第二話 怪物が現れた

 手を引かれて、私はひつぎの外へ出た。


 なんとか立ち上がる。地面は土とでこぼこした洞窟どうくつの岩肌で、素足に冷たく突き刺さった。

 気温はとても低くて、吐いた息が白くこおる。


 黄色い少年と向かい合う。

 彼は本当に小柄だった。背丈は私の胸の辺りまでしかない。

 子供にも老人にも見えるから正確な年齢は予想し辛いのだけど、たぶん十代の前半――十二歳か、高く見積もっても精々が十四歳くらいだろうと思う。


「―――あ、靴も貸してあげなきゃ駄目か。ごめんね、気が利かなくて。でも予備はないし、僕が履いてるのは流石にサイズが合わないよね……しょうがない。抱っこするよ」

「いっ、いえそんな! 大丈夫です! お気になさらずッ!」


 宣言通り、私を抱え上げようと両手を伸ばす黄色い少年――ロビン。

 私は慌ててかぶりを振って、申し出を辞退した。


 改めて私は、自分の身体を見下ろす。


 ……借りた外套マントは丈が短くて、立つと腰から下が見えてしまう。

 だけど元々着ていたと思しい服の残骸が腰の周りをおおっているので、ギリギリだけれど、なんとかなりそうだった。


 問題があるとすれば、服じゃなくて髪の方。


 私の頭から伸びて、ゆったりと地面に垂れて――それでもなお、黒い髪が棺の中を満たしている。自分でも引くほどのボリュームだった。

 しかも酷く乾燥しているし、ぼさぼさに傷んでしまっている。キューティクルもなにもあったものじゃない状態だ。

 とても他人ひとには見せられない。

 そんな女心を抜きにしても、このままでは移動すら困難だ。早急になんとかする必要があると思う。


「どうしよう……」


 ハサミ――ないしは、なにか切るものはないだろうか。


 辺りを見回してみる。


 目に入るのは、殺風景な洞窟。

 土と岩としもで覆われた世界。だけど不思議と閉塞へいそくかんはない。広々としているのもあるとは思うけれど――それ以上に、天井や壁、地面などが、青褪あおざめた色のあわい光を発しているのが大きい気がした。

 光があると安心する。

 これは私が、棺桶かんおけの中に長く閉じ込められていたから感じることではあるまい。きっと、人間なら誰しもがそうなのだと思う。


 ……それにしても、現実感のない場所だ。


 先程、私を襲った怪物達もそう。

 とても現実のものとは思えない。

 だけどここはどうしようもなく現実で、そこら中に散らばっている死骸も本物だった。

 そして私を助けてくれた少年。

 彼の容姿もそうだけれど、出で立ちまでもがあまりに浮世離れしている。まるでファンタジー小説に登場する冒険者みたいだった。


 外套がいとうを着ていた時は見えなかったけれど。

 彼の腰には、大小二種の剣が差してある。しかも、とても見覚えのある――実物を見るのはたぶん初めてだけど――代物だった。


「あの……ここは、どこなんですか?」


 おそるおそる尋ねてみる。

 ロビンは朗らかに答えた。


「ここは地球の“”――地上を追い出された幻想や御伽噺おとぎばなしが流れ着く、最後の秘境。現実と地続きの夢の国。幻夢郷げんむきょうドリームランドだよ!」

「夢の国……ドリームランド……」

「そう! そしてもっと正確に言えば――いま僕達がいるのは、幻夢郷ドリームランドの中で最も刺激的で、つ最も危険に満ちあふれた場所! 夢と冒険の地――その名も巨大地下迷宮、『深淵アビス』! ここはその深部、第八層の最奥なのさ!」


 お気に入りのオモチャを見せびらかすように。両手を広げてくるくると回りながら、周りの全てを指して、ロビンは謳い上げた。

 三つ編みが尻尾のように揺れ、流れている。

 金色の星を宿した蒼い双眸そうぼうが輝く。それは見るものを惹き付ける魔力をはらんだ、不思議な眼だった。


 まるで歌劇オペラを観ているような気分になる。


 そして紛れもなく、私は壇上に登っていて。その登場人物の一人になっていた。


 ここは現実で、そして夢の世界でもある。

 理解してしまえば、後は簡単だった。理不尽や不条理に思う部分は多々あるけれど、納得はできる。

 だって夢なんだ。

 現実だけど、夢。それならなんでもありってものだろう。


「―――でも、どうして私はこんなところに?」

「うーん……その辺りの事情は、結構人によりけりなんだよね。普段通りに生活していて普段通りに眠っただけなのに、この世界にいただなんて、そんなことがザラにあるから。その場合は現実で覚醒しさえすれば簡単に元の世界に帰れるんだけど……神隠しみたいに、なんらかの理由で肉体ごとこっちに転移しちゃう場合もあってね。そうなると元の世界に戻るのは一苦労なんだ」


