第3話 大乱闘~結果は明らかだったけど
「おおー、月の女神と見まごう貴女よー。そのかんばせを、私だけのものにはできまいかー」
この時期はどこも収穫祭でにぎやかだ。今回訪れた村は、参加料もなく市場を開けるらしい。……そうだよね?間違いないよね?
ともかく、元々小さな村なので、広場もさほど大きくなく、バジェが広げた敷物分の小さなお店の位置からでも、村の中央の広場につくられた舞台はよく見えた。今、主役がヒロインに愛の告白をしている山場だ。私も村の娘達も、うっとりである。……村の娘達は、お話の筋よりも目の前の役者にうっとりなのかもしれない。
けど、いいなあ。お芝居だから大袈裟なんだろうけど、あんなに情熱的な愛の告白なんて。
「なっ、綺麗だろ!?これがなんと、銅貨一枚!一枚ぐらいなら、父ちゃんや母ちゃんに言って、買ってもらえるだろ!さあ、行って来い!ねだれ!」
……その横では、バジェが村の子どもに訳のわからない小石で子ども達を焚き付けている。色気も何もない。ただし、今回バジェの商売は上手く回っているようだった。
なにせ子どもは『なんかいい感じの木の棒』『ピカピカした金属片』『綺麗な色の石』とかは大好物である。
散っていった子ども達は、さっそく親からお小遣いをねだっているようだった。
捨て値でしかないが、あれは道すがら、小川に膝まで浸かって三日ほどかけて集めてきた小石で、元値はゼロ。なんなら、宝石と魔石の欠片がその中に交ざっていたとかで、大儲け――ではないが、すでにそこそこ懐は温かいらしい。親達は、魔石ならともかくただの色石をねだられ、辟易しているようだった。『くだらない物を子どもに買わせて……!』と、顔を顰めているが、収穫祭というめでたい日であるし、銅貨一枚という値段の前に、とりあえず財布のひもを緩めてくれている。今までにない繁盛ぶりだ。
「馬鹿かお前は!一人で何個も買おうとするな!小せえ子の分がなくなるだろうが!」
ごいん!と、頭をはたく音がした気がするが、見ていないから真実は不明だ。まさかバジェが子どもの頭をはたいたわけではないと信じたい。あと、今の言葉も、他の子を慮ってではなく、あまりに散財させて、資金源の親達から本格的に睨まれるのを恐れただけだろう。私も、バジェの事はよくわかってきた。
「おい、エーラ!お前も手伝えって!んなくだらないもん見てないで!……ったく。使えねえ奴だなあ!?」
……元からわかりやすい人間ではあったけれど。本当にどうしようもない人だ。
まあ、何を言っても可愛いものだと思う。たとえ今、バジェがどれほど悪態をついていてもだ。この先の事を思えば、たいていの事は許せてしまう。ふふんと私は得意気な顔をこっそりした。
世知辛い現実は見たくない。私は目の前で繰り広げられる夢のような愛の物語にひたりたいのだ。
目の前では美しい『綺羅の琥珀』が艶やかな黒髪を流しつつ、神の託宣を主人公である勇者に告げていた。勇者は『綺羅の琥珀』の美しさに冒険の足を止めようとするが、『綺羅の琥珀』はその愛を拒否。勇者は泣く泣く『綺羅の琥珀』の元を去り、与えられた託宣に従い、魔獣を討伐。国に平和をもたらしたものの、その深手に命を落とし、かわりに神の末席に加えられた。
よくある悲恋と英雄譚のてんこ盛りである。
その物語の勇者ほどの愛の言葉はないかもしれないけれど、私だってそのうちに――
「……あんなのの、何がいいんだか」
子ども客が落ち着いたらしいバジェは、目の前の舞台でのお芝居を最後の方だけちょろっと見ただけの癖に、偉そうに物を言っている。
「いいに決まってるでしょ?……バジェが乙女心をわからないってのが、よくわかったよ」
「そうじゃねえよ。いや、話も下らねえとは思うがよ。何が『綺羅の琥珀』だってんだ。……それより、アレだ、アレ」
バジェが顎をしゃくった。見ると、お芝居が終わったところで、村娘達がきゃあきゃあと舞台上の役者に――先ほどの勇者役の俳優の元に集っていた。
「エーラ、お前は?上手くすりゃあ、ああやって抱きかかえてもらえるみたいだぞ?」
お芝居の再現のように、村娘達が順番に勇者役の俳優に抱き上げられている。次から次に『きゃああああ!』という声があがっている。
「え?んん……そういうのは、いいかな」
同じ年頃の子達と混ざってきゃあきゃあ騒ぎたい気持ちはない。そもそも、騒いだところで、その人の瞳が自分を射抜く事はないのだ。わかっている。
