第3話「AF-08d20:ヒト・アラーム/ep3」
■第3話「AF-08d20:ヒト・アラーム/ep3」
『了解した。R1、R2をバックアップしろ』
「……R1了解」
守屋が承認し、月華が従った。
まだ足元がふらつく兎乃の背を軽くひと撫でし、月華は兎乃の後ろに下がって油断なく両手で拳銃を下げた。
少しずつではあるが、洋室から聞こえてくるノイズと声は大きくなっている。
そろそろ月華の耳にも届いていてもおかしくない。時間の猶予はほとんどない。
兎乃は思い返す。
できることならば二度と思い出したくない、数分前に見た、数分後の記憶を。
直接の死因は分からない。ただ、あのノイズと声は間違いなく『良くない』。
音が聞こえなければ影響を受けないのだろうか。しかしここに防音装備は無く、ラジオは既に動いている。
それに一時的に聞こえなくなったとしても、それは解決とは言えない。
方法はどうあれ、最終目的はやはりノイズと声を止めないといけないだろう。
できるだけ細部まで思い出す。
私が前後不覚に陥っている時に、誰かの叫び声と銃声を聞いたはず。
あれが月華のものであれば、受ける影響には個体差があることになる。
物理的なものか精神的なものか、それまでは分からないが、遅延する手段はあるということだ。
しかし、遅延したとてどうやってラジオを止めればいい?
物理的に破壊、は難しいかもしれない。月華は何発も銃弾を撃ち込んでいた。
最終的に何発撃ったかは分からないけれど、マガジンひとつ分、拳銃弾十発でどうにかなる可能性は低い。
いやでも、例え壊せなくても、発するノイズと声を止められさえできるのならば、あるいは。
ダメだ、どれも確証がない。
もしかして、もう一度死ねば、また手がかりを持って――
そう考えた瞬間、死神の凍り付くような手が両頬を撫で上げたかのように、悪寒が走った。
あれを、もう一度?
嫌だ。無理に決まっている。
それに、次も『戻って来れる』保証はない。できなかったら全てがおしまいだ。
この一度で、何とかしなければならない。
【……のたなザザザッ遺体となって発けズズザ……】
この瞬間もノイズと声はボリュームを上げていく。ついに言葉らしきものも認識できてしまった。
考えている時間も、取れる手段も、ほとんどなかった。
それがあまりにも細く脆い橋であっても、兎乃には踏み出す以外の選択肢は残されていなかった。
「月華さん! そこで耳を塞いで! 私が合図を出すまで待って!!」
月華の方は見ないでそう言い放つと、兎乃は返事も待たずに洋室へと踏み込んだ。拳銃をホルスターに戻して両手を空ける。
叩くように乱暴に電気を点け、テーブルの上のラジオをはっきりと目視して大きく息を吸い込む。
【……ザザザ事故の事故お前の事……】
「うわああああああああああああああ!!!!!」
突然、兎乃は喉が割けんばかりに絶叫した。同時に両手で耳を強く塞ぎ、異音の侵入をできるだけ拒んだ。
死ぬ前に、月華は発砲していた。銃声は決して小さくない音を月華自身の耳に届けていたはず。
その分影響が遅れた。そう仮定し、時間稼ぎを試みる。
速足でテーブルに近付くと、ラジオに思い切り顔を寄せた。
時間稼ぎと矛盾するようだが、これは必要な行為だと判断した。
ノイズと声をできるだけ聞かないようにしながら、異音の発生源を確かめたかった。
できる範囲で位置を変え、二度三度と試してみる。間違いなく、異音の発生源はこのラジオだ。
早くも息が続かなってくる。
意図的に音を聞いたせいか、心拍数が上がりだすのを感じた。だが、まだ大丈夫。
確か、心臓とは別に、呼吸も苦しくなった。
ならばむしろこれが最後とばかりに一瞬だけ叫ぶのを止め、肺活量の全てを使って息継ぎをした。
その一瞬だけでも異音が耳に届く。鼻からどろりとした液体が流れ出たが、兎乃は少しも気にしなかった。
