トリニティ

@kairi_author

第一話・最初のフェイズ

第一話登場人物


<劇団メンバー>

紗羽(すずは)

結凛(ゆうり)、藍香(るか)、瑛祐(えいすけ)、杉葉(すぎは)、歩睦(あゆむ)

<バー>

レイ、ユナ、カナ、マスター

<狼牙メンバー>

鷹臣(たかおみ)、湊(みなと)、直哉(なおや)




扉が開き、光を反射する銀髪がふわりと揺れた。 染め直したばかりの髪は、透き通っている。


濃紺にグラデーションの入った髪の裾は存在を引き締めている。


「おはよー!」


紗羽が所属する劇団の稽古場の空気が一瞬だけ止まり、次の瞬間、ぱっと明るくなる。


「えっ、紗羽!髪……めっちゃ綺麗じゃん!」


結凛が駆け寄ってくる。その声は明るくてよく通る。


その声に反応して、瑛祐が目を細めた。


「銀色すごい似合う……なんか透明感増してない?」


今日も今日とてニットが似合う歩睦は少し照れたように笑いながら言う。


「今日の紗羽、なんか……アイドルみたいだな。」


歌の練習をしていた杉葉は腕を組んで、短く、なぜか深い声で言った。


「いや、普通にかっこいいよ。なんか……光ってる。」


藍香がぱっと近づき、目を輝かせる。


「ほんとだ〜!すごい綺麗。触っていい?」


「え、いいよ〜!ほらほら!」


藍香がそっと髪に触れると、紗羽はほんとうに嬉しそうに笑った。


この劇団には20歳の紗羽と後のみんなはみんな28歳。


いつもみんなで笑いながら練習をしている。



歩睦が声をかける。


「じゃあ、今日は立ち位置から確認しよっか。」


「はーい!」


動きは軽く、声も明るい。 本気で楽しんでいる。


けれど、みんなが水を飲んだりストレッチしたりしている間、 紗羽はひとり壁にもたれて外を眺めていた。


その横顔は、さっきまでの明るさが嘘のように静かで、焦点があっていないようだった。。


結凛がそっと声をかける。


「……紗羽?」


紗羽は、 言葉では表現しきれないほど空虚な表情をしていた。


その表情を見た瞬間、 結凛の胸に、あの日の光景がよみがえった。




——十六歳の紗羽が、稽古場の扉をそっと開けた日のこと。


あの日の紗羽は、今よりずっと幼かった。 けれど、その目だけが、年齢に似合わないほど深く沈んでいた。


「……あの、ちょっと見学してもいい?」


笑っていた。誰が見てもわかる“壊れかけの笑顔”。


瑛祐が優しく手招きし、歩睦が心配そうに眉を寄せた。


藍香たちはすぐに気づいた。紗羽の声が、軽いのに空っぽだったことに


そして稽古が終わる頃、紗羽は小さく手を挙げた。



「……あの、みんな……ちょっと集まってほしい。」


全員が円になって座る。


紗羽は淡々と、まるで他人事のように話し始めた。

「昨日、家族が事故にあって。

……父も、母も、姉も、祖母も。全員、亡くなりました。」



空気が止まった。


結凛が震える声でつぶやく。


「……え……?」


瑛祐は言葉を失い、歩睦は拳を握りしめ、 杉葉は息を呑んだまま動けなかった。

紗羽の姉はこの劇団にいたこともあり顔なじみだった。


紗羽は涙ひとつ流さず続ける。


「手続きとか、家のこととか……全部やらなきゃいけなくて。 ……まぁ、なんとかなると思うけど。」


その声は淡々としていて、 まるで自分のことではないようだった。


結凛は涙をこぼしながら言う。


「…紗羽…なんで…」


「…泣かないでよ。大丈夫だから。」


大丈夫じゃないことを、全員が理解した。



話し終えて、稽古場を出て夜の空気に触れた瞬間、 紗羽は少し震えた。


藍香が近づく気配がする。


「……ねぇ、藍香さん。」


「ん?どうした?」


「……お願いがあるんだけど。」


声が小さい。


「言ってごらん。」


「……毎日メッセージ送ってもいい?」


「うん。いいよ。」


「…気まぐれに返すやつじゃなくて…一日一回でいいから…私の生存確認でも…返してほしい。」


冗談ぽく言う紗羽だが艶のある黒髪が夜の闇に今すぐにでも溶けそうだ。


藍香は一瞬だけ息を呑んだ。 けれどすぐに、いつもの落ち着いた声で返す。


「……いいよ。毎日返す。約束する。」


「……ごめん。こんなこと頼んで。」


「謝らなくていいよ。頼ってくれて嬉しい。」


その一言で、紗羽はほんの少しだけ救われた。


紗羽にとって藍香は特別だった。姉が会わせてくれたときから。


何故かなにを言われても紗羽の心が軽くなるのだ。




——あの日の紗羽の影は、二十歳になった今も薄く消えずに残っている。


結凛は、目の前の紗羽の横顔を見つめながら思う。


(……また、あの顔だ。)


