我が愚行
わたねべ
我が愚行
最近趣味が高じて、正式に副業を始めることになった。
子供の時から、いろいろな器を眺めるのが好きで、壊れた器なんかがあるとそれを一人で修復していた。
大人になってからも当たり前の日常として続けていたら、勤め先のお偉いさんがその噂を聞きつけたらしく、本業とは別にやってくれないかと話を持ち掛けられたのだ。人生に組み込まれた趣味をこなすだけで、お偉いさんは満足し私の懐も温かくなるならと、当時は二つ返事で引き受けたのを覚えている。
後悔はない。
今日も私は器の修復を自ら行っている。
お偉いさんのコレクションは、職場のいたるところに飾られている。
ときどき新しいコレクションが増えたり、逆に要らなくなってしまったのか無くなる物もあるが、とにかく飾られている器の様子を私は毎日見続けた。
職場には早めに足を運ぶ。そしてあたりを見回して様子を確認する。
じっくりと撫でまわしたり、毎日ピカピカに磨くようなことはしない。触りすぎはかえってよくないからだ。
私はただ、昨日と変わりないか静かに観察する。
通りざまに視線を落とす。埃の跡は大きく動いていないだろうか。
振動に合わせて出す音に耳を傾ける。昨日と変わらぬ響きだろうか。
異変があれば、私はそっと器を運び出し、特別に用意してもらった部屋で修繕を始める。
そして、今日はちょうど、一つの器に異変を見つけた。
そこが欠けて抜け落ちている。一辺一ミリメートルにも満たない小さく歪な三角形だが、それだけでこの器は機能を失う。
先日、お偉いさんは眺めるために集めているのではなく、しっかりと使うために器を集めているといった。どう使っているのか分からないが、私のような修繕屋を雇うくらいだから、そこまで丁寧に扱っていないことは想像に難くない。
それにしても最近は修繕が必要になる頻度が明らかに増えているので、もう少し丁寧に扱うように伝えたが、「俺が金を出して買ったものをどう使おうと勝手だろう」と、不機嫌にすごんで見せた。
正直なところ、この人にはついていけないなと思ったが、器の面倒は見てあげなければならないという責任感で私は勤め続けている。
そんなことを考えているうちに、今日の作業も滞りなく終わった。今回のように穴をふさいだ後は、しっかりと癒着するのを待つために、少しの間休ませてあげなければいけない。
これは、私が過保護なわけではなく、当たり前のことなのだ。しかし、お偉いさんはそんな常識を知らないらしい。
少し語弊があるだろうか、知ってはいるが気にしていない、といった方が正しいだろう。
とにかく私は今日も穴をふさぎ、器をもとの位置に戻した。
きっと一か月も休ませてあげれば、もしくは二、三日休ませた後で、しばらくは丁寧に使ってやれば完璧に癒着する。
しかし、この場でその常識は軽視される。――まただ。
しびれを切らした私はその晩、クビを覚悟で現場を押さえて、説教の一つでもしてやろうとお偉いさんの部屋を張った。
自宅ではなくわざわざ会社でそれを使っていることは事前に調査済みだったからだ。
奴は予想通りこの部屋に、いくつかの器を持ってくると、ガチャガチャとピラミッド状に積み上げた。書類をかませたりして、無理やり高さを合わせた醜悪なタワーを積み上げたかと思うと、それよりも高い位置から大量の水を注ぎ始めた。
ドボドボと注がれる水は一番上にある器の許容量など簡単に超えて、どんどんと下へこぼれていく。
わからなくはない。
何かを入れるために作られた器に水を張り、その姿を眺めるというのはどこか心が満たされるからだ。
その感覚は私も持ち合わせているが、それはあくまでも、適切な量、適切な種類の液体を注いだ時に限る。その時は器も、自分の存在証明ができて喜んでいるように見えるからだ。今の光景はむしろ喜びとは逆の表情に見える。
一番上の器は古株で、どんなものを注いでもなじませる良さがあるが、許容量は少ない。そこにそんなに大量の水を注がないでくれ。
その下にある、うすはりのものは、注ぐなら水よりも少し色のついた炭酸だ。器本体よりも注がれたものの色を引き立たせるのが得意なものだ。その繊細な器に勢いよく水を注がないでくれ。
さらに下にある器は、巧みな装飾が施されていて、器そのものに力がある。買ったばかりだからと下にひくような雑な使い方はせずに、もっと大切に扱ってくれ。
ひどいありさまだ。決して私が集めたものではないが、愛着はある。
その後も楽しそうに下品な趣味を堪能した彼は満足したのか、面倒くさそうに器をふいて片し始めた。
水も、ジュースもお酒もコーヒーも。注いだ液体の種類にかかわらず、同じ布巾で表面を乱暴にふき取るだけで、本当に最低限、水分をふき取っているだけという感じだ。
当初の目的はすっかり縮こまっていた。
目の前で注意をすれば、癇癪を起してすべての器を割ってしまうのではないかという不安に駆られて、私は制止することができなかったのだ。
翌朝出社した私は、昨日乱雑に扱われた器を順番に集め、修繕室へと向かった。
今日はいつもとは違い、業務内容には含まれていない内側の汚れにも注目して作業を行う。
こびりついた茶渋を落とし、目の細かいクロスで磨き上げると、ゆっくりとその輝きを取り戻していくのが分かった。
どれもこれも、私の方がこの器たちの持つポテンシャルを引き出してやれる。そんな思いがふつふつと湧き上がってくる。
ピカピカになったこいつらを戻しても、ボロボロになった穴をふさいでも、きっとまた乱雑に扱われていずれは取り返しのつかない壊れ方をする。
私はいったい、毎日何をしているのだろうか。これではまるで、こいつらが不幸になるまでのつらい道のりを延長させる悪魔じゃないか。
そんな思いも同時に湧き上がってきた。
きっと、その原因を止めるまでは、続くのだろう。
◆ ◆ ◆
「ふうぅー……」
ため息をつきながら伸びをして、右手に持ったペンを机の上に置く。
俺は駄文を乱雑に織り込んで、真っ白な封筒の中に詰め込んだ。
誰に送るわけでもない、宛名のない封筒。
きっとこれをはじめに読むのは、俺の家族じゃあない。
――我慢は毒だ。体を蝕み、取り返しがつかなくなる。
――励ましは鉛だ。全身に張り付き、思考までをも鈍くする。
――涙は狼煙だ。内側から零れ落ち、周りに限界を伝えてくれる。
俺は一人だ。
余計な荷物を背負っていない。
だから一人で十分だ。観察するのは得意だから。
ただ、器を壊すだけだから。
後悔はない。
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