「あー、あの役者、今夜は入れ食いだろうな。羨ましいったらねえな―」
「……そういう下世話な話、やめてくれない?」
この村の子達ほど純朴ではないので、勇者役はあくまで『勇者役』。あれは演技であって、役者本人とは違う存在であると理解はしているけれど、そこまで現実を見たいわけではない。
「……そういう事言うなら、バジェもあの輪に入りたいんじゃないの?」
ちょっとした意地悪のつもりで、同じく舞台上で村の若い男達がこぞって感想を伝えている『綺羅の琥珀』役の女優を指さした。ああいう美人って、男の人は誰でも鼻の下を伸ばすんだ。私、知ってるんだから。
しかし、バジェはふふんと得意気に笑った。
「今行ってどうなるんだよ。多少気のきいた事を言えたところで、記憶にも残んねえんだよ」
そうかなあ。お芝居の事を褒めてもらえたら、すごく嬉しいと思うけど。
「問題は夜だよ、夜。アイツらは村の酒場で大宴会だ。で、酔っぱらって隙の出てきたところで、ちょっとその輪の中に入ってだな……?」
「ごめん、私の振った話ではあるけど、もういい」
今夜、バジェを宿屋の外には出さないでおこう。
「さらに言うなら、ああいういかにもなのは駄目だな。ああいう選び放題の女は駄目。もうとっくに芝居仲間とできてるか、どこぞの街の富豪のお手付きで、遊べやしねえ。狙うなら、そうだな……あの端、三人目ぐらいの……」
「ホントやめて」
縄で縛って、宿屋の隅に転がしておいた方がいいかもしれない。うん、そうしよう。荷馬車に戻れば、縄なんていくらでもあったはずだ。
「おっ、バジェじゃねえか。バージェル?バゼ?ともかく久しぶり。生きてたのか、お前!」
早いお店だと早々に本日必要な売り上げを叩き出し、他の店を冷やかしに来る店主もいる。どうやら、今、声をかけてきたのもその手合いのようだった。バジェと同じようにターバンを崩して巻いているから商人で間違いないだろう。あちらは布地の端を紺色に染めている。他の街でも見る色なので、結構大きな商会に加盟している商人なのかもしれない。
「おう、そっちはどうだ。ヒガラエの染色布でずいぶん儲けたんだってな?」
バジェも気楽に話している。バジェは大きな商会に加入しているわけでもないし、もうけた話についてなので向こうも少し気を許してか、バジェの敷布の端に腰かけ『いやあ、それは兄貴分のところの話で。俺はちょっと稼がせてもらっただけだよ』などと話し始めた。邪魔になってはいけないかなと、私は荷馬車の方に下がろうとした。すると、その人がこちらを見た。バジェもだが、私の方に興味があったらしい。
「お。その子かよバジェ。聞いてるぞ。お前が女連れて商売を始めたって――」
やるじゃねえかとヘラついた顔を見せていたが、――私の顔見て、商人はその表情を凍らせた。フードをかぶっているから遠目ならわからないだろうけれど、こうしてしっかり視線を向けられると、誤魔化しようがない。私は無駄とはわかっていながら、フードの端を摘んで、少しでも顔を隠すように引き下ろした。
「おい、バジェ、お前マジかよ……」
「……なんだよ」
「いや?まあ、お前みたいなはぐれ商人にゃあ、お似合いだなってな?」
明らかに、商人の態度が変わった。なんなら少し羨ましそうにしていた様子だったのに、私を見て、明らかに蔑むような表情を見せた。
「バジェ、お前――『穢れの銀』なんて連れてんのかよ」
その言葉に、周囲の人がわずかに息をのんだのを感じ取る。視線をこちらに向ける者。逸らして、距離を取る者。子どもを自分のそばに引き寄せる親もいた。
大きな街であれば眉を顰める程度ですんだかもしれない。けれど、こういった収穫祭程度でしか外部との接触が無い小さな村だと、まだまだ昔ながらの反応が返ってくるようだった。
そう。私は『穢れの銀』だ。
もう数百年ほど前に歴史から姿を消す事になった、北方異民族の生き残りだ。まして『穢れの銀』の名が示す、『銀髪』『銀眼』なんてわかりやすい特徴をはっきり体現している者なんて、今やかなり珍しいだろう。『穢れの銀』は、その特異な外見を隠し、正体を偽り――どうにか他の血にまぎれて、その外見的特徴を無くしていった。何もかもを失ってようやく平穏な日々を勝ち得――いいや、どうにか手にしている最中だ。
