第55話 商人ギルド登録
その日のうちに、話は動いた。
僕が一言「任せる」と言う前に、ハーティーが段取りを組み、ミアが護衛の手配を済ませ、エドワードが必要な書類と馬車を用意していた。
アンナさんとミッシェルは、僕の屋敷に住んで、ハーティーの管理下に置かれることになった。
安全のためだ。
僕の霧の森は隠れるには最強だが、王国の中で商売を回すなら「正規の背骨」が必要になる。商人ギルドと関所と税の仕組みを、正面から越えないといけない。
アンナさんが僕に頭を下げる。
「領主様……本当に、よろしいのですか?」
「ああ。君が前に出るための場所だ」
「……はい。必ず、成果を持ち帰ります」
ミッシェルが僕の袖を掴んだ。
「また、トランプ……できる?」
「できるよ。約束する。……お母さんの仕事が上手くいけば、もっとね」
ミッシェルが小さく頷き、アンナさんの手を握り直した。
ハーティーが前に出る。
「行きましょう、アンナさん。ミッシェルさん。……あなたたちの居場所を手に入れるために」
♢
商人ギルドの扉は、冒険者ギルドと違って静かだった。
酒臭さも怒鳴り声もない。代わりに、重い空気がある。金の匂い。契約の匂い。借金の匂い。
入口の衛兵がハーティーの姿を見て、すぐに頭を下げた。
「ジスタン侯爵家の御令嬢。お通しします」
僕はフードの影に顔を沈めたまま、半歩後ろに立つ。
鎌は持ち込まない。ここは武器より言葉が刺さる場所だ。
アンナさんは緊張しているのが伝わってくる。
ミッシェルは、母の手を離さない。
通されたのはギルド奥の会議室だった。
長い机。革張りの椅子。壁に掛けられた天秤の紋章。
座っていたのは男が数人。服は地味だが、指輪と視線だけが高価だ。貴族のように威張らない代わりに、相手を値段で測る目をしている。
中央にいる、白髪混じりの男が口を開く。
「ジスタン侯爵家のハーティー様。本日はどのようなご用向きで」
ハーティーは椅子に座らない。立ったまま、堂々と胸に手を当てた。
「商人の登録です。私の名で保証します」
商人たちの空気が変わった。
「保証……?」
「はい。こちらのアンナを、私のお抱えとして登録し、ジスタン侯爵家の専属取引窓口として扱っていただきたい」
アンナさんが一歩前に出て頭を下げる。
「アンナです。娘のミッシェルと共に、各地を回っておりました」
ギルドマスターが、乾いた笑みを浮かべた。
「侯爵家がお抱えに? ずいぶんと急ですね」
「急がねば、守れません」
ハーティーは一歩も引かない。
「アンナは盗賊に襲われ、夫を失いました。にもかかわらず、商人として生きる意思を持っています。……私は、その意思を買うことにしました」
商人たちが、互いに視線を交わす。
慈善で動く人間ではない。
慈善だけでは動かない人間たちだ。
だから、ハーティーは次の札を出した。
「加えて、ジスタン領に新しい取引品が入ります。安定供給が可能です。……商人ギルドの利益にもなります」
ギルドマスターが眉を上げた。
「取引品?」
「香辛料です」
その一言で、空気が張り詰めた。
香辛料は、この世界では贅沢であり、税であり、権力だ。
商人の一人が口を挟む。
「香辛料は既に流通しています。侯爵家が今さら?」
「今さらではありません」
ハーティーは淡々と答える。
「質が違います。量も、安定性も」
僕は足元の箱を、机の上に置いた。
商人たちの視線が一斉に箱へ集まる。
ハーティーが顎で僕に合図した。
僕は箱を開け、小瓶を三つ並べた。
塩。胡椒。砂糖。
商人たちの目が、まず塩で止まって、次に胡椒に吸い寄せられ、最後に砂糖で凍った。
「まずは胡椒を鑑定してください。ギルドの基準で」
ギルドマスターが手袋をはめ、瓶の栓を開ける。
香りが立った瞬間、商人の一人が喉を鳴らした。
「……強い」
「純度が高い……混ぜ物がない」
「こんな胡椒……王都でも、そうそう……」
ギルドマスターは一粒だけ皿に落とし、指で潰して、香りを確かめた。
そして、静かに言った。
「……金貨と同じだ」
商人たちがざわつく。
「金貨一枚で胡椒一瓶?」
「冗談だろ」
「いや……この香りなら……」
ハーティーはそこで一度、塩の瓶を指で弾いた。
「塩はこの世界にもあります。価値は最大ではない。ですが、安定供給できれば商いが広がります。生活に入ります。宿屋、食堂、保存食……」
商人たちは塩を見て、現実に戻る。
最大の儲けではないが、確実な回転。
ギルドマスターが頷いた。
「塩は量が大事です。供給の線があるなら、商いになります」
ハーティーは、最後の瓶を差し出した。
「次に、砂糖」
ギルドマスターの目が細くなる。
「砂糖は危険だぞ」
「承知しています。だからこそ、ギルドの管理下で扱いたい」
ギルドマスターが栓を開け、瓶の口に鼻を近づける。
顔が一瞬で変わった。
驚き。次に、恐怖。
「……白い。濁りがない。粒が揃っている。……まるで雪だ。黒砂糖しか見たことない。なんだこれは?」
商人の一人が唾を飲む。
「そんな砂糖、見たことがない……」
ギルドマスターが瓶を机に置いた。
そして、低い声で言った。
「金貨数十枚の価値がある」
室内が、沈黙する。
誰もが計算している。
誰もが奪い方を想像している。
だからこそ、ハーティーが矢面に立つ。
彼女は、微笑んだ。
「だから、こそ。ジスタン侯爵家の名で保証します」
商人たちが動きかける。
言葉が飛びそうになる。
だが、ハーティーは一枚の紙を机に置いた。
侯爵印付きの保証状。
「アンナは、私の窓口です。彼女に手を出すことは、ジスタン侯爵家に手を出すことと同義です」
ギルドマスターが、紙と瓶と、ハーティーを交互に見た。
そして、ゆっくり頷いた。
「……登録を受理します。ジスタン侯爵家お抱え専属商人として、アンナを商人ギルドに記録します」
アンナさんの肩が、わずかに震えた。
ミッシェルが母の手を握り締める。
ハーティーは息を吐かず、最後まで貴族の顔のまま言った。
「取引所も用意してください。小さくていい。目立たない場所。……最初の流通は、そこだけにします」
「わかりました。ですが、登録する以上は商人ギルドに手数料はいただきます。こちらも勝手に広げない」
さすがは商人だ。ただでは転ばない。ギルドマスターの言葉が、重い。
ハーティーは頷き、最後に僕の方へ視線を向けた。
僕は何も言わない。言わない方がいい。
ここは、ハーティーが矢面に立つ場だ。
そして彼女は、立ったまま勝った。
アンナさんが、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「礼は結果で返して」
ハーティーは静かに言った。
「あなたが稼げば、あなたの娘が守られます。……それが一番の礼です」
商人ギルドの空気が、少しだけ変わった。
弱い母子ではなく、侯爵家の看板を背負った商人として見られる空気に。
僕は胸の奥が、少しだけ温かくなるのを感じた。
守る方法は、戦うだけじゃない。
紙と、印と、言葉でも守れる。
王国のやり方で、皮肉にも。
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