すると結凛の後ろからみんなの呼ぶ声がする。


紗羽はすぐに笑顔を作り直した。


「ん?なにー!」


その切り替えが、痛いほど自然だった。


瑛祐が呼ぶ。


「紗羽、次のシーン確認しよー」


「うん、行く行く〜!」


明るい声。 でも、影は確かにそこにあった。




稽古が終盤に差し掛かり、みんなが片付けを始める。


「今日はやることあるから、一人で帰るねー!」


いつも通りの軽い声。 けれど、その軽さが逆に胸に刺さる。


「気をつけて帰ってね。」 「無理すんなよ。」 「寒いから上着着てね。」


みんなが声をかける。 紗羽は笑って返す。


でも、みんなの優しさに目の奥が一瞬だけ揺れた。




ロッカーで上着を羽織る紗羽の横顔は、 さっきまでの明るさが嘘のように静かだった。

扉が閉まる。


結凛は涙を拭う。

「…あの日からだよ。 紗羽が“あの顔”をするようになったのは。」


藍香は静かに言った。

「…そっか…あれが始まりなんだ…」


瑛祐は拳を握りしめる。

「紗羽……ずっとひとりで……」


歩睦は低くつぶやく。

「守らなきゃな……あいつの笑顔。」


杉葉は深く頷いた。

「……紗羽が“ここにいていい”っていえる場所にしよう。」


藍香は静かに目を閉じた。

「うん。 あの子が戻ってくるまで…… 私たちが支える。」



――外に出た瞬間、紗羽の表情から“昼の顔”がすっと消えた。


紗羽は、深く息を吐いた。 その一息で、胸の奥に張りついていた”紗羽”が剥がれ落ちる。


心臓の鼓動がひとつ落ち着く。


街灯の下で髪を手ぐしで崩す。 整えていた銀髪が、少し乱れて色気を帯びる。

上着の襟をゆるめ、シャツのボタンをひとつ外す。


歩き出すと、足音が静かになった。 重心が低く、昼の紗羽にはない“夜の余裕”が漂い始める。

その仕草は、紗羽のものではなかった。


夜の街を歩くときに使うもうひとつの顔と名前


蓮。



昼の紗羽よりも静かで、誰にも触れられない夜の顔。


紗羽が蓮になるとき、 声の高さも、歩幅も、呼吸の深さも変わる。 まるで身体の奥に別の温度が流れ込むように。

「……さて、どこ行こっかな。」


紗羽の声が低く落ちた瞬間、 街の空気がひんやりと肌に触れた。 昼の紗羽がまとっていた柔らかい温度が、 夜の空気に溶けて消えていく。


銀髪が街灯に照らされ、 冷たい光を返す。


蓮は歩きながら、 胸の奥に沈んでいた重さが少しずつ浮かび上がってくるのを感じていた。 昼の紗羽では触れられなかった感情が、 夜の蓮になると、静かに形を持ち始める。


