第2話 モサモサ眼鏡は花嫁修業中です

 ダハトリア王都の春は肌寒い。


 王宮内で主要な部屋の暖炉では常に炎が燃えているし、窓も掃除や換気のとき以外は閉め切られている。

 服装もまだ長袖だ。


 そんな中、厚手の侍女のお仕着せを身に纏った侍女たちがちょこまかと働いている。


「ちょっとぉ~、モサモサ眼鏡~。執務室の床磨きが終わったら、図書室の掃除もお願いできる?」


 第一王子の執務室で、先輩侍女の一人がメーテルに向かって告げた。

 金色の艶々した長い髪に派手な化粧をした彼女は、お金持ちと有名な侯爵家のご令嬢だ。


「……わかりました」


 モップを動かす手を止め、メーテルは素直に頷く。

 この城で、第一王子付きの侍女として働き始めてから二ヶ月が経過した。

 新人だった頃と比べ、徐々に仕事が板に付きつつある。


 しかし、メーテルに回されるのは誰もやりたがらない地味な仕事ばかりだった。

 直接王子と関わるような仕事は、位の高いご令嬢たちが、しっかりと抱え込んで放さない。


(まあいいんですけど。私はお掃除、好きですし?)


 地味な仕事だって誰かがやらねばならないし、メーテルは特に気にしていない。

 ただ、王子に接する仕事をする侍女に比べて、掃除に割り当てられる侍女が少なすぎやしないだろうか……とは思う。


 執務室関連の業務だけでも、お茶を運ぶ係が五人、書類を手渡す係が五人、上着を預かる係が五人の交代制だ。


(それに比べて掃除をするのは私だけ。人数差がエグい……)


 貴族のご令嬢たちにとっては、成り上がりの騎士爵の娘なんて平民と代わらない認識だ。

 だから体よく、面倒ごとをメーテルに押しつけてくる。

 我慢には慣れているし、今の仕事はそこまで大変ではない。けれど……。


(あの呼び名だけは、なんとかならないものでしょうか。モサモサ眼鏡って名前、可愛くないんですよね)


 モサモサ眼鏡――それは、メーテルの外見をそのまま表した呼び名だった。

 ぼわっと膨張した金茶色の強烈なくせ毛に、近視用の分厚い瓶底眼鏡。

 初出勤の日、メーテルの姿を見た侍女の一人がそう名付けた。


(モサモサじゃなくてフワフワとかだと可愛くて、素敵なのに……)


 けれど誰も、そんな風には呼んでくれない。

 それどころか、二ヶ月も経ったのに友達ができる気配すらない。

 友達どころか、仲間にも入れてもらえていない。

 仲間というか、同じ人間として見られているのかさえ疑問だ。


(他の侍女たちと共通の話題がないのと、身分差が大きいのが問題のようです)


 メーテル以外は子爵家以上の貴族令嬢ばかりなのだ。

 とはいえ、メーテルにその溝を埋める手段はない。


 生まれてこのかた、同年代の女子と過ごす機会が少なく、圧倒的にコミュニケーション力が不足している。

 地元で培った騎士たちとの筋肉言語は、侍女たちに一切通じない。

 そして、メーテルには、彼女たちが大好きな王都の流行や高価なドレスや宝飾品に関しての知識もない。知る手段もない。


 だから、日常的な会話について行けないのだ。

 侍女たちが口に出すような品々は、平民と変わらない暮らしをしている実家では、逆立ちしても購入不可能なものばかりである。


(暮らしてきた世界が違いすぎます。私が商人出身なら、なんとか話についていけたかもしれませんが。うちは筋肉しか取り柄のない普通の騎士の一家でしたし……)


 努力だけで縮められる距離ではない。

 彼女たちのほうも、メーテルを使い勝手のいい働き手だと認識していても、同じ令嬢の仲間だとは微塵も思っていないようだった。

 普段の雑な扱いに、そういった考えがにじみ出ている。


 床を磨き終えたメーテルは、モップと水の入ったバケツを持って、執務室と繋がる図書室へ移動する。


 第一王子は勉強熱心な人物で、専用の図書室を所持しているのだ。

 広い図書室には背の高い棚が立ち並び、中にはぎっしり分厚い本が詰まっている。


 部屋の端でゴシゴシと大理石の床を磨いていると、すぐ近くに誰かが立つ気配がした。


(……?)