もはや、何が原因で追われる事になったのかもわからないのに、人々は今も『穢れの銀』を見ると恐れ、忌避する。嘲笑う。
……この商人のように。
この、村の人達のように。
「……エーラが、何だっていうんだ?」
バジェの声が、いつもより低い。
「俺の物が何であれ、俺の物に対して余計な口をきくんじゃねえよ。お前のところは、そんな商売を教えてんのか?ああ?」
「なんだよバジェ。別に、俺は見たままを言っただけじゃねえか。お前が凄んだところでどうって事ねえよ。俺が『穢れの銀』を連れていたら大変な事だけど、バジェみたいな奴なら、今さら『穢れの銀』を何人連れていたところで、それ以上落ちる名も何も無いだろ。よかったじゃねえかよ」
バジェは腕力に訴えることはできないし、あの商人が持っているらしい後ろ盾もない。バジェが何をどう騒いだところで恐るるものではないと舐めているんだ。
ああ、やっぱりこうなった。こうなっちゃうんだ。
なんで私、今さら、『誰かと一緒にいたい』なんて思っちゃったんだろう。
今までずっと一人でいたのに。それで大丈夫だったのに。命を救われたなら――その『恩』は一応返したはずだし、さっさと元通り、一人旅に戻ればよかった。
馬車の旅が楽だからとかトランディオが可愛いからとか。……バジェと一緒にいるのが、楽しかったからだとか。
そんな私の都合なんて、どうでもよかったのに。
バジェはどうしようもない男だけど。だからって、私が巻き込んでもいい人ではなかった。どうしてこんな簡単な結果が『視え』なかったんだろう。いいや、『視える』とかそんな事関係なく、容易に想像できる事だったのに。
「うっせえ。帰れ。見逃してやる」
「なんだよバジェ、お前程度が偉そうに。そんなに『穢れの銀』を大事にする理由がどこにあんだよ。……ああそうか。お前、あの『穢れの銀』を『使って』小銭でも稼いで――」
……あとはもう、酷いものだった。
何がって、バジェが。
殴りかかったのはバジェだったけれど、あの細い身体で何ができただろう。相手の商人だって、別に肉体派みたいな感じはなく、ごくごく普通の商人らしい商人という感じだったけれど。並の体格である、というだけで十分だった。
掴みあえば完全にバジェは力負け。
体当たりをしても、跳ね飛ぶのはバジェの方。
体格で見劣りするからってバジェがそこを埋める体術や何かを持っているわけではない。見ていて可哀想になる負け試合だった。
とはいえ、相手の商人もまったく痛手を負っていなかったかといえばそうでもなく。
ご自慢の、どこかの商会所属を表すターバンはゆるゆるにほぐれて、額の表面積がかなり広くなっているのはあらわになった。バジェも商人も掴み合いで服の袖が引きちぎれたけど、バジェの服は擦り切れるぐらい着古していたから、そもそも限界みたいな有様だった。向こうは、この収穫祭の為におろしたような服だったから、心的なダメージは大きかったみたい。
『母ちゃんにひっぱたかれる!』という悲痛な叫びが広場にまで響き、舞台の演者やファン達が何事かとこちらに目を向けるほどだった。
そのため、無様をこれ以上晒したくはないと商人はバジェを突き飛ばして、広場をあとにした。
まわりは、遠巻きに見ていたものは、収穫祭だなんだでこういった喧嘩が起こるのは珍しい事ではないと、またほかの店での買い物や、他の演目の準備に目が移った。そばで事情をある程度理解していた者は、『『穢れの銀』なんかに関わるからだ』と、バジェから目をそらした。バジェを労わるような声はなかった。最初に手を出したのはバジェだったからというのもある。とどめを刺しに来なかっただけ、肝要なのかもしれない。
「もうアイツとは、口きかねえ!」
バジェは子どもの喧嘩みたいな事を言っている。
あの騒ぎを起こした後で店を続けるのは無理があったし、『綺麗な石』でそれなりに売り上げが出ていたので、バジェは痛む体を引きずるようにしながら、店を早々に片づけた。私はその手伝いをして、その後で、村の井戸で水を汲んできた。余った布で、バジェの顔についた泥を拭ったり、腫れてきそうなところを冷やしたりした。
「ごめんね、バジェ。私のせいで」
「そうだよ、テメエのせいだよ!」
片付けも終わり、荷馬車に移った私達だが、バジェは声を荒げた。荷引き馬のトランディオ――本名『ポンすけ』は、心配そうに荷馬車に顔を突っ込んでくる。
