透明は踊る。人形姫とあるいは――

らむなべ

――フローレンス・トレヴ・リオネージュと

1.誕生日おめでとう

「誕生日おめでとうクレイ! 今日で十五歳だな!」


 少年を祝う者は誰もいなかった。クレイは自分に向けて祝いの言葉を送る。

 今日で十五歳になる彼はこの国での成人を迎えた。

 そんな素晴らし日にも彼の周りにあるのは捨てられたがらくたと、たった一人の友人だけだった。


「おはようキャシー、今日も座ったまま?」


 返事は返ってこない。

 クレイが挨拶したのは倉庫の中で唯一、人らしい姿をした人形。

 木製なのに腐ることもなく綺麗に原型を留めており、クレイが毎日拭いて掃除をしてあげている……唯一の友人だった。

 ここは倉庫という名の廃墟。クレイが住む場所だった。


「じゃあ、いってきます!」


 挨拶を終えると身なりを整えることもなく、クレイは倉庫から出る。

 今日こそはと願いながらいつもの日課で町に向かった。


「おはようございます」

「それでよ、昨日の客がこう言ったんだ……」


 店先の店主は隣の店と会話していた。


「おはようございます」

「あらー! 今日はもうおばあさん大丈夫なの?」


 すれ違う買い物客は向こうからくる知り合いに挨拶した。


「おはようございます」

「……」


 警備する兵士は無言で立ち続けた。

 誰もクレイのことが見えておらず、その声も聞こえない。


「今日も……か……。ちくしょう! ここで全裸になるぞ!? いいのか!? みんないいのか!?」


 クレイは透明・・だった。

 商家の家に生まれて十年は愛情を注がれていたが、五年前に父が死んだのがきっかけでいないものとなった。

原因はわからない。貴族の悪趣味な魔法なのか。はたまた魔女の呪いなのか。

 わかるのはどれだけ悲しんでも誰も気付かず、泣き声も届かないということ。

 父が死んだ最も悲しい時に誰も寄り添ってくれない孤独はまだ幼い彼にとって残酷過ぎた。

 さらに追い打ちをかけるのは、彼が透明になったということは周囲からすると商家の跡継ぎも消えたという事実。


「クレイス商会はこんな本当に良心的だよな……こんな小さな町を拠点にしてるのに今度貴族との取引もあるらしいぞ」

「貴族と!? いよいよ本格的にでかくなるな!」

「町の誇りだよ! 五年前に商会長が死んじまって跡継ぎもいなくて……あそこはもう駄目だ、なんて言ってた連中もいたくらいなのに」


 町の人間がクレイの継ぐはずだった商会を褒める度に、彼の心は軋む。


「跡継ぎならここにいるよ……。いるだろ……ほんとに全裸になるぞ」


 本来なら家を継ぐはずだったクレイは透明になり、消えたことをクレイの叔父はこれ幸いとすぐさま家を乗っ取り始めた。

 父の部屋の残る物は全て燃やされ、自分の部屋にある父にもらった大切なプレゼントを壊されても……何もできない。人に触れようとすると弾かれて、誰かが見ている前では物を動かすこともできなかった。

