第9話:崩れる神話

第9話:崩れる神話


I. 鉄格子の冷たさとフラッシュの熱

早朝。人気のない路地裏で、華山 秀樹は、警察官に取り囲まれた。彼の顔は憔悴しきっている。手首にかけられた手錠の冷たい金属の感触が、彼の体温を奪っていく。


「ふざけるな!俺は何もやってない!これは、俺の評判を妬んだ連中の陰謀だ!」


華山は抵抗したが、彼の声は震え、力がない。連行される際、突如として集まったマスコミの強烈なフラッシュの光が、彼の目を焼いた。その光は、かつて浴びていた喝采の光とは全く異なる、冷酷で容赦のない追求の光だった。


「華山さん!本当に詐欺を働いたんですか!」


「神崎社長に何か言うことは!」


怒号のような質問と、シャッターの連続音が、華山の耳を支配する。彼は、かつての華やかなスターの地位から、一瞬で転落したことを、全身で理解した。


数週間後。東京地方裁判所。


法廷は、傍聴席が溢れかえるほどの熱気に包まれていた。乾燥した空気と、人々の視線の重圧が、被告人席に座る華山にのしかかる。


彼は、スーツを着用しているものの、その表情は硬く、緊張で歪んでいる。手錠は外されたが、彼の心には、見えない鉄格子がかけられていた。


「被告人、華山秀樹。検察側の冒頭陳述に対し、何か申し立てはありますか」


裁判長の厳粛な声が響く。


華山は立ち上がり、弁護士の助言を無視して、自らの言葉で語り始めた。彼の声は低く、わずかに上擦っている。


「私は、無罪を主張します。検察側は、私が**『破綻を知っていた』と断定していますが、それは事実無根だ。私は、神崎社長と同様に、未来を信じて投資した被害者です。あの会社の経営悪化は、私にとっても青天の霹靂**だった。私は、芸能界を追われた男の、悲劇のヒーローでしかありません!」


彼の言葉は、自己憐憫と、過去の栄光への執着に満ちていた。法廷の空気が、一瞬、感情論の熱を帯びる。


II. 抑圧された怒りの爆発

次に証言台に立ったのは、被害者である神崎 雅之だ。神崎は、硬い木の感触がする証言台の縁を両手で強く掴んだ。


大月検事が、神崎に尋ねる。


「神崎さん。あなたは、華山氏のどの言葉を信じましたか?」


神崎は、華山を怒りに満ちた目で睨みつけた。その視線は、憎しみと、裏切られた者の痛切な感情を込めている。


「彼の自信です!『ネクタルだ』と、『絶対儲かる』と!彼は、まるでギリシャ神話の神のように、この投資を神聖なものだと錯覚させた。私は、彼の華やかなオーラに、判断能力を麻痺させられた」


神崎の声は、最初は抑えられていたが、次第に熱を帯び、震え始めた。


「しかし、あの男は!私の3億7千万を、『紙切れになる』と知っていながら受け取った!私が、人生で築き上げた信用の塔を、彼は一瞬で崩壊させた!私が払った金は、あの男の高級車や女たちへの、蜜の味になったんだ!」


神崎は、抑えてきた怒りの全てを、言葉に乗せて法廷に叩きつけた。彼の目からは、悔しさと屈辱の涙が、一筋、頬を伝った。その涙は、彼の熱い頬の温度と、法廷の冷たい空気とのギャップを物語っていた。


「私の人生の5年間は、あの男の沈黙によって奪われた!許せない!彼には、詐欺師として、最も重い刑を受けてほしい!」


神崎の切実な声は、傍聴席全体に響き渡り、人々の感情を強く揺さぶった。


III. 共謀の証言の揺らぎ

法廷の雰囲気は、神崎の証言により、完全に華山に不利に傾いた。大月は、決定的な証拠である西脇 誠を証人台に立たせる。


西脇は、検察との司法取引により、極度の緊張状態にあった。彼の顔色は土気色で、汗が滲んでいる。取調室での強気は消えていた。


「証人。あなたは、華山被告が、医療会社の破綻の事実を知っていたことを、直接確認していますね?」大月は、一歩前に進み、西脇に迫った。


西脇は、証言台の木製の冷たい感触を強く握りしめた。


「は、はい……その通りです。2001年8月頃に、私が報告しました」


「その時の華山被告の反応は?」


「**『神崎には絶対に言うな』**と……」


ここで、華山の弁護士が立ち上がった。


「異議あり!証人は、検察との司法取引により、証言にバイアスがかかっている!証言の信憑性に疑義がある!」


裁判長が異議を認める。法廷は再び、喧騒の熱を帯びた。


華山の弁護士は、西脇に詰め寄った。


「証人。あなたは、華山被告に**『破綻の件は墓場まで持っていく』というメールを受け取ったと供述しましたね。そのメールは、検察側が押収した暗号化データ**から発見されたと」


「そうだ……」西脇の声は、蚊の鳴くように小さくなっていた。


「しかし、その暗号化データには、『送信者のアドレス』が明確に残っていない。あなたが、自己保身のために、華山被告を道連れにしようと、捏造した可能性はありませんか?」


西脇の顔が青ざめた。彼の頭の中では、華山の弁護士の鋭い言葉が、木槌のように響いている。


「な、捏造など……!私は、真実を……」


「真実? あなたは、華山被告から多額の報酬を受け取りながら、今、彼を裏切っている。あなたの供述の**『信頼性』は、すでに崩壊している**のではありませんか?」


西脇は、証言台から逃げ出したい衝動に駆られた。彼の全身が震え、発汗により、スーツが肌に張り付く不快感****を覚えた。


「うっ……!私は……」


西脇の言葉は途切れ、証言台に沈黙が広がる。その沈黙は、華山側の思惑通りだった。彼の証言の**『揺らぎ』は、法廷の潮目を、再び混迷**へと引き戻した。


大月は、その光景を冷たい視線で見つめ、歯を食いしばった。彼女の指先は、握りしめたペンの冷たさを強く感じていた。


(このままでは、あの男を逃がしてしまう……。西脇の証言だけでは、弱い。)


崩れかけた華山の神話を、最後に決定的に打ち砕くには、動かぬ証拠が、もう一つ必要だった。法廷の熱気は、真実と虚偽の炎に煽られ、最高潮に達していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る