ハルノ、桜屑の森III(笠ヶユエと樋口ガイ)
髪はほつれ、乱れるばかり。衣服は汚れ、サイズ感も不自然。
笠ヶユエの容姿は異様だった。みすぼらしかった。
それを最初に整えてくれたのはキリコだった。
無地のシャツやデニムパンツを組み合わせただけのどこかラフな格好のユエ。
髪はされど荒っぽく整えられていたために、子供染みた、そしてどこかボーイッシュな雰囲気がユエのトレードマークになるのであった。
しばらくの間、劇団の中でユエはそのような印象が定着していた。
だけどガイの身に降りかかった悲劇からしばらくしてのこと。一度活動を休止していた彼が再び「月夢の子羊」に戻って来た時のことだった。
彼が劇団の活動に復帰したことを契機に、またしてもユエの装いは変わることになったのだ。
ガイも他の団員からユエの事情については聞き及んでいた。彼女がどのような傷を負い、どのような行動をとったのかも。
それでも彼は彼女のことを他の団員と同じように扱った。いつもの朗らかな笑顔で、いつもの陽気な態度で。
そうしてユエとガイの親睦が深まるうちに、気が付けばユエの身だしなみが整えられていくようなのであった。
始めは髪の毛にハリが戻り、次にツヤが出るのであった。そうして白髪の綺麗なロングヘアに若さが取り戻されるのと同時に、ユエの服装に大きな変化が訪れるのであった。
キリコの渡した少年っぽいコーデを一新し、クラシックドレスのような清楚系から、ウール系のマフラーとカーディガンを併せ、ロングコートを羽織った大人っぽいコーデなどといった、フォーマルなアイテムを組み合わせるコーデが全体的に増えたのであった。
明るい色のスポーツシューズを履いていた数か月前とは違ってシックなローファーやブーツを履くようになった。
時にはピアスや帽子、眼鏡といったアイテムを組み合わせることもあった。
どこか子供らしさを演出していたデニムパンツも今は良いアクセントになっており、落ち着いた上品な雰囲気を演出している。
ユエの身だしなみの変化は服装だけに留まらなかった。
彼女の荒れていた肌質はいつしかキメを取り戻し、赤みが目立つ箇所も徐々に治まっていくのであった。
そうしてユエとガイが出会って半年ほど経過して、ようやく現在のユエが完成するのであった。
気品のある、骨董人形にも似た雰囲気を身にまとう笠ヶユエになるのであった。
「どうだ! 俺の手にかかればこんなもんだ!」
見違えるような変化を遂げたユエの姿を見て、他の団員たちは衝撃を受けていた。
あのガイが女の子の身だしなみを整えられるなんて。
そんな周囲の反応に、むしろガイの方が誇らし気な態度をとるのであった。
対照的に、ユエは何がなんだかわからないといった様子で、半ば困惑しているのであった。
それでもやはり嬉しかったのか、ユエは柔和な笑みを浮かべてガイのことを可笑しがるのであった。
「どうしてあなたの方が嬉しそうなのですか。
施していただいたのは、私の方なのに」
「こう見えて俺は他人の衣装をコーディネートするのが好きなんだ。
自分にはない組み合わせを表現できるし、
しかも相手は喜んでくれるんだから、一石二鳥なんだ」
「素敵ですね」
「それにこういうのって、自分の美意識まで上がった感じがして、
とにかく嬉しいんだよ」
要は自分のためだったのだと、ガイはまんざらでもない様子で言ってのける。
それは半ば本音ではあったのだろうが、それでもガイの努力はユエにとっても望ましいものだったに違いない。
なぜならばユエ自身もガイからのアドバイスをもとに、自分から積極的に身だしなみの管理を行うようになったからなのであった。
そうしてガイの教えを基にして、次は化粧の練習をするのであった。
しかしさすがのガイもメイクアップアーティストにはなれなかったようで、その役目はハルノに引き継がれることとなった。
ハルノ直伝で教えられたのであるから、ユエのメイク技術はあっという間に上達してしまうのであった。
そうして今やハルノとユエはメイクや衣装といった、舞台の美術関連の仕事を共に行う仲間になるのであった。
だからこそ脚本制作も順調に進むはずだったのだが……
そう単純なものでもなかったらしい。
「……ですので、「恋愛」を扱う劇を完成させるためには、
低俗な文化の模倣であってはいけないのです」
ユエの主張はめちゃくちゃだった。
始めはマンガや小説といった「サブカル」を軽視しており、舞台上で同じテーマを扱うことに抵抗感を示しているかのように思われた。
しかし普段からユエ自身も小説を多く嗜んでおり、ガイの薦めで時折マンガを読んでいる姿も目撃したことがある。
そして彼女は小説のこともマンガのことも、決して嫌っている風ではなかったのだ。
むしろ「サブカル」に良い印象を抱いているということは、作品の感想を語る彼女の姿を見れば一目瞭然であったのだ。
そして役者を演じる際に、小説の台詞を引用してみたり、マンガのポージングを真似してみたりと、彼女自身も大きな影響を受けていたはずなのだ。
だからハルノからすると、彼女が「サブカル」を蔑視し、演劇と「サブカル」との間に大きな溝を想定していること自体、彼女らしくない考え方のように思えるのであった。
