あかつきのつき

蜂蜜まりね

1話(訳なし)

いつからだろうか。

灯り一つ無い、がらんとした部屋の中心の椅子に手足を括られている。

こんなことにならないために僕たちは手を尽くしてきたはずなのに。

一刻も早く外に出なければ。

母はどうしたであろうか。

仲間たちは逃げおおせたか。

この国はどうなっているのだろうか。

——どうなってしまうのだろうか。

ごったがえしの疑問とはてしない焦燥だけが先走りしてしまう。

この状態になって、3日か、1週間か、それ以上か。もはやそんなことはこの際、意味を成さないだろう。

暗い部屋の中で、ただ自分の呼吸の音だけが響いていたそのとき、ガンッ、と、突如戸の外から鈍い音が空気を震わせた。

朦朧とした意識の中で、先の音はなんだったのだろうかと軽く逡巡するうちに、今度は鋭い音が響く。それを合図にけたたましくジリリリリリリリと鳴った建物の警報器がとても遠く聞こえる。それが確かに遠い所から鳴っているのか、自身の耳がいかれてしまったのかも判別がつかない。意識は未だ混濁の中にある。僕はここだ、と叫べばこの外で騒ぎを起こしている何者かに気がついてもらえるかもしれないが、その願いは咳き込む音に変わるだけで、終ぞかたちにならなかった。自身の咳が頭蓋肋骨に反響して体を軋ませる。全身の各所に結ばれたロープとそれに抗う形でできた擦り傷が痛んだ。


意識を手放す寸前で目の前からギィと重い音がした。いつの間にか辺りは静かになっている。瞬間、細い光が片目にかかり思わず目を細めた。

 ばたん

と、部屋のドアが蹴り倒され、外の照明の光がふりかかる。

自身の足元には見慣れぬ人の影が落ちている。

ゆっくりと影の主は、落ち着いた、だが張り詰めた声を発した。


「——Bona vespero a vu, knabo.」


深く被ったマントのフードと逆光で顔は見えなかったが、声から女性であることは伺えた。何を言ったのか、意味は専ら理解し得なかった。女はその一言を発したきり無言のままで椅子に括り付けられた縄を素早く断ち切る。

「Anke la perseguanti venas. Ka vu povas kurar… no, vu povas nur marchar?」

意味を解せずに呆気に取られていると、一拍のため息ののち、ひょいと、女に担がれた。涼しい顔をして——驚くほど快適に、階段を駆け上がった。何階か階段を上がったのち、ぴたりと止まった。

「Trinkez to, knabo.」

告げて、やたらと古めかしい皮袋を渡されて肩から床に降ろされた。袋は揺らすとたぽんと音を立てた。ひどく喉が乾燥している。飲んでいいのかと問おうとしたがその声さえ出ずに、女のほうをひたすらに見つめるしかなかった。しばらくフロアを一望していた彼女がそんな自分をみとめて軽く頷いた。

決して冷たくも温かくもなかったが、そのかすかな温度が喉から体を癒すようだった。思えば、真水など今は簡単に手に入るものでも、安いものでもないはずだ。それをぽんと渡すような者はこの国にはいないだろうに、異国では未だ水にあふれる土地があるのだろうか、言葉からするに彼女はヨーロッパ系なのだろうか、など、あれやこれやと、しばらくすこしの食事と水のみだった割にはやけに頭がまわる。

僕はずっと考えてばかりだな、と心の中で苦笑した。少しは仲間たちよろしく、考える前に行動する無鉄砲さを持った方がいいというのはわかってはいるのだけど。

お礼を言おうとよろめきながらも立ち上がり、女のほうへ歩こうとして数歩歩んだところを片手で制止された。

「Vu-i, quande fine aparos? Vere, vua celo tranquilamente joyas aftarnuna teo. Ka to ne iritigas vu almena un poko?」

彼女がすっと足を一歩前に出した瞬間、足の先の床に3つの銃痕がつけられた。物陰に潜んでいた数人の男たちが機関銃を携えて姿を現し、一人が口をひらく

「先の戦闘といい、まるでバケモノだな。…これが最後の警告だ。貴様にはそれ以上の侵入は許可されていない。お引き取り願おう」

「Nomar un damo "Bakemono" esas ne tolerabla. Monstro… existez uno plu konvenanta por ta nomo, tamen…」

今度は一歩二歩三歩と踏み出していき、それを狙って男たちが一斉に射撃する、が、緑色のマントを貫くだけで女の速度は緩まなかった。彼女の動きはただ逃げているのではないことに気がつくまでにさほどの時間は要さなかった。どう考えても注意を自身に集めている。気の緩みを見せた瞬間に首を刎ねられるというプレッシャーを与え続けている。なら、自分は逃げればいいのか、でも下手に動くとそれこそ集中を阻害してしまう。しかも地の利はまったく向こうにある。だけど。迷う。どうすべきか。

コツ、と背後で音がして振り返ると女と同じ色のマントを羽織った人が階段の下の踊り場に立っていた。銃声が飛び交うなか、あたかも普段の光景かのように呑気に階段を登ってきて、横に立った。

「あー、逃げるほうがいいんじゃないか?アイツらどうせ気付かないから大丈夫だぜ」


一瞬の緊迫。

一同の視線は横の青年に束ねられる。

自分に釘付けられた視線を意に介さず飄々とそこにたっている。

あまりにも突拍子のない出来事にその場に居合わせた全てが止まった。

ただ一人、静寂を破って女が隙を見せた男たちを刈り取った。


ぽたぽたと女の持つ刃の先から血が滴る。白い無機質な床がいくつかの血溜まりを際立たせていた。

「まったくこーんなに服汚してよォ…お前が通信手段全部途中で無くしたり壊さなかったらこーんなド派手に交戦しなくて済んだだろーが!!!」

「Vu ipsa kulpas, pro ke vu vagas irge quaze senzorgo...」

「俺はハベットちゃんを思って言ってるんだぜ?嬢ちゃんにはわからないかなこの溢れんばかりの優しさが」

「Me povis escapar sen vu. To esas vere superflua zorgo!」

「俺がいなきゃ寂しいくせに………」

「Tsk…」

ハベットと呼ばれた女、いや少女?は舌を打って黙々と武器の手入れを始めてしまった。絡む相手を無くした男がこちらに向き直る。

「あーーすまなかったなぁ。俺は俺が思ってるより声がデカいんだ。要らない迷惑かけちまったな」

そう言ってマントのフードをおろした。黒髪ではあるが日本人ではないことが見て取れる。しかし欧風とも言えない不思議な顔立ちをしていた。

「俺は、えーっと、ザグ。あいつはハベットだ。あっちはまだここいらの言葉が達者じゃないんだけどな、まあご愛嬌?ってことで受け流してくれ」

気さくな人物のようで少しほっとした。こちらも名乗らなければと声を出そうとしてケホッと小さい咳をした。

「僕は...賀茂御蔭です。あの、ありがとうございます」

「御蔭...ミカゲね。お礼ならあっちのほうにしてやりな。俺はまた余計なことしちまっただけだから」

照れ臭そうに頭をくしゃくしゃとかいた。それから少し真面目な顔をつくって告げる。

「単刀直入に言うと、俺たちはミアレさんに頼まれてここにいる。息子をよろしく頼みたいと連絡があってな。まあこのご時世だ。あんまり信用してもらえないかもしれないし、そんな簡単に信用してもらっちゃ困る仕事柄だがしばらくは頼ってもらって構わない。よろしくな」

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