―怪異探偵は語らない―

Wright/__

#1 友人からの依頼

路地裏は常に薄暗く、湿ったアスファルトの上を、生ゴミの腐臭が支配している。街の喧騒が届かない、人気の少ない都市外周の路地の奥、古びた雑居ビルの隅に、怪異探偵・クロの事務所はあった。



「…………、暇だな」



クロは、壁に寄りかかりながらつまらなそうに天井を見上げていた。深いフードをかぶり、全身を黒い服で包んでいる。フードの影に隠れた顔の右半分は、長く伸びた前髪で覆い隠され、鋭い目つきの左目は常に周囲を睨みつけているかのようだ。年がら年中黒い服を着ているから、本名を知る者も少ないまま「クロ」と呼ばれるようになった。


依頼はめったにない。今日の業務は、朝から事務所に侵入した二匹の野良猫を追い出しただけだ。



「まあ、平和なのは良いことだが…」



事件なんて無い方がいいが、収入が無いのも困る。

その時、事務所の扉が、静かに開いた。



「もしもし、クロさん。ご依頼や」



聞き慣れた、訛りと声。音もなく入ってきたのは、禍月 玖壱 (まがつき くいち)。クロの数少ない友人の一人だ。高身長のすらりとした体躯たいくに、公安怪異対策課の制服をかっちりと着こなしている。口元は常に白いキツネ面で隠されており、その上半分から覗く目元は、細く糸のように閉じられている。


「……玖壱くいち。またサボりかよ」 クロは壁から離れ、期待外れ感を隠さずに言った。


玖壱は気にせず、ゆったりとした仕草でクロの目の前に立つ。



「いややなぁ、サボりやないよ。今回はな、アンタに頼みたい依頼があって、わざわざお役所からお出ましや」



玖壱は、怪異対策課の中でも精鋭部隊とされる時雨隊しぐれたいの副隊長という肩書を持つエリート符術師ふじゅつしだ。符術師とは、お札に神霊などの力を宿らせ、それを使いこなして戦う者のことを指す。

彼の飄々ひょうひょうとした態度は、それなりに長い付き合いの者でなければ、ただの煽りに聞こえるだろう。



「公安が野良の探偵に依頼か。てめぇらでやれよ」


「そう言わんと。今回はな、アンタの力が必要なんや」



玖壱は懐から一枚の文書を取り出した。



「二級指定怪異『狐狗狸(こっくり)』による、失踪事件。先週末に高校生が四人、廃校になった校舎に入ったきり、行方不明や」


狐狗狸こっくり……遊び半分で降霊術を使った連中がたまに呼び出しちまう怪異か。二級指定なら、おまえ一人で片がつく相手だろ」



怪異の危険度は、零級が最高、そこから一級二級と下がっていき、三級が最下級だ。二級は、一般人には対処できないが、玖壱のような高位の符術師であれば単独で討伐可能なレベルである。


玖壱は細い目をさらに細め、どこか楽しげな声色で言った。



「討伐はうちがやるさかい、心配いらへん。アンタに頼みたいのは、失踪した学生が隠された居場所の特定や」


「なんで俺なんだよ」


「『狐狗狸こっくり』は、呼び出した者をあの世とこの世、つまり『境界きょうかい狭間はざま』に連れ込んで精神を喰らうのが常套手段じょうとうしゅだんや。今回の奴はちょいと厄介でな、うちの捜査班は廃校の中を調べたけど、見つけられんかった。けどな、怪異が現れた現場には必ず『微細な違和感』が残る。アンタの洞察力と直感やったら、他の誰も気づかん境界の歪みや、隠された痕跡を読み取れるやろ」



つまり、クロの役割は、失踪者が連れ込まれた異空間の入り口を特定する、高度な探知役だ。



「今回の任務、時雨隊しぐれたいの他のメンバーは別件でおらへんのや。だから戦闘はうち一人。アンタは探してくれたらそれでええ」


「へっ。おまえの雑用か」



と、クロは表情を変えずに言う。



「アンタも人を助ける怪異「」やろ? 学生四人の命がかかっとるんや。それに……」



玖壱は、キツネ面の下で笑っているかのように見えた。



「報酬は弾むで? 今回は政府直々の依頼やさかい。お金あらへんのちゃうん?」



その言葉が、クロの悪態を止めさせた。彼はしばし黙り込み、事務所の奥から取り出した得物を握りしめる。

それは、漆黒しっこくのナイフ。刃はなく、人や物を切ることはできないが、怪異のみを切り裂くことができる呪具だ。



「……いいぜ。ただし、報酬は依頼が終わり次第すぐ振り込め。それと、道中のおまえの指示は全部聞かされる筋合いはないからな」


「話が早くて助かるわ。ほな、善は急げや。現場に向かうで、クロさん」



玖壱はうやうやしく一礼し、事務所の外へ歩き出す。



「……まったく」



クロはフードを深く被り直し、ナイフを腰に差した。

どうやら、退屈な一日は終わりを告げたようだ。


♦♦♦♦♦


現場は、市内から離れた山間部にある廃校舎だった。

玖壱くいちは校門の前で立ち止まると、一枚の符を取り出した。


肆之札しのふだひのと


符が光を放ち、周囲の闇を照らし出す。怪異による暗闇を一時的に晴らす術だ。



「ここはもう、『狐狗狸こっくり』の縄張りや。警戒怠ったらあかんで」


「わかってる。ガキどもはどこだ…」



クロは校舎を鋭く観察する。通常、怪異の痕跡は妖力で探るのが常だが、クロは違う。彼は、建物が持つ歴史、生徒たちが残した微細な気の流れ、そして怪異が現れた際に生じたわずかな『不自然さ』を探すことに集中する。