「ああああああああああああああああ!!!!!」
再び力の限り絶叫する。
耳を塞いでいた両手をフリーにすると、ホルスターから拳銃を取り出してラジオに銃口をぶつけた。
指が折れんばかりに拳銃を握りしめ、人生で初めてのトリガーを引き絞る。
一発。二発。三発。四発。
撃つ度に反動が肩を伝って全身を震わせる。
銃口が跳ねる度にラジオに弾丸がめり込む。外装が弾け飛ぶ。
確実にラジオの基盤とスピーカーが全損し、それでも異音は止まらない。
貼り付いたようにテーブルの上に鎮座するそれは、もはや砂粒程の疑念を抱く余地もなく、バケモノそのものだった。
止まらない。
塞ぐ手がなくなった両耳から、異音が容赦なく流れ込んでくる。
嫌だ。
心臓が、狂い出す。
拳銃を投げ捨てると、隣に置いてあった花瓶を掴み、力の限りラジオに叩きつける。
ガラス製の花瓶は衝突で粉々に砕け散り、兎乃の手と顔にいくつかの切り傷を作った。
止まらない。
どう見ても完全に壊れているとしか思えないラジオから漏れる死の異音が、兎乃の頭を溶かしていく。
呼吸の限界が来た。四肢から力が抜けていく。
動けるのはあと数秒だと、本能が告げる。
最後に。
本当に最後に。
ひとつだけ、思いついたことがる。
このAFが『ラジオであってラジオでなく、日常的であって日常的でない』存在なら。
本来音を出すスピーカーが、機構自体が『この世のものではない異音の核』じゃないのであれば。
この『送受信を担う部品』が、その境界を超えている『そのもの』なのではないだろうか?
そう思考する時間は本当にあったのだろうか。
実際にはほぼ無意識と言っていい刹那、兎乃は全損しているラジオ本体ではなく、上部に折りたたまれているアンテナに手を伸ばした。
最後の力でアンテナを引き延ばす。
その瞬間、ノイズと声は、最早絶叫程度ではかき消せない程にボリュームを跳ね上げた。
兎乃の体が崩れ落ちる。
もう声は少しも出ない。月華に合図を送りたくても、指先ひとつ動かせない。
ああ、また死ぬんだ。嫌だな。
そんな笑えないことぐらいしか考えられなくなって。
歪んでいく視界の中。偶然玄関に顔が向いて。
膝立ちで姿勢を固定しながら拳銃を構える、月華が見えた。
朧気に瞳に映ったその表情は、苦痛に歪み鬼のような形相だったが、口の端は確かに笑っていた。
次の瞬間、異音を切り裂くように鮮烈な銃声が、二発分轟いた。
* * *
体の中心が燃えているように熱い。
まるで息継ぎなしに五十メートルを泳ぎ切ったかのように、全身が酸素を欲している。
心臓が震える音が、体全体に響いているのが分かる。
だけどそのペースは、もう正常なレベルに戻っていた。
上体を抱え起こし、無線に向かって何かを伝える月華がぼんやりと兎乃の視界に映った。
「ハスミ! 聞こえるか!? 返事をしろ!!」
上体を支えたまま、軽く頬を叩かれる。
あんまり揺らさないで欲しいなと思いながら、兎乃は力なく笑顔を作って見せた。
「……聞こえ、ま゛す。わたし、生きてま゛す……か?」
壊れた喉から出る、掠れた声。
それでも確かに、その声は兎乃から月華へと伝わった。
月華はほっとした表情を見せ、ようやく落ち着いた様子で無線に告げる。
「R1、R2の生存を確認」
『本部了解。……二人とも、よく生き残った』
守屋の声が聞こえる。後半の声には、確かな安堵と喜びの気持ちがあった。
「……これで、帰れま゛すか……?」
「ああ、誰にも文句は言わせねえよ」
兎乃の脈を計り身体の異常を確認しながら、月華は優しい声色で言う。
「本部、こちらR1R2。目標の無力化に成功。これより帰還する」
『本部了解。帰還を許可する。事後対応はSPOOに任せろ』
月華は守屋との通信を終えると、自分と兎乃の骨伝導ヘッドセットを外してダンプポーチに突っ込み、肩を貸すように兎乃を立たせた。
