第一章 純粋な毒
純粋な毒 1
昨晩吹いた豪風によって、目を奪われるほど美しかった紅葉はほぼ全て散ってしまった。裸になった並木道を、ユルレはゆっくり歩いていた。
小雨も降ったのだろうか。踏みしめる紅葉の絨毯から跳ね返ってくる音には若干の水音が含まれている。
一歩一歩踏みしめるように、毎日見て飽きているはずの道を、どこか新鮮な気持ちで進んでいく。
「……寒くないな」
いつもこの時期は息が白くなり始め、重ね着しないと快適ではない気温になるはずなのに、不思議と全く寒くなかった。
これも、発現した炎魔法によるものかと考えながら。そうであって欲しいとも思った。
大きな門がある。
高さはゆうに三メートルを越えていた。遥か昔のパボパ家には、二メートル以上の長身がいたと父から聞いたが、本当なのだろうか。
「ただい…」
ま、と言いかけて何かの感触を覚える。門を少し押した直後、「あいたっ」という可愛らしい声と明らかにぶつかった音が耳に届いた。
「……何してんだジュヌ」
末っ子のジュヌが、赤くなった頬を抑えて涙目になって尻餅をついていた。
「えへへー」
まるで顔が溶けたみたいに筋肉を一気に弛緩させて笑う。帰りが待ち遠しくて門の前で待機していたんだと、腕を大きく広げて表現しているようだ。
「にぃ、おかえいー」
少し舌足らずなところも、この上なく愛おしい。
ユルレに勢いよく飛びついて、少し痛いくらい抱き締めてくる。
そんな弟を見るユルレの表情は、先ほどまで張り詰めていたパボパ家の長男とは思えないほど、優しくて穏やかだった。
「あぁ、ただいま」
ジュヌを肩車して家に向かって歩いていると、次々と弟が姿を現す。
「あっ、お兄ちゃんだ!お兄ちゃんが帰ってきた!」
「ユル兄、おかえりなさい〜!」
次男のロイは分厚い図鑑を抱えながら走ってきて、三男のダーテは左右にゆらゆら揺れながらゆっくりと。
「ただいま三人とも。言うても三日間しか離れてなかったぞ?」
「三日間“も”、だよ⁉︎」
「そうあ〜そうあ〜!」
「誰が遊んでくれるのさぁ!」
弟たちからの猛烈な反発に、ユルレはちょっと驚いた様子だった。呆れたように、でも嬉しそうに微笑む。
「聞いてよ!一昨日お兄ちゃんが出発した直後、ジュヌがお兄ちゃんを追いかけて大変だったんだから」
「ん?どういうことだ?」
「ジュヌがユル兄いなくなって寂しいからーって、門から飛び出しちゃったの」
「えへへー」
「うん、褒めてないよ?」
「お母さんも必死になって探してた」
「…そうかそうか」
二日間溜まっていた思い出を、ちょっとした嫌な出来事を、他愛無い日常をユルレに伝えようと弟たちは小さい体を大きく使って表現していた。
その姿が愛らしくて仕方がなくて、ユルレは目線を合わせるように地面に胡座をかいて聞いていた。
何度も何度も頷いて、反応を示して、笑って、驚いて、悲しんで。
十分くらい話し込んでいると、家から一人の女性が姿を現した。門の音が聞こえてきたのに一向に中に入ってこないから、心配になって出てきたらしい。
「母さん」
「おかえりユルレ。長旅ご苦労様。楽しかった?」
「楽しくはなかったけど、退屈もしなかったよ」
「そう、ユルレらしいわね。中で休んだら?」
「いやいやお母さんこそ、このやんちゃ三人組の相手はしんどかったでしょ」
「そんなことないわよ、まだまだ現役なんだから」
力瘤を出してキメ顔をする母。
「母さん………炎、だったよ」
「…………。」
最初はものすごく喜んだような顔をしていた。まるでクリスマスにサンタさんからのプレゼントを見つけた瞬間のような、心底からの笑顔だった。
それがだんだんと曇り始め、目に皺がより、歯を食いしばり、徐々にその瞳には涙が浮かんできた。
「……そう、良かった。本当に…」
最後の「本当に」は、ほぼ何を言っているか分からないほど崩れていた。母の来ていた白い服の袖にシミがつき始める。
膝をついて一頻り泣いた後、涙を勢いよく拭って母は立ち上がった。いつも元気が良くて力強く、滅多に泣くことがない母のその姿はユルレの記憶に鮮烈に刻まれた。
「お祝い、しなきゃね!料理仕上げるからもうちょっと待っててね!」
お祝い用の特別な料理なのか、ユルレが大好きなティー豚の角煮なのか。鼻を動かして匂いを探ってみるもキッチンまでの距離が遠くて分からない。
その動作を見て母は笑って、
「楽しみにしててね」
そう言った。
ちなみにこの一言が、ユルレが最後に聞いた母の声であった。
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