第4話 飯塚さん
俺はバイト先や今後の就職のことを考えて、新たに口座を作るために銀行にきていた。
自分で手続きする初めての契約に、少し緊張した。
行員に言われるまま、書類にサインをしていく。
「では、以下の確認事項をご確認の上、チェックをお願いいたします」
はいはい。了解です。
軽い気持で読み進めていくと、ある文言で俺の動きは止まった。
『普通預金を新たにお申し込みいただくお客さまには、お申し込みの際にお客さまが現在および将来にわたって暴力団等の反社会的勢力に該当せず、かつ、暴力的な要求行為等を行わないことを表明および確約していただいております』
……友人は関係ないよね?
勢力はないし、暴力的行為もいたしません。
……大丈夫、きっと大丈夫…なはず。
俺はチェックを入れた。
銀行口座一つ作るだけでも、緊張するとは思わなかった。
無事に口座開設を終えると、俺は午後から紬と会った。
家の近くの喫茶店。
俺のマンションからも紬の実家からも近いので、よく利用している喫茶店だった。
紬は用事があったので余り時間がなく、少し会話をするだけのつもりで座っていると、途中で南さんから電話が入った。
「うん……うん……。分かった。ここで待ってる。でも、あたしこのあと用事あるから長くは駄目だよ」
ピッと電話を切ると、俺は
「何の用事?南さん?」
と尋ねた。
「なんか、渡したい物があるからここで待ってろって」
ふーん。
まぁ、そう言う事なら待ってみよう。
ジュースを飲みながら座っていると、10分程で南さんはやってきた。相変わらずの高級車だ。
近くの駐車場に停めると、車を降りて南さんと舎弟がやってきた。
舎弟の方は初めて見る顔だった。
「よう、お二人さん。悪いな。デート中に。紬、ちょっとこっち来い」
手招きされて、紬は素直に従った。
少し離れた席で2人が腰掛けると、紬は紙袋を見せられた。中身を見て何やら驚いているが、南さんの方は笑っていた。
なんだろう?そこまで紬が喜ぶ物って少ない気がする。
俺がそんなやり取りを見ていると、舎弟が近づいてきた。
何も言わずに、すっと俺の向かいに腰掛ける。
なんでここにきたの?
俺は何故か対面することになった舎弟さんと、目を合わせた。
分かりやすいスキンヘッドにスーツ。いかにも、なヤクザだった。
スキンヘッドさんは何も言わずに、俺をただ見ていた。変な汗が出てくる。
俺は無言で見つめられることにか耐えかねて、
「あの……何か?」
と尋ねた。
やはり南さんよりも舎弟の方が怖い。我ながらビビり過ぎだろうか?
「私は飯塚と言います。南さんの側近です」
飯塚さんは俺に頭を下げて挨拶した。
落ち着いた声の人で、声優としてもやっていけそうだと思った。
「大岡です。はじめまして」
会釈すると、飯塚さんはいきなり言った。
「大岡さんは、アニキをどう思ってます?」
初対面の挨拶の後、かなり難しい質問を投げられた。
……うーん。彼女がヤクザと親交がある事を言っているのか?
こうやってたまに会って、ヤキモキしないのか。
彼女が裏社会と繋がる危険を考えないのか。
俺自身もヤクザの世界に片足突っ込んでいる事を、よしとするのか。
こんな所だろうか?
俺が思いつくのはそれで全部だった。
あとは南さんの人間的な性格とか?
「あの、どういう意味で聞かれてるのか意図を図りかねるんですが……」
「時間がないと聞いたので、単刀直入に聞いてみました」
時間ないのは俺じゃなくて紬なんだが。まぁいいか。同じようなものだ。
「南さんをどう思ってるか……。うーん、俺は特になんとも」
「なんとも?」
「正確には、紬の1人の友人として親交がある人、と思ってます」
飯塚さんは表情一つ変えなかった。全く心中が読めない。ポーカーフェイス凄いな。ちょっと見習いたいまである。
「10年来の付き合いですし、紬が南さんを信用しているなら、俺も信じます」
飯塚さんは変わらずに俺を見ている。ずっと真顔。
頼むからなんか喋ってくれ。
「南さんは話てて、何というか……。怖くないんですよね。むしろいい人。紬を傷ける事はしないし、巻き込まないように気を使ってくれてます」
「アニキと紬さんはそうかもしれん。でも、あなたにとっては?彼氏としていい思いはしないのでは?現に今日もデート中、急に割って入ってきた。それに対して文句はないと?勝手にプレゼントを渡しても?」
「デートの度に毎回じゃないし、プレゼントもいいですよ。紬が喜ぶ物を渡してくれるなら」
「南さんはヤクザですよ?」
「そうですね」
「彼女がヤクザと親交あっても、気にしないと?」
「紬が最初に出会ったのは迷子のオジサンでしょ?ヤクザって事も知らなかった。その関係性のまま、今も続いてる。俺はそう思ってます。ヤクザって知っても、紬が離れてないって事は、南さんはいい人です。俺にとってはそれで十分です」
俺が話終わると、飯塚さんは深く嘆息した。
「……そうですか」
少し口の端を上げて笑っていた。少し表情が緩んだ。
「紬さんとアニキが親交があるのは知ってました。最初はロリコンかと思いましたよ。ヤバい性癖の持ち主って」
舎弟が随分と言うな、と俺は驚いた。俺にそれを言っちゃっていいんですかね?
