幼馴染が恋人になる前に、三人の妹が全力で邪魔してくる件

とっきー

第1話 幼馴染が近すぎる朝、妹たちは動いた

「おはよう、桜火」


 玄関を開けて一歩外に出た瞬間、聞き慣れた、けれど何度聞いても少しだけ心拍数が上がる声がした。

 門扉のそばで待っていたのは、佐倉凛華。物心つく前からの幼馴染であり、最近、周囲から「お前らもう付き合っちゃえよ」と呆れ混じりに言われる頻度が急上昇している相手だ。


「……おう、凛華。早いな」


「そう? 桜火の寝癖を直す時間を計算に入れたら、これくらいが丁度いいかなって」


 凛華はそう言って屈託なく笑うと、当然のような顔で俺の髪に手を伸ばしてきた。


「あ、待て、自分でやるから」


「いいのいいの。ほら、じっとしてて」


 ふわりと、彼女のシャンプーの香りが鼻をくすぐる。至近距離。凛華の指先が俺の髪を整えるたび、その体温が伝わってくるようで、俺は行き場をなくした視線を泳がせるしかなかった。


 正直、自分でもわかっている。凛華が俺に向ける視線や、この距離感が、ただの「幼馴染」の枠をとうに超え始めていることくらい。けれど、俺には踏み込めない理由があった。


「……見たか、お前ら。今の事象を」


 青波家のリビング、窓際のカーテンの隙間から、三つの影がその光景を凝視していた。


「見た! 見たよ! 何あれ、お兄ちゃんに触りすぎ! 近すぎ! 密着度二〇〇パーセントだよお!」


 一番に声を上げたのは、長女(正確には俺のすぐ下の妹)のいちかだ。感情がすべて顔に出る直情型で、今は顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいる。


「落ち着きなさい、いちか。騒いでも事態は好転しないわ」


 冷静に眼鏡を押し上げたのは、次女のせいか。ラブコメ漫画と戦略論をこよなく愛する彼女の目は、獲物を狙う鷹のように鋭い。


「分析の結果、現在の『幼馴染が嫁になる確率』は八五パーセント。このまま登校を許せば、校門に着く頃には九〇パーセントの大台に乗るわ。これはもはや“兆候”ではなく、国家緊急事態レベルの“侵略”よ」


