トイレになんか、隠さなければよかった。

藤田一十三

第1話

 暗い校舎に響く、息切れと、定まらない足音。

 非常灯が廊下に、影をのばす。何かをかついだ男の、長い長い影。

「・・・っ、はあ・・・っ」

 あいた肩で汗をぬぐうと、バランスが崩れてよろめいた。必死に姿勢を戻して、また一歩を進む。

 重かった。

 就職して十年。体育祭の時くらいしか、運動らしい運動をしていない。

 男の趣味は、パソコンゲームだった。

 生徒たちは、ファミコンとかいうはやり始めのゲーム機を、クリスマスプレゼントでねだるかお年玉で買うかと、そんな話をしているが、これからはパソコンだ、と、男は貯金とボーナスをつぎ込み、自室では時間の隙をみては雑誌に載っていたプログラムを打ち込んでは遊んで過ごしていた。

 今夜は宿直なので、パソコンはできない。しかし、宿直の日には、別の楽しみがある。しかし、それも今日で打ち止めになった。

 元々小柄で、非力な方だとは自分でもよくわかっている。けれど、この作業を人に頼むわけにはいかなかった。

 肩にかついだ女は、ひどく重たかった。彼女を抱えあげて交渉を持ったこともあるが、その時は重いと感じなかったのに。彼の腰に足を絡めてくれていたからというだけではないだろう。

 死体が重いという話は、本当だったのだ。

 女の裸体を抱えたまま、男は戸を押し開ける。一階の女性用トイレだった。

 中庭の照明が窓から入り込んでくるおかげで、明かりをつけなくても不自由はない。男は、事前に用意しておいた、手洗い場の奥の脚立によじのぼった。

 女子トイレの個室は三つある。そのうち、一番奥の個室に近い場所の天井に、点検口があった。

 苦労して、奥の個室のドア脇の仕切りの上に女の体を引っ掛ける。女の体は、しっかりと仕切りに食い込んで動かない。それを確認して、男は天井にある四角い板を動かした。

 点検口なので、男が上半身を入れるくらいのサイズはある。問題ないだろう。

外に明かりが漏れないよう、中に懐中電灯を突っ込んで梁の位置を検める。廊下などはボードを支えに載せただけの簡易な天井なのだが、トイレはきちんと板が張ってあり、廊下よりは丈夫そうだった。

 数日、もてばいい・・・。

 今夜は、天文部が泊まり込みで外をうろうろしている。拠点は体育館なので顧問も生徒も校舎に入ってくることはないが、車まで遺体を運ぶのは難しい。

 どうせ、独身の彼に、宿直を頼みこんでくる輩が出る。その時こそ、車を持ち込んで移せばいい。

 男はドア脇の仕切りに膝をのせ、女の死体を天井裏へ押し込む作業に移った。しかし、脚立だけでは足場が足りず、個室扉の上枠が頼りなかったので、個室の扉を閉めることにした。一度降りてモップをとってくる。個室のドアを閉めて、上からモップの柄を使って閂を通した。

 これで、ドアの上も足場にできるだろう。

 再び、死体を押し込む作業に戻る。

 ぐにゃぐにゃとした死体は、思うとおりに動いてくれない。

 足場も悪い。

 死体の一部を個室と手洗い場の間の仕切りに載せたまま、同じ場所を脚立と共に足場にしているのだ。動きにくいし女は重いしぐにゃぐにゃしているし、途中、何度も個室に落とし込んでしまいたくなったが、未来を覆う暗雲を思い、必死になって小さな穴に体を押し込む。

 なんとか肩を越えたら、今度は豊かな胸が邪魔をしようと垂れている。

 重くて持ち切れず、仕切りをまたがせたら、ぐちゃりと音がした。

 太腿にまでヌメリは流れ、乾きかけ張り付いていた。

 上に押し上げるために足の間を押すと、ぬめった場所に指がもぐる。そこはすでに冷たくて、ぞっとするばかりだった。

 息を切らして下を見たら、窓の下に、床下収納の扉のようなものが見えた。

 何か入れてあるのか? それとも、あれも点検口か?