廊下、教室、昇降口……どこも異常はない。だが、クロの視線は、体育館の裏にある古い倉庫の影に釘付けになった。倉庫と校舎の間の、誰も通らないような空間だ。


「……あそこだ」 クロが指差したのは、体育倉庫の影。


玖壱はクロの言葉を信じ、体育倉庫へと向かう。



「…微かに妖気の痕跡を感じる。流石やな、クロ。こないにもあっさりと場所を特定するとは。ほな、ここからうちのターンや」



玖壱は地面に五枚の符を配置し、戦闘の準備を始める。


弐之札にのふだ結界陣けっかいじん


設置された符が淡い光を放ち、怪異を封じることに特化したドーム状の結界が展開される。



「ウチはこの結界内で、『狐狗狸こっくり』をはらう。クロは、学生たちが出てきたら結界の外に連れ出してくれ」



玖壱が別の符を地面に置き始めると、周囲の空間が急速に冷え込み、校舎全体から黒い霧のような妖気が結界に纏わりついた。


『『シリタイカ? アソビタイカ?』』


子供の声と老人の声が混ざり合ったような、不気味な囁きが黒い霧から響き渡る。



「来たな、『狐狗狸こっくり』。……さぁ、おもてなしの時間や」



玖壱は立ち上がり、懐から新たな符を取り出した。



「クロ。学生たちを頼むで」


「わかってる」



クロはナイフを抜き、周囲の闇を警戒する。


♢♢♢♢♢


玖壱くいちの集中が頂点に達したとき、体育倉庫の影の空間が歪み始め、黒い『穴』が出現した。



「開いたで! 『境界きょうかい狭間はざま』や!」



黒い穴から、四人の高校生たちが、人形のようにうつろな表情で倒れ込んできた。そして、彼らに続いて、黒い穴から醜悪しゅうあくな影が這い出そうとする。

狐狗狸こっくり』だ。


壱之札いちのふだほむら!」


玖壱が投げつけた符が『狐狗狸こっくり』の影に直撃し、凄まじい炎となって燃え上がる。


『『グガアアアァァ!』』


悲鳴を上げながら、炎に包まれた『狐狗狸こっくり』は再び穴の中へ逃げ込もうとする。


「逃がさへん。漆之札しちのふだ桎梏しっこく!」


炎を上げている影に向け、さらに一枚の符を投げる。その符は影を捕らえ、硬質な光の鎖となって『狐狗狸こっくり』の動きを完全に封じた。



「クロ! 今のうちに!」



クロは倒れている学生たちを一人ずつ抱え上げ、玖壱が全力を出せるように結界の外へと素早く引きずり出した。


伍之札ごのふだ五芒星ごぼうせい!」


玖壱は、結界内部の地面に設置していた符を起動させた。五枚の符を中心に、強烈な霊力の波が放たれ、鎖で拘束された『狐狗狸こっくり』の影を、外側から内側へと押し潰すように攻撃する。


『『ヤメロオオォォォ!!ガアアアアァァ!!!』』


狐狗狸こっくり』は断末魔の叫びを上げながら、徐々に霊体としての形を保てなくなり、細かな塵となって周囲の闇とともに霧散していった。


♢♢♢♢♢


炎と霊力の光が収束し、結界が解除された後、玖壱くいちは息をつく。



「ふぅ……なんとか、事なきを得たな。学生たちも、衰弱はしてるようやけど無事で何より」



クロは救出した高校生たちの脈を確認しながら、玖壱を見る。



「お前が二級怪異に札を10枚以上も使うとは、随分と手が込んでんな」


「しゃーないやろ。今回は戦闘役がうち一人だけでサポートがおらんのやから。

 ……ほな、残りの報酬、明日には振り込むさかい。お疲れさん」



玖壱はキツネ面越しにふっと笑ったように見えた。



「次は、もっと楽な仕事持ってこいよ、玖壱」



軽い悪態を一つだけ残し、クロはフードを深く被り直した。

路地裏の探偵と、公安の符術師。二人の異色コンビは、こうしてまた一つ、街の闇を祓ったのだった。




▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


事件報告書

事件名  R5-A8-1114号 二級怪異『狐狗狸こっくり』討伐事案


発生場所 K市 山間部 廃校舎


怪異名  狐狗狸(こっくり)


等級   二級指定怪異


特記事項 行方不明者並びに怪異捜索のため、探偵へ捜査協力を要請。

     行方不明であった学生四名は無事救出。

     怪異は公安職員によって討滅済み。

     事件発生地の浄化作業をもって解決とする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る