第11章:体育祭と、禁断の借り物競走


 秋。

 高校生活における一大イベント、体育祭の季節がやってきた。

 雲ひとつない青空の下、グラウンドには歓声と砂埃が舞っている。

 だが、俺――雨宮 聖次には、競技よりも重大なミッションがあった。

 それは、**「保護者席の監視」**だ。

「聖次さ〜ん!! 頑張って〜〜〜!!」

 黄色い……いや、少し大人びた艶のある声援が飛んでくる。

 保護者席の最前列。そこに、ひときわ目立つ美女がいた。

 大きな女優帽にサングラス、そして手には手作りのデコうちわ(『聖次LOVE』の文字入り)。

 我が妻(予定)、遥さんである。

(……頼むから目立たないでくれ、遥さん……!)

 俺は準備体操をするフリをして顔を隠した。

 彼女が俺の婚約者であり、同時にこのクラスの女子・橘 瑠奈の母親だなんて知られたら、俺の学園生活は終了する。

 隣を見ると、同じクラスの瑠奈もまた、死んだ魚のような目で母親の方を見ていた。

「……マジで帰ってほしい。恥ずかしすぎて死ぬ」

「同意する。だが耐えろ瑠奈。俺たちは他人だ」

 俺たちは小声で傷を舐め合い、それぞれの持ち場へと散った。

 ***

 午前の部、最終種目。「借り物競走」。

 出場するのは瑠奈だ。

 俺はコース整備係としてトラックの脇に立っていたのだが、そこへ悪友の達也がニヤニヤしながら近づいてきた。

「おい聖次。お前の『いい人』、走るぞ」

「誰が『いい人』だ」

「とぼけんなよ。美咲から聞いたぜ? 瑠奈ちゃん、お題が『好きな人』だったらお前んとこ走るって賭けられてるらしいぞ」

「……やめろ、フラグを立てるな」

 嫌な予感が背筋を走る。

 パンッ!

 乾いたピストル音と共に、瑠奈がスタートダッシュを切る。

 運動神経抜群の彼女は、一瞬でトップに躍り出ると、トラック中央の「お題ボックス」へ滑り込み、紙を引いた。

 その瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。

 遠目にも分かるほど、肩が震えている。

(……マズイ)

