消えない彼と、やまない雨
藍沢ルイ
第1話 消えない彼
「これ、俺じゃない…」
土曜日の朝のことだった。いつも通り朝にシャワーを浴びようとした時のことだった。鏡に映る自分の体を見ると、なかったはずの胸があることに気が動転した。手の先からつま先まで見るからに女の身体をしていた。______誰だよ、この女。
「唯?シャワーまだ使ってる?長くない?」
ルームメイトの篠宮楓(しのみやかえで)が、ドア越しに話しかけてくる。
「……」
俺は、自分自身に戸惑って何も聞こえず、床にうずくまっていた。
「大丈夫か?返事しないとドア開けるけど」
楓がガチャっとドアを開いた瞬間、俺は現実に引き戻される。
「勝手に開けんなっ……」
俺は、開かれたドアの方からかすかに見えた足元に向かって、近くにあった風呂桶を楓に向かって投げ捨てた。
ガコンっと音が鳴り、沈黙が流れた。
「……今のは痛かったわ。でも急に開けて悪かった」
ドアが閉じられていく音で、楓が部屋に戻ったことがわかって、安心した。だけど、この状態をどう説明すればいいのかがわからなかった。ただの男同士のルームメイトの関係だったのに、こんなの気持ち悪いだろ……。
楓とは、高校の時に出会って、最初は、隣のクラスであまり話さなかったけど、楓は部活でバスケ、俺は別のクラブチームでバスケをしてたのもあって、俺は途中で挫折してやめたけど、バスケがきっかけで話すようになった。それからお互い同じ大学に進んだことをきっかけに、仲が良くなり、2人でルームシェアをしている。
とりあえず、シャワーを済ませて着替えた後、リビングに戻った。
楓はキッチンで洗い物をしていた。
テーブルには、ホットコーヒーとバナナ、ヨーグルトが並べられている。
俺は、リビングの椅子に座ると、楓の背中に話しかけた。
「……楓、さっきはごめん。それと、朝ごはんありがと」
「うん。てか、唯は悪くないじゃん。急にドア開けた俺が悪かったし。唯、お腹痛かったんだろ?」
楓は、洗い物を終えて、向かいの席に座った。
「……え?」
「だって、風呂場でうずくまってたから」
「まあ……」
体調が悪かったわけではなかったけど、俺はまだ自分が女の体に頭の整理がつかず、言葉を濁してしまう。
楓は、俺の異変にまだ気づいてないみたいだった。それが良かったのか。悪かったのか。今話しても受け入れてもらえるのだろうか。そんなことを考えていると、どうしてもまだ話すことができなかった。
「そっか。俺、仕事あるから部屋戻るわ。無理すんなよ」
「ありがとう」
そう言うと、楓は部屋に戻っていってしまった。
俺は、気を張っていたのか一度テーブルにうなだれる。
いつかは言わないといけないよな……。
楓も仕事だし、俺は気を紛らわせるために買い物ついでに、昼から一人で飲みに行くことにした。
近くの飲屋街に行き、二軒ほど飲みに行った後、少し先から見慣れた姿が目に入った。
「唯じゃん。久しぶり」
声をかけてきたのは、高校の時の友人、須崎祐馬(すざきゆうま)だった。
「祐馬、久しぶり」
「唯やせた?なんか、言ったら悪いかもしれないけど、かわいくなった?」
「……はあ?何言ってんだよ。別に変わってないから」
俺が女の身体になってること、もしかして祐馬に気づかれてる……?
「高校の時から、華奢だなとは思ってたけど、ほら腕とか細くなった気がする」
そう言って、俺の手首を軽く掴んだ。
確かに、俺は高校の時から女だと間違われるほど周りと比べると体型も細く、声変わりもあまりしなかった。
それと、大学に入ってから忙しかったし、祐馬とは、高校卒業以来会ってなかったけど、祐馬は、距離感が近いやつだってことも思い出した。
「……やめろって」
「おーい、祐馬、次の店行こうぜ」
俺の声をかき消すように、祐馬のことを呼ぶ声がした。
祐馬は他の友人達と飲みに来ていたらしく、その声に振り返った瞬間、俺は腕を振り解いた。
「祐馬、呼ばれてるじゃん。行ったら?俺ももう帰るし」
「ああ、また飲みに行こうぜ。じゃあ行くわ」
「うん」
家に帰ると、時計が夜の19時を示していた。
キッチンには、洗われた食器が置いてあり、楓も食事を済ませていたことを知った。
俺達は、その後も顔を合わせることはなく、眠った。
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