「ちょっと休憩してから帰ろうぜ、相棒」
兎乃は疲れ果てて返答できず、代わりにへらっと笑って、親指を立てた。
* * *
時刻は夜八時。
『交通規制』のおかげで相変わらず人っ子一人いない住宅街。
月華は兎乃を背負ったまま、バンが停めてあるコインパーキングへと戻った。
有難いことにパーキングには近くにベンチが設えられてあり、二人はそこで休んでいた。
プレートキャリアやベルトは外され、バンに放り込まれている。
月華は上半身はTシャツ一枚になっており、ベンチに横になる兎乃の体には月華のジャケットがかけられていた。
「乾杯、と行くにはアルコールがねえけど」
月華は寒がる様子もみせず、自動販売機で買ったホットはちみつ飲料のペットボトルを兎乃の頭の横に置いた。
自分は缶コーラのプルタブを開け、一息に半分ほどを飲み干す。
兎乃は横たわったまま、まだ暖かいペットボトルを両手で包むと、そっと顔に押し当てる。
「……何があったか、聞かないんですか?」
「お前が言いたくないんなら。聞かねえ」
月華だって死にかけたはずなのに、本当に追及する気はないと、その顔が語っている。
そんな月華にだからこそ、兎乃は話してみてもいいかなと、そう思った。
「多分……あの時私は死んだんだと思う。でも、死にたくなくて、死にたくなくて。それで」
突然のパニックからの、突然の独断先行。
詳しく語られずとも、月華にはある程度の検討はついているのだろう。
『そんなことはあり得ない』なんて、AFと対峙する自分たちが言えるはずもないのだから。
「で、逃げ帰ってきた?」
空になった缶コーラを掌で転がしながら、月華はにやりと笑って言葉を継ぐ。
「逃げ帰ってきた。ふふ。そうですね、そうなんだと思う」
どこか自嘲的に笑った兎乃を見ながら、月華は兎乃の栗色の髪をそっと撫でた。
その仕草は、普段の月華からは想像できないぐらい優しく、繊細だった。
「お前の名前さ、兎乃って『ラビット』って意味なんだろ。ピッタリじゃねえか。逃げて、逃げて、逃げまくってやれよ。そしたら最後に立ってるのは、やっぱりお前だ」
兎乃はどこか驚いたように月華を見上げた。
「……逃げるのって、よくないことじゃ、ないのかな?」
そんな兎乃の疑問を、月華は一瞬で笑い飛ばす。
「全然ないよ。生きてりゃ勝ちだ。むしろ誇っていい。他の誰もが認めなくたって、あたしが認める。――なあ、『ラビ』」
最後に発せられたその単語が自分に向けられた愛称だということに気付いた瞬間、兎乃は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、月華さん」
「『ユエ』でいいよ。友達はそう呼んでた」
「……ありがと、ユエ」
「呼んでた」という言葉にどれだけの意味が含まれているか、兎乃には想像できなかった。
それでも、月華が自分のことを友達だと言ってくれたことは、とても嬉しかった。
月華は立ち上がって空の缶コーラをゴミ箱へ放り込むと、思い切り伸びをした。
「それじゃ、帰りますか。クソッたれの職場に」
「……そうだね。クソッたれの職場に」
月と兎は、そう言って二人で笑い合う。
兎乃が抱いたペットボトルは、まだ変わらず暖かかった。
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本話は、初日連続投稿の3話目です。
毎日20:30に更新をしていく予定です。
投稿初日のみ、10分の間を空けて計3話を投稿させて頂きます。
投稿2日目は、10分の間を空けて計2話を投稿させて頂きます。
以降は本編を1日1話で1章分連日投稿し、その後インターバルストーリーを1日1話か2話ずつ投稿の形を、最終話まで継続する予定です。
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