「はいはい、朝から熱心なことで。……ま、実際、見てるこっちが恥ずかしくなる距離なのは確かだけどね」


 最後尾で欠伸をしながらスマホをいじっているのは、三女のはるか。クールで皮肉屋な彼女だが、その目はしっかりと外の二人を捉え、わずかに不機嫌そうに細められている。


「……決まりね」


 せいかがホワイトボード(いつの間に用意したんだ)を叩いた。


「今日の目標は一つ。『青波桜火と佐倉凛華を二人きりにさせないこと』。我が兄を、あの天然魔性の幼馴染から守り抜くわよ」


「おーっ! お兄ちゃんは渡さないんだから!」


「……まあ、面白そうだし、付き合ってあげるよ」


 そんな「妹会議」が開催されているとは露知らず、俺は凛華と並んで通学路を歩いていた。


「ねえ、桜火。今日の放課後なんだけど……」


 凛華が少しだけ声を落とし、俺の袖を引く。上目遣い。これは、いわゆる「お誘い」というやつだろうか。心臓が嫌な音を立てる。


「放課後、がどうかしたか?」


「えっと、その、二人で駅前に新しくできた――」


「お兄ちゃーーーん!!」


 ドゴォッ、と背中に衝撃が走った。


「ぐえっ!?」


「あはは! お兄ちゃん発見! おっはよー!」


 背中に抱きついてきたのは、いちかだった。普段ならもっと早く登校しているはずの彼女が、なぜかこのタイミングで全力疾走してきている。


「……いちか? なんでここに」


「えー、お兄ちゃんと一緒に学校行きたいなーって思って! ほら、凛華さんもおはよ!」


「あはは、おはよう、いちかちゃん。元気だね」


 凛華が苦笑する。その背後から、悠然とせいかとはるかが現れた。


「奇遇ね、桜火。私たちも今、ちょうどこの道を通ろうと思っていたところよ」


「……おはよ。朝から暑苦しいのが約二名いて大変だね、兄貴」


 せいかは不自然なほどきっちりと制服を着こなし、はるかは相変わらずマイペースだ。なぜか、三人は俺と凛華の間に割り込むようにして歩き始めた。


「あ、あの、みんな?」


「さあ、桜火。今日の小テストの対策、歩きながら確認しましょう。時間は一分一秒も無駄にできないわ」


「えっ、今やるのかよ!?」


 せいかがノートを広げ、強引に俺の視界を塞ぐ。その反対側では、いちかが俺の腕をがっちりホールドして離さない。


「お兄ちゃん、最近運動不足じゃない? 私が引っ張ってあげるから早く歩こう!」


「ちょ、待て、いちか、引っ張りすぎだ!」


 結局、学校に着くまでの間、俺は妹たちのガードに阻まれ、凛華と一言も言葉を交わすことができなかった。

 その後も、妹たちの攻勢は止まらなかった。


 昼休み、凛華がお弁当を持って俺の席に来ようとすれば、どこからともなくせいかが現れ、「生徒会の手伝いがある」と俺を連行した。

 購買でパンを買おうとすれば、はるかが「これ、兄貴に似合うと思って」と、全く似合わない謎のキーホルダーを差し出して立ち話を強制した。


 放課後。ようやく凛華と二人になれるかと思った矢先、いちかが「お兄ちゃん! 帰り道に不審者が出たって噂があるから、一緒に帰って!」と涙目で訴えてきた(もちろん嘘だろうが、あんな顔をされたら断れない)。

 しかし、運命――あるいはラブコメの神様は、妹たちの味方だけではなかったらしい。

 夕暮れ時の昇降口。突然、バケツをひっくり返したような豪雨が降り出した。


「うわ、マジかよ……」


 予報にもなかった雨に、俺は立ち往生する。いちかたちは先に忘れ物を取りに教室へ戻っており、今この場にいるのは、俺と、そして――。


「……降っちゃったね」


 同じく傘を持っていない凛華だった。

 薄暗い昇降口、雨音だけが響く空間。昼間の喧騒が嘘のように静かだ。


「どうする? 少し待てば止むかな」


「……ねえ、桜火。私のカバン、折り畳み傘入ってたの。一本だけだけど」


 凛華が少し顔を赤らめて、カバンから小さな傘を取り出す。


「これ、二人で入ったら、濡れちゃうかな」


 それは、明らかな誘いだった。ここで「俺は走って帰るから大丈夫だ」なんて言うのは、男として、いや、人間として最低の解答だろう。


「……少し、肩が濡れるかもしれないけど。いいか?」


「うん。……嬉しい」


 一つの傘の下、俺たちは肩が触れ合うほど身を寄せて、ゆっくりと歩き出した。雨のせいで世界が狭くなり、凛華の存在だけが鮮明になる。


「ごめん、狭いだろ」


「ううん、全然。……ねえ、桜火。今日、ずっと妹ちゃんたちが一緒だったから、やっと二人になれた気がするね」


 凛華が、そっと俺の腕に手を添える。その感触に、心臓が跳ねた。


「……そうだな」


「私、お兄ちゃん想いのあの子たちのこと大好きだけど……。でも、たまには、独り占めしたいなって思うこともあるんだよ?」


 冗談めかした口調。けれど、その瞳は真剣に俺を見つめていた。

 ――やばい。

 この空気は、まずい。いつもの「幼馴染」の壁が、雨に溶けて崩れていくのがわかる。


「――っ、いたわ!! 第二ポイントに移動、迎撃体制!!」


 校門の陰。ずぶ濡れになりながら、せいかが双眼鏡を構えて叫んでいた。


「遅いよせいか! もう入っちゃってるじゃん! 相合い傘じゃん! 密着度五〇〇パーセントだよお!」


 いちかが半べそをかきながら、今にも飛び出そうとしている。


「……計算外。まさか気象兵器(雨)まで味方につけるとはね、あの幼馴染」


 はるかも、持っていたビニール傘を握りしめている。


「このままじゃ家に着く前に『告白イベント』が発生するわ! 総員、突撃! 水溜まりを跳ね飛ばしてでも、あの空間を物理的に分断するのよ!」


「おーっ!!」


 背後から迫り来る、凄まじい足音と叫び声。

 俺と凛華の甘い空気は、一瞬にして「何事だ!?」という驚きにかき消された。

 振り返れば、泥だらけになりながら全力疾走してくる三人の妹たち。


 ……ああ、なるほど。


 俺はため息をつきながら、隣で目を丸くしている凛華を見た。

 どうやら、俺が彼女と平穏に結ばれる日は、まだまだ先になりそうだ。

 幼馴染との恋路を阻む、最強で最凶の壁。

 こうして、俺と妹三人、そして幼馴染を巻き込んだ、騒がしくも全力な「戦争」が幕を開けたのだった。


「お兄ちゃーーーん! 相合い傘禁止ーーー!!」


「……やれやれ。行くか、凛華」


「ふふ、あはは! うん、そうだね!」


 雨空の下、俺たちの笑い声と妹たちの怒号が響き渡っていた。

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