第45話 異世界の街並み
午後からは、ジスタン領内を散策するために、屋敷を出た。
ジスタン領内の建物は石作りが多く、匂いが濃くなる。
そこに生活する人の匂いが混じる。焼いた麦と、獣脂と、香辛料の甘い刺激。
馬の蹄。荷車の軋み。呼び込み。笑い声。鍛冶場の金属音が、遠くで規則的に鳴っている。
僕は思わず、口元を押さえた。
異世界の街。綺麗な石畳が、足の裏に硬さを返してくる。
「領主様、こちらです」
前を歩くのはハーティーだ。今日はドレスではなく、外出用の乗馬でもきそうなパンツスタイルの衣装。ボロボロだった姿や捕虜などがあったが、改めて整えられたハーティーは上品で美しい女性だった。
その半歩後ろにミアも続いている。赤髪を束ねハーティーと同じ動きやすい衣装で、腰には剣を携えている。
屋敷にいる際のメイド服とは違う従者の制服なのだろう。
僕の隣にはリア。メイド服を着て従者としての姿勢を伸ばしている。ただ、ハーフエルフは視線が集まる。耳に。首元に。彼女を見ている。
少しだけ嫌な気分になるが、この世界の常識として、亜人と普通の人は別だと考えられていることをエドワードが教えてくれた。
思想の違いを僕が咎めても何も始まらない。
だから、気分を変えるため。
「……すごいな」
僕が小さく呟くと、ハーティーが振り返って微笑んだ。
「初めて見る方は、皆そう言います。ジスタン領の城郭都市は王国でも整っている部類ですから」
整っている……路地は狭く、石壁の家々が寄り添うように並び、二階から洗濯物が突き出している。窓辺には鉢植えのハーブ。猫が平然と樽の上で寝ている。子供が走り回り、パンの端っこを齧りながら笑っている。
……どこか古き田舎の街並み、僕の印象はそんな感じだった。
絵じゃない。匂いがある。生活がある。だけど、発展していない。
「領主様、まずは市場へ。ここが一番、街を理解できます」
ミアが言う。真面目に仕事モードだ。
角を曲がると、そこはもう別世界だった。
露店、露店、露店。布を張った簡素な屋台が並び、肉の塊が吊られ、野菜が山のように積まれ、干し魚が陽に照らされている。
「香辛料! 南の香辛料だよ!」
「革靴! 旅人向けの革靴!」
「今日のパンは焼き立てだ!」
声が波みたいに押し寄せる。
僕の視線が止まったのは、野菜でも肉でもない。
角に置かれた、小さな瓶。淡く青い液体が揺れている。
「それは治癒薬です」
ハーティーが当たり前みたいに言う。
「……露店で売るんだ」
「はい。品質はピンキリですけれど。軽い切り傷や打撲程度なら、一般の方も買います」
「へぇ……」
現代の薬局みたいなノリで回復薬が売られているの、だいぶおかしいのに。誰もおかしいと思っていない。
露店の一つで、金属の小さな札が並んでいた。刻印入り。穴が空いていて、首から下げるのにちょうど良い。
「それは身分札です。商人や職人が、所属や資格を示すために使うことがあります」
リアが小声で教えてくれる。視線は下。従者の演技を崩さない。
通りを抜けると、少し広い区画に出た。看板が、やたら大きい建物が見える。
剣と獣の頭骨が交差した紋章。
入口には武装した人間がたむろして、掲示板の前で言い合っている。
「ここが冒険者ギルドです」
ミアの声が、ほんの少しだけ硬くなる。
「冒険者は、魔物の討伐を生業にする者たち。依頼を受け、森へ入り、素材を持ち帰り、報酬を得ます。……傭兵とは違います。傭兵は人を殺します」
「冒険者は魔物専門、か」
「はい。もちろん灰色の者もいますが……建前としては」
建前があるのは、どの世界も同じだな。ギルドの扉が開いた瞬間、酒と汗の匂いが飛び出してきた。
笑い声。怒鳴り声。椅子を引く音。
壁には魔物の絵と、賞金額。討伐数のランキングみたいな紙。
物語や映像でしか見たことない光景が、僕の目の前に広がっている。
今回は街の散策なので、入らなかった。
代わりに、隣の建物を見る。
天秤の紋章。
「商人ギルドです」
ハーティーが説明してくれる。冒険者ギルドとは空気が違う。入口の衛兵がきっちり立って、服装も綺麗で、言葉遣いも丁寧だ。人間の怖さがあるのは、こっちだな。