通りを歩くたび、 いくつものバーから声がかかる。

「蓮くん!今日も来たの?」


「銀髪また染めた?」


「今日の蓮くん、なんか……綺麗ねぇ。」

「寄ってってよ!」


蓮は軽く笑って返す。

「んー、どうしよっかなぁ。今日は別のとこ行こうかな。」

その笑顔は、昼よりずっと儚かった。 笑っているのに、どこか遠い。


少し歩くと、 いつものバーの前で足が止まる


「……ここにしよ。」

扉を押すと、 柔らかい灯りと静かな音楽がふわりと流れ込んだ。

「蓮さんいらっしゃい。」


カウンターの奥からマスターが声をかける。


「うん。」


「いつもの席、空けてありますよ。」

蓮が席に座ると、 ユナさんが近づいてきた。


「蓮くん、今日も綺麗だねぇ。あれ?なんかあった?」


蓮はグラスを指でなぞりながら答える。


「んー……別に。ちょっと疲れただけ。」


「そっか。じゃあ、甘いの飲む?」


「うん、お願い。」


カクテルを作る音が、 静かに耳に落ちていく。


蓮は遠くを見るように目を伏せた。


柔らかいのに、どこか壊れそうで、 触れたら消えてしまいそうな儚さがあった。


「蓮くん、なんか……静かだね。」


「……静かな日もあるよ。」


「ふふ、そういうとこ好きだけどね。」


「……そう?」


「うん。蓮くんって、 “触れたら壊れそう”なのに、 “壊れない”感じがする。」


蓮は小さく笑った。

「壊れないよ。 壊れたことに気づかないだけ。」


ユナさんは息を呑む。

「……抱きしめてほしい?」


蓮は目を閉じた。

「……抱きしめられても、あったかいって思えないよ。」


「それでもいいよ。蓮くんが少しでも楽になるなら。」


蓮は静かに言った。

「……優しくされるのが、怖いだけ。」

「なんで?」

「……言えない。」


ユナさんは気づいていた。 蓮の心の中心にいる“触れられない人”の存在を。 名前も知らない。 でも、蓮の目の奥に宿る影が、 その人の存在を物語っていた。


蓮はグラスを指で回しながら、 ふっと息を吐いた。


「……奥、空いてる?」

「空いてるよ。来る?」

「うん。連れてって。」


声は低く、落ち着いていて、 どこか諦めたような甘さがあった。


奥のソファには、 レイとカナが座っていた。


「あ、蓮くん。来たの?」

「うん。……座っていい?」

「もちろん。こっちおいで。」


蓮は迷わず、 お姉さんたちの間に腰を下ろした。

距離が近い。 触れようと思えば触れられる距離。


蓮は自然にレイの手に触れ、 カナの肩に寄りかかった。


そのとき、 隣のお姉さんの髪が揺れ、 微かな香りが漂った。


その匂いが—— “あの人”の匂いに似ていた。

蓮の指が止まる。 呼吸も止まる。


胸の奥がぎゅっと掴まれたように痛む。


「……蓮くん?どうしたの……?」


蓮は答えない。 声が出ない。

胸の奥の痛みが、呼吸のリズムを奪った。


「蓮くん……苦しそう……」


「……大丈夫。なんでもない。」


声は低く、かすれていた。

「匂いが……似てただけ。」


「匂い……?」

「うん。」


蓮は立ち上がった。

「……帰る。」


蓮は立ち上がると同時にふらついて崩れ落ちた。


「蓮くん!」


とっさにみんなで支えるが蓮は帰ると聞かない。


「蓮さん。冷たい水です。せめて飲んでいってください。」


「あぁ、ありがとう。」


一気に飲み干すと喉を指すような冷たさが頭の霧を少し晴らした。

外に出ると、 冬の夜気が肌を刺した。 深呼吸しても、鼻をこすっても、胸の奥の匂いは消えない。


「なんで…消えないの…」


家に帰れば、頭を支配するものがなくなって、匂いがもっと濃くなる。


「……拠点なら……無になれるかな。」


蓮は方向を変えた。

街灯の下で銀髪が冷たく光る。


「……行こう。」


歩き出す足取りは静かで、迷いがなかった。


拠点に入ると 中は思った以上に賑やかだった。


ここは紗羽が見せるもう一つの顔である”銀狼”がトップとして、街を裏から守る“狼牙”の拠点。


ちなみに紗羽の異名である銀狼は髪の毛の色と戦い方から狼牙のメンバーが勝手に呼び出したものである。


笑い声、食器の音、作戦の相談が重なり合い、 温かい空気が流れ込む。

「おっ、銀狼!帰ってきたんっすね!」

狼牙を取り仕切るメンバーのうちの一人である鷹臣が真っ先に気づく。


「おかえりなさいっす!待ってたんすよ!」

湊が手を振り、直哉が心配そうに近づく。


「今日も遅かったっすね……大丈夫っすか?」


紗羽——銀狼は軽く頷いた。


狼牙のメンバーはみな一度紗羽、いや、銀狼に負かされた連中だ。

その中で銀狼に憧れた人間が勝手に狼牙を組織し未だに大きくなり続けている。


「銀狼がいるだけで安心するんすよね。」 「ほんとそれっす。ここが拠点って感じっす。」


紗羽は誰も入ってこない銀狼の部屋のソファに腰を下ろす。


ガヤガヤ……ドン……クスクス……


その音が、胸の奥に残っていた匂いをかき消していく。

(……ここなら、無になれる。)


紗羽は静かに目を閉じた。


狼牙の連中の声が遠くなり、 紗羽は眠りに落ちた。



どれくらい眠ったのかはわからない。 目を開けると、拠点は静かだった。

みんなの気配はある。でも誰も起こさない。銀狼が眠るとき、誰も触れない。



紗羽はゆっくり身体を起こし、 シャワー室へ向かった。

この拠点は家としても過ごせるくらい設備が揃っているのだ。


冷たい水を浴びる。


シャー……

水の音が、夜の残り香を洗い流していく。


「……戻らなきゃ。」


鏡を見ると、 そこにいるのは蓮でも銀狼でもない。


紗羽だった。

髪を整え、服を選び、 声のトーンを少し上げる。


「……よし。」

扉を開ける前に、紗羽は深く息を吸った。

「行ってきまーす。」


「「行ってらっしゃいやっせー!」」


歩き方も変わる。 背中の力も抜ける。


紗羽に戻った。

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