 そこまで言ってから、今度は彼がこちらに水を向ける。


「ところでお嬢さんマドモアゼル、そろそろ君の名前を聞かせて欲しいな」

「う……ごめんなさい。私、自分が誰だか分からなくて……」


 後ろめたいことなんてなにもない筈なのに、思わずうめいてしまう。それだけ彼の上目遣いは強力だった。

 照れるような、嬉しいような、だけど背筋があわつような。そんな感じ。


 ロビンは、ピエロみたいに陽気に笑う。


「そっか! 謝らなくていいよ、むしろ大変なのは君の方なんだから。自分が誰だか分からないのって辛いよね。分かるとも」

「分かる……? 分かるって、貴方に、なにが?」


 思わず語気がきつくなる。分かったようなことを言われるのが我慢ならなかった。

 だけどそんな私の些細ささいな怒りも、彼は柳に風と受け流す。


「分かるとも。だって、もとを正せば僕も記憶喪失の異世界人だからね。その証拠にさ、ほら――僕が話してる言葉、聞き覚えがあったりしない?」


 言われて初めて気付き、私は愕然がくぜんとした。


 彼が言っていることは理解できる。きちんと意思疎通ができている。だけど、

 知識として存在を知ってはいるけれど、私には話せない言語。

 英語……は違う。舌の動きや細かなイントネーション、高頻度で繰り返し登場している単語や発音から察するに……フランス語、だろうか……?


 だけど私はフランス語なんて話せない。

 聞いても分からないし、読み書きなんて絶対に無理だ。なのに今の私には、彼の言っていることが正確に理解できる。

 頭の処理が追い付かない。

 どういうことなのか、意味が解らなかった。


「―――ドリームランドでは言語は意味を成さない。夢の国の名の通り、この世界は物理学が支配する物質世界よりも、もっと霊的で根源的な領域に存在している。だから使っている言語が違っても、魂で会話ができるのさ」


 出来の悪い教え子に言い聞かせるように、ロビンは言う。


 混乱した頭では、彼の言っていることが三分の一も飲み込めない。だけどそれでも、さっきの話を聞いていて気が付いたことがある。


 当たり前のものとして、私が使っている言葉。

 口にするだけでなく、頭の中で思考するのにも使用している言語。これは……―――


「―――そっか。日本語。そういえば私、日本語で喋ってる」

「その通り! なにも分からないなんてことはない、どんなに絶望的な状況でだって、人は前に進めるものさ! おめでとうお嬢さんマドモアゼル、見事にこれで一歩前進だね! 君はきっと日本人の女の子ジャポネーズだよ! だからほら、コレとかも見覚えがあるんじゃない?」


 そう言って、彼は腰にいた二本の差料さしりょうを強調する。


 ロビンは短い方の剣を抜き、私に手渡した。


 つばは黒、柄は黄色と青を基調としたこしらえ。刃金に波紋はなく、闇を凝縮したように黒い。反りによって美しく弧を描いたソレは、切先諸刃の珍しい造りになっていた。

 刃渡りは二尺五寸――約四十五センチメートル。

 世界中に愛好者がいるという、武器としても美術品としても優れた逸品。

 現物を目にするのは初めてだけど、間違いない。


「ジャジャーン! カタナでーす! これって日本人ジャポネの魂なんだよね! サムライもニンジャもゴクドーも、皆が皆、天下布武のため昼夜を問わずカタナを振り回して戦ってるんでしょ!? 世は戦国! 血で血を洗う修羅のちまた! 覇権を握るのは一体誰なのか――ああ、格好良いなぁ憧れちゃうなぁ! いつか行ってみたいなぁ、日本ジャポン!」


 うっとりと夢見心地で語るロビン。

 見ているだけで、本当に日本が好きなのが伝わってくる。そんな彼に対して、私は曖昧あいまいに頷くことしかできなかった。


 ―――言えない。


 もう何百年も前にさむらいも忍者も滅んでいて。

 極道も衰退の一途を辿っていて、大っぴらにドスを持ち歩いたりなんてしていない、なんて……言えない。言えないよ。


 居た堪れない気持ちで刀を見下ろす。


 ……あれ。そういえばこれ、刃物だ!


