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    へー、そうなんだ。への応援コメント

    興味深かったです。確かに否定には否定辞が必要ですし労力もかかるだろうしそれ相応の効果が認められないと否定する側も否定しないでしょう。そういう意味で否定が真実性を帯びていることは必要な条件だと思います(でないと反駁された時に否定が徒労に終わります)。私がふと思ったのは何を否定と見做すか、何を肯定と見做すかです。自分にとって肯定でも否定と捉えられてしまう文脈はあるから困りますよね。その場合どちらと述定するのかそれはケースによりけりだとは思いますが、どちらの言葉も結局は相対的なもので、究極的に言葉に肯定も否定もないような気がしました。それこそそこに見出される責任や覚悟によるのでしょう。長文失礼しました!おもろかったです

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!何を否定とみなし、何を肯定とみなすか。それについては、自分も深くは立ち入らなかったので再考の余地があると思います。この文章では、分かりづらいとは思いますが、「一般的」という言葉に責任を集約させています。否定や肯定がある種相対的であるのはその通りだと思います。しかし言葉は相対性を持って生まれたわけではありません。音声=意味の対応を絶対化するために生まれたものであると思います。そのため、相対化しているのは言葉というよりもむしろ人間の認識にあると思いました。

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