「商人ギルドは税にも関わります。街の血管です。逆らうと面倒です」
「了解。絶対に敵に回さない」
僕が即答すると、ミアが妙に納得した顔で頷いた。
「……領主殿は、やはり戦うより避けるのがお上手い」
「面倒は嫌いなんだ」
さらに奥には、槍の紋章が掲げられた建物。
そこは腕の良さが看板に出ていた。入口で腕組みしている連中の目が、もう戦場のそれだ。
「傭兵ギルドです」
ハーティーの声が少しだけ冷える。
「戦争の時はここが膨らみます。平時は護衛依頼や、魔物掃討の補助も」
「……人間相手の仕事も、ってことか」
「はい」
僕は視線だけで済ませた。
ここは近づかない。
露店に戻ると、今度は別の異世界があった。
魔物素材。牙。爪。硬い皮。鱗。骨。黒い角。
どれも、生々しい。しかも、値段が高い。
「……これ、売れるんだ」
「魔導具や武器、防具の素材になります。薬の材料にも」
「じゃあ、冒険者は命張って取りに行く理由もあるわけだ」
「そうです」
ミアが淡々と言い切る。
その横でハーティーが、店の前でしゃがみ、素材の質を見ている。令嬢がやる動きじゃないのに、堂々としている。
「ハーティーは、こういうの詳しいの?」
「領主の娘ですから」
それだけで済ませるのが、妙に格好いい。
歩いていると、子供がぶつかってきた。
「うわっ、ご、ごめん!」
僕が反射で手を伸ばすと、子供は僕の鎌を見て固まった。
その目が、怯えに変わる前に。リアがすっと前に出て、子供の帽子を拾って、優しく渡した。
「気をつけて。……転ぶと危ないよ」
その声が柔らかすぎて、子供はぽかんとしてから、頷いて走り去った。
周りの大人が、僕とリアを見て、ひそひそと囁く。
「……奴隷なのに、扱いが丁寧だ」
「チッ、触れるだけでけがわらしい」
「子供が穢れた……」
勝手に話をする。僕はため息を吐きたくなったが、吐いたら負けだ。
そういう空気で生きている街なんだ。
「領主様」
ハーティーが、少し楽しそうに言った。
「噂は勝手に育ちます。……育つ方向を、私が誘導します」
「頼もしいな」
「任せてください。慣れていますから」
それを慣れって言えるの、やっぱり侯爵令嬢だよ。
街の中心へ近づくと、石畳がさらに綺麗になり、建物の高さも揃ってきた。
道の端には小さな祠。人々が指先で胸の前をなぞり、祈るような仕草をして通り過ぎる。
宗教。エドワードが言っていた神々の叡智。この世界の背骨みたいなものが、街の端々に刺さっている。
僕は歩きながら、頭の中で整理した。
ここには冒険者がいて、商人がいて、傭兵がいる。人が生きるための仕組みが、ちゃんと回っている。
でも、その仕組みの下に切り捨てられる子供がいる。
アルマたち無能者と呼ばれる子供。
ハーティーが怒る理由も分かる。
僕が怒る理由も、ここなら増えていく。
「……拠点をもらったのは正解だったな」
何気なく呟いたつもりだった。なのに、ミアが即座に背筋を伸ばした。
「領主殿は、やはり先を見ておられる……この街の構造を見て、次の手を打つために」
「え、いや、そこまでじゃ」
「そこまでです!」
リアまで、きっぱり言う。ハーティーが、口元を手で隠して笑った。
「領主様。……いえ、ヤマダ様はどうかお導きください」
三人の個性的な美少女に囲まれながら、僕はジスタン領を歩いて僕が持つ鎌の重さを知った気がする。
知らない世界。
知らない常識。
知れば、守れる。
「よし。次はギルドの中も、もう少しちゃんと見たいな」
「かしこまりました。……ただし、危険な相手もいます。選別が必要です」
「うん。そこは二人に任せる」
僕が言うと、ミアが胸に手を当て、真面目に頷いた。
「任せてください。私の剣は、護衛のためにあります」
「私は……案内のためにあります」
ハーティーが当たり前みたいに続ける。
リアは小さく笑って、僕の袖を指でつまんだ。
「私は、領主様の従者です」
……この状況、完全に僕がすごい人扱いされてるんだけど。
僕はただ、異世界の街にビビってるだけなのに。石畳を踏む音が、やけに軽く響いた。
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