 係の俺は直感した。あれは簡単なモノじゃない。

 瑠奈が、助けを求めるように視線を彷徨わせ、保護者席の方を見る。

 そこには「瑠奈ちゃ〜ん!」と手を振るサングラスの聖母(遥さん)。

 瑠奈はブンブンと首を振った。あそこに行けば、親子関係も、遥さんと俺の関係も芋づる式にバレるリスクがある。

 次に彼女は本部席を見た。そこには生徒会長として鎮座する詩織さんがいる。

 だが、遠すぎる。今からあそこまで走れば最下位だ。

 瑠奈が焦ったように視線を巡らせ――そして、トラック脇にいる俺と目が合った。

​ 彼女が引いた紙が、風に煽られて一瞬だけ見えた。

 『家族』

 俺は息を呑んだ。

 最悪のお題だ。この会場にいる「家族」は遥さんか詩織さんだけ。

 だが、瑠奈は俺を見て、一瞬だけ唇を噛み締め――決意したような顔で、猛ダッシュを開始した。

 俺に向かって。

「は……っ!?」

「おい聖次! 来たぞ来たぞ!」

​ 達也が面白がって俺の背中を叩く。

 俺が反応する間もなく、砂埃と共に金髪の弾丸が突っ込んでくる。

 瑠奈は俺の体操服の袖をガシッと掴むと、鬼

の形相で叫んだ。


​「借りるからね!!」

「ちょ、待っ、俺!?」

「うるさい走って!!」

 強引な力で引っ張られる。俺は係の仕事を放り出して、彼女と共にトラックを駆け抜けた。

 会場中がどよめく。美咲たちが「キャーッ!」と黄色い悲鳴を上げるのが聞こえた。

「おいバカ! お題は『家族』だろ!? 俺を連れてったら失格になるぞ!」

「いいのよ! これしか無かったの! アンタなら、近くにいたから! それだけだし!」

 瑠奈は顔を真っ赤にして叫んだ。

 ゴールラインを切り、瑠奈が審判にお題の紙を叩きつけた。

「『家族』! 連れてきました!」

 審判の教師が怪訝な顔をする。

「えーっと、橘。これは……雨宮か? 彼氏?」

「違います!」

「じゃあ、家族ではないよな? これは失格……」

 その時。俺は咄嗟に、瑠奈の肩を抱き寄せた。

 ここで失格になれば、瑠奈が恥をかくだけだ。それに、彼女が覚悟を決めて俺を選んだのだから、俺も応えなければ男じゃない。

「……家族、みたいなもんです」

「は?」

「家族ぐるみの付き合いがある幼馴染で、兄貴分みたいなもんなんです。……だから、判定はおまけしてくれませんか?」

 俺は必死に「爽やかスマイル」を作った。

 審判の先生は少し悩み、会場の「ヒューヒュー!」という盛り上がりを見て苦笑いした。

「……まあ、体育祭だしな。青春ってことで、OK!」

 ワァァァァッ!! と歓声が湧く。

 達也と美咲がハイタッチしているのが見えた。あいつら……後で覚えてろよ。

 俺たちは肩で息をしながら、へたり込んだ。

「……はい、一位おめでと」

「……おう。サンキュ」


 呼吸を整える俺に、瑠奈がタオルを渡してくれる。

 周囲はまだ次のレースの準備で騒がしい。

 その喧騒に紛れて、彼女はボソリと呟いた。


「……ありがとね、パパ」


 それは、本当に小さな、風に消えてしまいそうな声だった。

 俺はタオルで顔を拭きながら、思わず動きを止める。

 今の、聞き間違いじゃないよな?


「……え?」

「っ……!?」


 俺が問い返すと、瑠奈は自分の発言の内容に今さら気づいたのか、瞬時に顔を沸騰させた。


「あ、今のナシ! ナシだから!」

「いや、今パパって……」

「言ってない! 空耳! アンタ疲れてんじゃないの!?」


 瑠奈はバシバシと俺の脛(すね)を蹴ってくる。

 痛い。けど、その顔は真っ赤で、目は泳ぎまくっている。


「もーっ! 調子乗んな! ジュース奢りなさいよ!」


 彼女はそう捨て台詞を吐くと、逃げるように美咲の方へ走っていった。

 俺は蹴られた脛をさすりながら、自然と口元が緩んでしまうのを止められなかった。


 ***

 その後、テントに戻った俺たちを待っていたのは、保護者席から望遠レンズで連写していた遥さんと、本部席から降りてきた詩織さんだった。

 詩織さんは腕を組み、般若のような形相をしている。

 眼鏡はかけていないが、その背後には怒りのオーラが見えた。

「……説明してもらいましょうか、お二人さん」

「い、いや詩織さん、これは緊急避難的措置というか……」

 俺が弁解しようとすると、詩織さんは俺を無視して、瑠奈に詰め寄った。

「瑠奈。『家族』のお題で彼を選んだ。……つまり、公衆の面前で彼を『私の家族です』と認めたということでよろしいですね?」

「う……、だ、だってしょうがないじゃん! ママのとこ行ったらバレるし!」

「本部席まで走ればよかったでしょう」

「遠いし!」

「……言い訳は結構です」

 詩織さんは、悔しそうに唇を噛み、小声で呟いた。

「……私だって、借りたかったのに」

「え?」

「なんでもありません!」

 彼女はプイッと顔を背けた。

 その耳もまた、瑠奈と同じように赤く染まっていた。

 こうして、俺たちの体育祭は「公認カップル疑惑」という新たな爆弾を抱えつつ、幕を閉じたのだった。


(続く)

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