「じゃけど、ロリコンじゃなかった。遠くから紬さんを見て、たまに会話して。それが10年続いた。一般人の、かなり年下の女の子と10年ですよ?アニキは『トモダチ』とずっと言てました。俺等舎弟も、その言葉を今は信じとる。何の下心もなく、純粋に友人として親交があるんじゃと。紬さんとの関係値はそのままでええ。俺らはそう考えて見守ってきた。オヤジも承知の上です。じゃけど、大岡さん。あんたは違う」
飯塚さんは鋭い目で俺を見た。射抜かれそうな目だった。心臓に悪いんだけど。
「あんたは紬さんのただの彼氏。ほんの半年付き合っとるだけの。アニキを歓迎しないはず。自分の彼女をつけ回してる変態オヤジと見るんじゃないか。ひいては、紬さんにも同じ視線を向けて傷つけるんじゃないかと。俺らが10年静かに見守ってきた2人の心を苦しめる存在なんじゃないかと、心配やった」
そこまで言うと、飯塚さんは目元を柔らかくした。笑った訳では無いが、子煩悩な父親の様に目を細くした。
「あんたなら大丈夫でしょう。アニキをヤクザとしてではなく、紬さんの友人として見てくれる」
この人にとって、南さんは大事な人なんだと思った。
この人だけじゃなく、他の舎弟や組長にとっても。
凄く親しまれているんだな、南さん。少し羨ましい。
「飯塚さん達にとって、南さんは大事な人なんですね。いい組ですね、皆さんの所。ちょっとだけ羨ましい」
飯塚さんは驚いたように繰り返した。
「羨ましい?」
俺は頷いた。
「信頼関係がちゃんとある。友人関係とも会社のつながりとも違う信頼関係が。家族に近いんかな?そんなコミュニティにいれることが、羨ましいです」
飯塚さんは目を見開いて、とても驚いて俺を見た。そんなにおかしい事を言っただろうか?
「ヤクザが羨ましですか?」
「別にヤクザだからって訳じゃないですよ。皆さん、そこに拘りすぎじゃないですか?家族関係のような信頼のあるコミュニティに属せていると事が、羨ましんですよ」
それを聞くと、飯塚さんは笑った。
声を出してわはははっと、天を仰ぐようにして爆笑していた。
俺は呆然とそれを見た。そこまで爆笑することなんだろうか?
ひとしきり笑うと、飯塚さんは随分と人間らしい表情になった。ものの10分前に話しかけてきた人と、同じ人間とは思えないほど顔が変わって見えた。
「いや、こんな人間もおるんやな。世の中って面白いわ。大岡さん、あんたはええ人やな」
俺はハテナ、の顔をした。何やら気に入ってくたらしい。
「……それはどうも?」
「これからもアニキを頼みますわ」
歯を見せて笑う姿は、健全な青年に見えた。せいぜい25、26歳のようだ。なんだ、あんまり俺と年齢は変わらないのか。
そう分かると、少し肩の力が抜けた。
飯塚さんは気分良く立ち上がると、
「ありがとう御座いました。いい話が出来た」
と言った。
「飯塚さんって何歳ですか?」
「26です」
「俺と5歳しか違わないんですね」
「社会人の5歳は大きいですよ?特にヤクザの世界では」
そうなのか。上下関係が厳しいのかな。
「もっと年上かと思ったんです。でも、笑ったらぐっと若く見えた」
「……そうですか。なら、少し年上のお兄さんとでも思って下さい」
「はい、そうします」
飯塚さんは南さんの方へ歩いて行った。
俺も紬を迎えに行くため、その後ろをついていく。
紬は何やら興奮していた。紙袋の中身が気に入ったらしい。
「紬。そろそろここ出発せんと。家族と予定があるんじゃろ?」
「えっ、もうそんな時間?南くん、ありがと!大学の友達にも貸すわ!」
紙袋を抱えて嬉しそうにはしゃいでいる。
なんだ?友達と貸し借りできる物だったのか?
俺は紬の鞄を持つと、南さんと飯塚さんに会釈した。
2人は手を上げて俺達を見送ると、車の方へ歩いて行った。
俺の横でルンルン気分で歩いている紬に、声をかける。
「そんなにいいもの貰ったん?」
「友達が面白いって言ってから、気になっての!ほら、BL漫画」
俺は吹いた。この間の続きになるとは思ってなかった。
「……それ、大学に持っていって貸し借りするん?」
「みんなしとるよ?」
芸術家コースはどうなってるんだ?いや、芸術家コースだから、なのか?
「まぁ、紬が嬉しいならええけど……」
「嬉しい!」
はしゃぐ姿を見て、俺は何とも言えない気持ちになった。
……まぁ、いいか。喜んどるし。
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