ようこそ、デッド・エンドへ。ここはお前らの墓場であり、俺の集金場だ」
国家を破産させる(ソブリン・デフォルト)、果てしないマネー・ゲームが今、幕を開けた。
(第1話 完)
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