そのことをユエに説明すると、彼女は俯きがちになって、黙ってしまうのであった。
「……もちろん小説もマンガも私は楽しんでいます。
……しかし演劇においてそのような文化を模倣するのは……
おかしなことだと思いませんか?」
「でも……ユエさんの演技は小説やマンガの影響を受けていたよね?」
「……」
演技のプロであるハルノに指摘されたからこそ、ユエは何も言い返すことができないのだろう。
ではユエの本心はいったいどこにあるのだろうか。
「低俗な文化」を模倣することを禁忌だと語ったが、それは彼女の真意ではなかったのだ。
ならば彼女はなぜ怒ったのだろうか。
何に対し、怒ったのだろうか。
ここにきて、ハルノたちの疑問は原点に帰るのであった。
「演劇を……神聖視しているんじゃないのか?」
短い沈黙の後、そのような指摘を示すのはガイであった。
ガイの言葉に、今度こそユエは彼の言葉に同調しているようであった。
その表情には驚きにも似た色が宿っており、しかし依然として確信を得ることはできないといった顔つきである。
痒い所に手が届かない。そんな表情であった。
「演劇ってのは確かに芸術の一種かもしれないが、
俺たちのやっている舞台は芸術のためじゃない」
言わずもがなである。
彼らの舞台は非常に実利的な目的のために行われているのだ。
「悪夢」を取り除き「夢」を演じることは、何かを表現するための活動ではなく、誰かを救うための活動なのだ。
つまり「月夢の子羊」は芸術を追及していない、ともいえるのではないのだろうか。
そしてそれこそが「月夢の子羊」の活動であり、ユエの立つ舞台の本質なのであった。
「もちろんユエが演劇に芸術性を見出しているなら、
俺はそれを否定することはしない。むしろ応援したいと思う。
けど……」
ユエは本当に芸術を欲しているのだろうか。
そんな彼女の願望を、ガイもハルノも疑わしく思うのであった。
彼女が芸術を探求しているようには見えないからだ。
マンガや小説を嫌っていないことを見抜いたときのように、今度も彼女の真意は芸術とは別の場所にあるのではないのかと、似たような確信を持っているのだ。
「もしユエが演劇を通して芸術を追及しているわけじゃないなら……
そこまで重く受け止めすぎる必要もないんじゃないのか?」
「……」
「ユエが演技をしていて楽しい。
それかここにいて演劇をやるのが楽しいって思えるなら……
それで充分なんじゃないかって。……うまく言えないけど、俺はそう思うんだ」
ガイはうまく言語化できないと言うが、十分に彼の気持ちは伝わったはずだ。
ユエの神妙な面持ちを見れば、彼女が如何にガイの言葉をしっかりと受け止めているのかが察せられるようだ。
自分なりに寄り添おうともがく姿が、表情にまで表れているようだった。
ハルノはそんな二人の様子を、黙って見守るのであった。
「……ガイの言う通りかもしれません」
そうして口を開いたユエの言葉は、けれど自信は持てないといった色を宿している。どこか納得できないというように、その声色はおぼつかないものであった。
「私は純粋に演技を楽しんでいただけのはずでした。
皆さんと一緒に、
この「月の裏舞台」で演技をすることが楽しかったのだと。
そう感じていたのだと思います」
「それじゃあ演劇を神聖視しているからでもないんだな?」
「……恐らくはガイの言う通りです」
つまるところユエ自身も、どうして自分が怒ったのかはわからないのだと。そういう話であった。
だけどハルノとガイの目線から見ると、彼女が怒った真の理由はほとんど明らかなものであった。彼女の真意について、二人はすでに掴み得ているのであった。
「恋愛」だ。
彼女の過去の記憶とトラウマとが、こうして彼女の心に再び暗い影を落としているのだ。
つまるところ作劇のテーマを「恋愛」にするべきではなかったのだと、ハルノはまたしても後悔するのであった。
それが結果的にユエの心を傷つけることになったのだから。そうしてユエはガイと口論をすることになってしまったのだから。
……そしてその口論が、ガイの心をも傷つけてしまったことは明白であった。
愛するべき女性との別れを経験したガイに、ユエの言葉は容赦がなかった。
ガイの心を的確にえぐり、彼の精神に深い傷を与えているということをハルノは理解している。
だからこそ以降の話題は──すなわちユエのトラウマと向き合うことは──ガイの過去にもわずかばかり重なるということなのだ。
ハルノにとってそのことは、ユエのみならず、ガイに対してもしっかり向き合う必要があるということなのだ。
いっそのこと、この先の話題には触れない方が二人のためなのではないかと、そう思わないでもない。
けれどユエとガイはここで話し合いを止めるつもりはないらしい。
二人は二人の過去に、どうにかして折り合いをつける必要があるみたいだ。また二人ともそのように感じているようであった。
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