「あの、ロビン……さん」

「ロビンでいいよ。敬語も使わなくていい、自然体で話して御覧。―――さて。なにかな、お嬢さんマドモアゼル?」

「これで髪を切ってもいい……?」

「いいよー!」


 飛びっきりの笑顔で快諾された。


 少し迷ったけれど、意を決して刀を握る。そしてぼさぼさの髪を片手でまとめて、刃を入れた。

 スパスパと気持ち良く切れる。

 だけど量がすごいので、とても難儀した。切り揃えるのを諦めても尚、とんでもない労力が掛かる。

 髪を切ったり外套を羽織り直したりして手間取って、短くない時間を食っているけれど。ロビンは苛立った様子もなく、ニコニコと待ってくれていた。


 最後に前髪を切り落とすと、視界が開けた。

 私は無言で、指先で髪をまんでいじる。とりあえず膝の辺りの長さになるように切ったのだけれど、やはり不格好で不揃いな仕上がりになってしまった。

 今の私はもじゃもじゃ髪のお化けみたいな見た目になっていることだろう。はやく人間になりたい。


 この世界に美容室はあるのだろうか。

 あとでロビンに訊いてみよう。


 私は借りていた脇差を返そうとして――視界の端で動くものを見付けてしまい、硬直する。思わず刀の柄を強く握り締めてしまった。


 怪物が、近付いて来ている。


「―――おや。まだいたのか」


 肩越しに怪物の姿を確認して、ロビンは詰まらなさそうに言った。


 怪物は五体。


 先頭にいるのは先程のものと同じ、潰れた顔の獣人だった。だけどその後ろにいる四体は、違う種類の怪物だ。

 見た目は人間そのもの。

 だけど全裸で、雌雄のない真っ平な身体をしている。体型も男と女の性質をあわせ持っていて、筋肉質で、且つ丸みを帯びていた。


「―――GAAAAAAAAAAAHHHHH!」


 たけり、こちらへ向かって突撃して来る怪物達。

 恐怖で手足がすくんで動けない私とは違って、ロビンは極めて冷静だった。


 冷静――というよりも、冷徹。


 陽気で飄々ひょうひょうとした雰囲気は変わらないままなのに、流した視線があまりにも冷たい。

 更に強烈な殺気を放つものだから――私はただそばにいるだけだというのに――背筋に特大の氷柱つららを突き刺されじ込まれたかのような、すさまじい怖気に襲われた。


 彼は左手の人差し指を怪物達に向けて、素早く――だけど優雅に、虚空を走らせる。

 指先が、なにかの文字だか図形だかを描く。

 星座みたいな幾何学きかがく模様もよう

 その軌跡きせきは黄色いサインとなって、宙に残った。


 瞬間――風が吹き荒れた。


 先程と同じ現象、その再演。

 刃物の如き突風を浴びた五体の怪物達は、あっという間にバラバラの肉片に変わった。


「……すごい。今のは、魔法?」

「そうだよ。刻印サイン魔法っていうんだ! 今のは〈疾風グリフ〉の刻印で……―――お?」


 不意に、ロビンは虚空を凝視する。

 その様子といえば、丸っきり猫だった。


 どうかしたのかと尋ねようとした矢先に、第三者の声が響き渡る。


「―――やっと追いついたぜ。ったく、斥候スカウト置いて先に行く奴があるかよ、ボケジジィが」


 荒々しく吐き捨てられる憎まれ口。

 声がした方を見ると、黒い煙が立ち昇っていた。それは歩くように近付いて来て、少しずつ人型の実態を形造る。

 果たして、黒い煙は怪物になった。

 一見しただけならあの獣人と同じように見えるけれど、顔は潰れていないし、泥や血や黴の汚れもない。そして黒色の分厚い防寒具を身に付けていた。


 人語を話すことといい、出で立ちや雰囲気といい、先程の怪物達とは違うように私には見えるのだけれど……―――


「新手の食屍鬼グールだね。よし、殺そうか!」

「―――オイコラ! 待て待て待て! 洒落になってねぇんだよ止めろ! ふざっけんじゃねぇぞ、マジでボケてんのかテメェ!」


 毛皮越しにも分かるほど血相を変えて。

 食屍鬼グールと呼ばれた怪物は、全身の毛を逆立ててその場から大きく飛び退いた。

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