 せっかく思いついた隠し場所だが、まだ三分の一も押し込めていない。床下なら簡単だろう。しかし、あの床下に入れられるかはわからない。

 あそこがダメでも、似たような場所を探せるかもしれない。

 普通の家には床下収納があることが多い。自分が知らなかっただけで、学校にだってあってもおかしくはないのだ。

 男は、女を再び仕切りに引っかけようと両足を個室側に回し、やっと通した女の体を引っ張る。点検口が壊れないように、慎重に引き抜いていった。

 肩が抜け、頭が抜けると、女は仕切りにうまく引っかかった形になった。男は点検口を守っていたので、最後は勝手に落ちるに任せたら腕がバンっと大きな音を立ててドアにぶつかり、びっくりした。

男は、天井の板を戻して蓋をし、床に降り立ってから、床下収納のような蓋を持ち上げてみる。

 やった。

 そこは、床下への点検口だった。

 深さは一メートルと少しくらい。トイレや手洗い関係の配管が見え、湿った土が見えた。

 この校舎はとても古い。今ならコンクリートで地面は見えないはずだ。いくら古いとはいえ、床下が土だとは思っていなかった。

 このまま掘って、埋めればいいんじゃないか?

 いや、いくらトイレとはいえ、腐臭が上がってきたらバレるかもしれない。

 いずれにしろ、スコップもない。今は、一時的に隠す場所があればいいのだ。

 男は、女の遺体を中に落とし込んだ。

 地面が沈んだ様子はない。

 脚立を降ろして、男も床下にもぐった。

 臭い。空気もこもっている。

 男は床上に顔を出して息を吸い込んでから、下に戻って女の体を足をつかんで二メートルほど引きずり、すぐに脚立を上って手洗い場に戻った。脚立を上に上げ、懐中電灯で下を見ると、女は引っ張られた姿勢のまま、こちらに腕を伸ばして真上の床裏に顔を向けていた。こちらではなく。

 手洗い場を見まわしたが、シートのようなものはない。そう都合よくあるはずもないが、一応、掃除用具入れをのぞいてみた。やはり、ない。

 男は諦めて、床の蓋を閉じると、脚立を畳む。地面が固かったようで、脚立の脚も汚れは見えなかったが、掃除用シンクで脚先を洗い、そこに引っかけてあった雑巾でぬぐい水気をとった。

 そうして、そうっと、女子トイレから抜け出した。

 宿直室に戻りながら、彼は新たな危機感に見舞われた。

 彼女の首を締めながら、彼女の中で果てた。

 彼女の死体がみつかれば、罪を犯したのが誰か、すぐにばれてしまう。

 洗って置けばよかった・・・。

 シーツにこぼれ出たので、もう中にはないだろうと拭いただけだったのだ。

 しかし、みつからなければいいのだ、と、彼は思い直した。

 床下に隠して置くのは数日のことだ。この棟の一階は事務室と家庭科室。ここは生徒使用禁止の職員と来客用の女性用トイレで、事務に女性職員はいない。まれに女性の来校者やたまたま通りかかった女性教師が使うだけだ。

 ほんの数日。あさっての宿直担当は妻子持ちな上に前職場が警備システムを導入していたためか、宿直を時代遅れだと敬遠しているし、三度替わってやったことがあるから、おそらくまた言ってくるだろう。

 二日、みつからなければ、大丈夫だ。

 自分を安心させるために、大丈夫だ、大丈夫だと念仏のように唱えながら、男は廊下を戻って行った。

 脚立を元の場所に戻し、宿直室へ帰ると、女の衣服や荷物を袋にまとめる。

 明朝、誰かが出勤してきたら着替えに帰ると言って自室に帰ろう、と男は思案する。

 明日は幸い、燃えるゴミの日だ。朝の八時半頃には回収にくる。それまでに捨ててしまえば、女の行方が知れないとわかった頃にはゴミはもう焼却されているはずだ。

 大丈夫、大丈夫。

 男は、念入りに布団や畳に残された髪の毛や陰毛を拾い集め、女の荷物と一緒に袋につめた。

 大丈夫、大丈夫。

 男は、女と交わり、女が絶命した布団に潜り込み、劣情をなぐさめてから、眠りについた。

 朝まで、ぐっすりと眠った。



 

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