……私のせいで、酷い目に合わせてしまった。私がいなかったら、バジェはあの商人と、仲良く商売の話をして――あとは夜に酒場にでも行って、楽しい思いをできていたかもしれないのに。
「お前の為に、俺ぁあのクズと殴り合いをしたんだぞ!?」
……殴り『合って』はいない。一方的だった。一方的にバジェが殴られていた。
「だってのに、お前が加勢に来ないたぁどういう事だよ!?俺はなあ。エーラ、お前をあてにしてたんだぞ!?お前なら、アイツを殴り飛ばせただろうが!?」
まあ、私なら、殴り飛ばせはしただろうけれど。『穢れの銀』と嘲笑われる都度やっていたら、きりがないじゃないか。
「俺はなあ、お前の名誉を守ってやろうと――痛ってえよ!冷やすんならもうちょっと優しくだなあ……いだだだだ……」
「ご、ごめん!」
どうしよう、痛み止めの薬草を出した方がいいかもしれない。アレはいざという時のためのものらしいけど――
「おいエーラ、お前どこに……この程度で薬草なんか出すなよ!?」
「でも、バジェ、すごい痛そう!っていうか、痛いって言ってるし!」
「お前はいつも大袈裟なんだよ、最初の時だってそうだ!あの程度で餓死なんてなあ――いだだだだ……っ、痛いは痛いけど、これはな、痛いって騒ぐことで痛みを誤魔化してんだよ!」
でも、身を折っている様子を目の前にして、何かできないかとなるのは当然じゃないの?
「でも、何でもないって言っても――」
「何でもないとは言ってねえよな!?何でもないわけあるか!見てみろ!このバジェ様の男前な顔が!どこぞの悪徳富豪みたいなぶくぶくした顔に腫れあがり始めてんだぞ!見なくてもわかる!」
男前は言い過ぎだ。落差の比喩としても、元値を高くつけ過ぎている。
ともかく、薬草は不要とのことらしい。……本当に?とりあえず、出しかけた薬草を片付ける。そうなると、できるのは濡らした布で冷やし続けるぐらいだ。
熱を持ち始めている。本当に大丈夫だろうか。こんなに細い腕なのに。
「俺はなあ、お前の為に、こんな目に――」
恨み言全開だったバジェが、言葉を途切らせた。
もしかして、やっぱりどこかに異常が?
骨が折れていた?もしかして内臓が、は、破裂――
「……別にお前のためじゃねえ。俺がムカついたからだ!『俺のモン』に、アイツが難癖付けたからだ!……『女のため』とか言やあ格好がつくかなと思っただけだ!だから――」
また、言葉を途切れさせた。早くもところどころに青痣ができ始めている手が伸びてきて――私の頬に、触れた。
「だから、泣くんじゃねえよ」
「え……?」
バジェの親指が、私の頬を滑る。もしかしたら、涙を拭ってくれているのかもしれない。
「エーラ、お前に恩を着せてやろうと思っただけだ。……ちょっとヘマしちまったがな。だから、これは俺が少しばかり読み違えをしただけで――俺が勝手に動いて、勝手にしくじっただけだ。お前は何にもしなかっただろ?お前にゃ何も関係ない話だ」
わかったか?とバジェが私の目を見つめていた。
「わかっ……た」
声にした事で初めて、私の声が涙声になっていた事に気づく。いつから泣いていたんだろう。
泣いたって何か解決するわけでもないのに。泣く事なんて、小さかった頃だけだったのに。けれど、あとからあとから、涙が零れてしまう。バジェは片手ではなく両手を差し出して、指どころか、手全体で涙を拭おうとしてくれている。それでも追いつかないらしく、少し困った顔をしていた。少し考えて――そして、ふへっと気の抜けた息をついた後、にたにたとろくでもない笑顔を見せた。
「まああれだ。エーラがどうしても俺に感謝の気持ちを表したいっていうなら、今夜あたり――」
「今日はもう大人しく寝てて」
何もかも、台無しだ。そのままぐぐっとバジェを荷馬車の中で寝かせる。そして、濡らした布を、バジェの頬にあてた。
「いってえ!今、わざと強めに冷やしただろ!?」
「さっきの件。……元気になったら、考えてあげる」
バジェが、目を丸くした。そして、にたあっと締まりのない顔。
「……殴られ損で終わらねえなら、まあ、悪い話でもねえな」
いてててて……弱々しい声をあげながらも、バジェはふてぶてしい。これなら大丈夫かな。そう思いつつも、私は一応、夜通しバジェの青痣や腫れを冷やし続けた。
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