 顔を上げると、さらさらの銀髪美人――この部屋の主、第一王子のハインリーが壁沿いの本棚にもたれかかり、黄色掛かった瞳でメーテルをじっと眺めている。


「ハインリー様……お疲れ様です。今日は図書室にいらしたんですね」

「うん」


 彼のスケジュールは先輩侍女が管理しているはずだが、今日は姿を見ないので、てっきり出かけているのかと思っていた。


「メーテル、いつも掃除してくれてありがとう。君のおかげで毎日部屋が綺麗だ」

「これが私の仕事ですから」


 王族の身の回りの、普段の細々した掃除や片付けはメーテルのような侍女の役目だ。

 ただ、一人だと全ての範囲に手が回らない。

 せめて、もう二人くらい掃除係がほしい。


「他の者も、メーテルのように真面目に仕事をしてくれればいいのだけれど」

(……そうですね)


 心の中でそっと頷く。

 他の侍女はハインリーと接触したがるばかりで、最低限の仕事しかしていない。

 中には露骨に妃の座を狙っており、仕事そっちのけで、彼に迫っている人もいる。


「なんで、働かない侍女を置いているのかって思うよね?」

「え、ええと……」


 口に出してはっきり言えないものの……正直、そう思う。

 真面目に仕事をする人を雇えばいいのに、と……。

 メーテルの表情に出ていたのか、ハインリーはくすくすと小さく笑った。


「私も同意見だよ。けれど、彼女たちの父親は第一王子を支援してくれている貴族たちだから。『娘を侍女として側に置いてくれ』と頼まれると無下にもできないんだ」


 働かないご令嬢たちを侍女として置いておくことも、貴重な味方を確保しておくための手段であるようだ。


「身分の高い方は、大変なのですね」


 平民と変わらないような、騎士の娘であるメーテルには想像も及ばない。


「ふふっ……。メーテルといると落ち着く」


 それは、政略的な争いと無縁のお気楽な侍女だからだろう。

 ここで働いているのも、王都で見聞を広めたり、侍女として花嫁修業をしたりという、緩い理由からだ。

 花嫁修業に関しては、メーテルの父の爵位は一代限りだし、あまり意味がないのではとも思うのだけれど。


 メーテルは可愛らしい侍女の服を着て働くことに憧れもあったので、地元で募集されていた「王城勤めの侍女」の仕事に駄目元で応募し、運良くすんなり選考を通ってしまった。

 そして第一王子付きの侍女として城に配属された。


 最終面接官はハインリーで、実質彼がメーテルを採用してくれたとも言える。

 だからメーテルは彼に感謝しているし、精一杯仕事を頑張ろうと意気込んでいた。


「メーテル。月に一度、メイドたちによる大掃除があるし、掃除は手が回る範囲だけで大丈夫だからね」

「はい……」


 答えつつ、メーテルは感動していた。


(ハインリー様は、素晴らしい王子様です。こんな末端侍女の私の名前を覚え、いつも気遣ってくださるなんて)


 もっと掃除を頑張らなければと思ってしまう。


(彼のような方が王様になったら、未来も安泰でしょうね)


 心からそう思う。

 ただ、王宮内の事情はやや複雑だった。


 今の国王――つまりハインリーの父親には複数の妃と、複数の王子がいるのだ。

 そして、互いに次の王位を狙って争っている。

 ときには命を奪い合うことさえあった。現にそれが原因で亡くなっている王子もいる。


 もちろん、表向きには王家の威信を低下させるような情報は出ていないが、侍女として城の中で働いていると様々な噂が耳に入ってきた。

 そして現在、最も命を狙われているのは、王位に一番近いと言われている、第一王子のハインリーだ。


 生まれた順番や能力において、文句なしに次の国王の候補として名前が挙がっている彼は、そのぶん危険な目に遭っていた。


 息子を次の王位に就かせたい妃や、自分が王になりたいと願う王子たち、それぞれの親戚、ハインリー以外の王族に忠義の熱い部下たち――大勢が彼の命を狙っている。


(せめてここにいる間だけでも、私がハインリー様をお守りできればいいのですが)


 頼まれてもいないのに、メーテルは一人で尊敬する雇い主を守ろうと闘志を燃やしていた。

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