自分の叔父が家を乗っ取る様を黙って見ていることしかできなかった。

 透明になったクレイは誰にも手を出せない。命を害せない。

精神的に追い詰められ、叔父を殺そうとしても首は締められないし、目を潰そうとしても潰すことはできなかった。

クレイはまるで世界から弾かれたようで、悲しみどころか怒りもぶつけられない。


 孤独は人をすぐに絶命させることはないが、真綿で首を締めるようにじわじわと追い詰めていく。

 だがクレイは父からの教えを守り続けることで精神を保った。

・挨拶を欠かしてはならない

・取引に誠実でなければならない

・人形を完成させてはならない

 最後だけ意味はわからなかったが、クレイは教えを守り続けた。

 誰にも聞こえなくても、誰とも目が合わなくても通りかかる人に挨拶をした。

 父が秘密裏に遺したお金を使って、店から食べ物をとる時も代わりの代金を置き続けた。

 透明になったクレイにはどれも無意味だが、それがクレイの精神を保たせた。

 人間らしい行動を忘れたら、本当に終わってしまう。

 少しでも世界との繋がりを守るためにクレイは父の教えを守っていた。

 その真面目さゆえか、透明だからと町の往来で裸になることもできなかった。


「もう……お金なくなっちゃうな……」


 教えを守るということは、金が減っていくということでもある。

 クレイは人目のつかない路地で、革袋の中身を覗く。

 残り四枚の銀貨が、クレイの精神の残高だ。



「ただいま……」


 一日中町を歩いて、クレイは倉庫という名の廃墟に帰宅する。

 意地になって元の家に住もうとしたこともあったが、耐えられなかった。

 自分が住んでいた家が憎き叔父に侵される様子をずっと見続けなければいけないのが辛かった。そして叔父が勝ち誇ったように母に手を出しているのを見るのは拷問に等しい。

さらにクレイを追い詰めたのは、母がそれを満更でもない様子で受け入れていることだった。

 今では叔父と一緒に、幸せそうに暮らしている。


「…………」


 今日もクレイに気付く者はいなかった。

 父がいた時代の知り合いも、本来なら今年一緒に成人を祝うはずだった友達も。

 今日は誕生日だったが、クレイの誕生を祝う者は当然誰もいなかった。


「明日は……明日はきっと……」


 明日は。来週は。来月は。来年は。いつかは。

 突然透明にされたのだから、解ける時も突然のはずだ。

 そうやって透明じゃなくなるその時まで期待を持ち続けるのが、クレイは辛くなっていた。

 五年……五年だ。耐えたほうだ。

 もしかして、成人したら解けるんじゃないかと今日に期待を持っていた。


「いつか……きっと……」


 いつまで、期待を持ち続けなければいけないのか。

 無視じゃないとわかっている。でも挨拶が返ってこないのが辛い。

 無視じゃないとわかっている。でも誰の目にも自分がいない。

 他の町に行こうとも思った……けれど、他の町でもこうなったらと思うとクレイは恐くて町を出ることができなかった。

 他の町に行っても透明なままだったら、世界のどこに行っても自分は誰にも気付いてもらえないという証明になってしまう気がして。


「いただきます……。んぐっ……あの店の果物は、ずっとおいしいなぁ」


 買ってきたリンゴを食べながら、クレイの目には置かれているがらくたが映る。

 正確には、不要だから置いていかれたもの。

 クレイが綺麗に並べていても、誰もこのがらくたを欲しがりはしない。

 新しい倉庫になる際、金にならない不要なものだけがここに置いていかれた。


「俺も……ここにあるがらくたと同じみたいなもんだな……。ここにいる中だったらキャシーが一番需要ありそうだ……はは……」


 自分の唯一の友人をちらっと見る。

 薄汚くはあるが、人間大の人形というのは珍しい。

 だがここに置いていかれた理由はも恐らく、その珍しいサイズだったのだろう。

 時代が来れば、需要があるんじゃないだろうか。

 ……対して自分は誰にも見てもらえず、誰に必要とされることもない。

 もしかしたら世界にいらない存在だから、こうして透明になったのだろうか。

 死ぬまで――このまま。


「だったら……」


 ――父さんの教えを守ったところで何の意味があるんだよ。


「ごちそうさまでした。おいしかった……」


 そんな事を思いつつも、習慣づいた挨拶を欠かすことはなかった。

 りんごの芯を捨てると、皮の水筒を取り出して……人形キャシーに近付く。

 食後は人形の掃除をするのがクレイの習慣だった。自分の体を拭くのはその後だ。

 人形はクレイの支えの一つでもある。勝手に支えにしておいて、汚れていくのを放置するのがクレイは嫌だった。


「今日も綺麗にするからな……よっと……」


 水筒から出した少しの水で布を濡らし、全身を丁寧に拭いていく。

 クレイは廃墟となった倉庫を定期的に掃除しているのもあってこういった作業に慣れていた。

 廃墟でずっと暮らせているのも、クレイが掃除を続けている賜物と言える。

 並べられているがらくたでさえ、定期的に拭いていた。


「毎回思うけど……塗装が剥げてるとこがあるんだよな……。これのせいでキャシーは置いていかれちゃったのか?」


 人形の首元には塗装が剥げているところがあった。

 魔石を埋めたような跡ではない。意図的かどうかもわからない。

 そういう意味で、この人形は完成していないと言えるかもしれない。


「……」


 今日は特に精神的に辛かったせいか、クレイの頭にもう一度よぎった。

 ――父さんの教えを守ったところで何の意味があるんだよ。

 今まで父の教えを守り続けてきた。けれど状況は変わっていない。

五年という月日で溜まり続けたストレスが、今日初めて……クレイに父の教えを破らせた。

 クレイは指先を切って、塗装が剥げた部分に血を垂らす。


「はは……絵の具なんて買えないからな……。これで我慢してくれよキャシー……何か手に入ったらすぐに拭き直すから……」


 塗り終わったその瞬間、人形が燐光を発した。


「え……?」


 どれだけ経っても傷つかなかった人形の表面がひび割れる。

 クレイの頭によぎったのは父の教え。

 ――人形を完成させてはならない。

 唯一の友達が砕け散ると思ったクレイは涙目になりながら人形を抱き締めた。


「だめ……だめだ……! やだ……! お前が壊れたら俺は、本当に一人に! 一人になっちゃうだろ!!」


 涙と鼻水の懇願虚しく、人形のひび割れは全身に広がっていく。

 そして――人形は砕け散った。



「ぶっ殺おおおおおおおおす!!」



 物騒な宣言と共に、その女性は人形のあるところから現れた。

 女性が立ち上がった勢いでクレイは後ろに吹っ飛ばされてしまう。

 吹っ飛ばされながらも、闇に灯る炎のような赤髪がクレイの瞳に鮮烈に映る。


「私を何百年もこんな……ん?」

「……」


だが次の瞬間にはその女性と自分の視線があった驚きがまさった。


「ああ、あなたが私を解放してくれたみたいね。ありがとう助かったわ」

「……見えるの?」

「は? ずいぶんおかしなことを言うのね? あなた幽霊ゴースト?」


 自分が見る女性の瞳の中に、クレイは確かにいた。

 静かに溢れていく涙。温かく頬を流れて、自分がここにいるのだと実感する。


「クレイです……俺の名前は、クレイですっ……!」


 五年ぶりの喜び。五年越しの期待。

クレイは首を横に振りながら自分の名前を女性に伝えた。


「フローレンス・トレヴ・リオネージュ。何を泣いているのよ泣き虫な恩人さん」


 いつもの残酷な夜に一輪の花が咲く。

 少年はその大輪を目に焼き付けていた。文字通り、焦がれるように。

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