テンペスト・クベ版
稲富良次
第1話 「嵐の前に」
アバン
歯車が回る。真鍮の軋みが低く唸り、白い蒸気が艦橋の窓を曇らせる。
雲海の向こうで稲光が走った。空は怒っている。いや、笑っているのかもしれない。
プロスペローは計器盤に手を置き、深く息を吐いた。
「……来るな。この嵐の日に」
背後から、陽気な声が飛んだ。
「艦長、嵐って舞台装置ですよ。派手な幕開けってやつ」
アリエルが、オペレーションパネルに腰をかけ、
片手でレバーを弄びながら笑っている。
「舞台装置は計算できるものだ」プロスペローは低く返す。
「嵐は計算できません。だから面白いんじゃないですか」
「面白さで船は浮かない」
「浮かせますよ、僕が。だって僕、万能オペレーターですから」
通信機が甲高く鳴った。アリエルがスイッチを叩く。
『こちらアルカディア評議会。至急、テンペスト号の艦長と回線を――』
プロスペローの顔がわずかに強張る。過去の影が、蒸気の中で形を取る。
第1話冒頭
機関室は熱気に満ちていた。蒸気弁が唸り、圧力計の針が赤を指す。
キャリバンが怒鳴った。
「誰だ、弁をいじったのは! 安全弁を甘く見るなって何度言えば――」
「はいはい、落ち着いて」アリエルがひょいと現れ、笑顔でレンチを回す。
「落ち着けるか! この圧力で飛んだら、俺たち雲の上で花火だぞ!」
「花火も演出ですよ」
「演出で死ねるか!」
そのやり取りを、ミランダは階段の陰から見ていた。
彼女の視線は、怒鳴り声よりも窓の外の雲海に向いている。
白い世界。遠くで雷が光り、影が揺れた。
「……あれ、船?」
次の瞬間、通信機が割れた。
『こちら、スカイライナー号……遭難……誰か……』
声は若く、必死で、どこか澄んでいた。
それがフェルディナンドの声だと、まだ誰も知らない。
プロスペローは艦橋に戻り、計器を睨む。
「遭難信号だ」
アリエルが肩をすくめる。
「嵐の演出に、ゲスト出演ってわけですね」
「笑ってる場合か」
「笑わないと、嵐に飲まれますよ」
プロスペローは黙って、古びた操舵輪に手をかけた。
その指先に、かつての権力の重みがまだ残っている気がした。
だが今、彼が握っているのは、雲海を漂う一隻の飛行船の命綱だけだ。
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