王女と浮浪児
本来ならここで死ぬはずの姫――イングリッド、彼女の寝顔はまるで人形のようであった。
彼女のガラス張りの棺は昨夜、投棄されたばかりなのだろう。
操作パネルには《エラー》の文字がいくつも点滅しているが、まだ原型を保っていた。
しかし既に外付の冷媒のタンクの一つが破損している。時間の猶予は無さそうにみえた。
「ちっ……!」
ゲーム時代ならいざ知らず、操作方法なんて分かるはずもない。俺はその辺に転がっていた石を掴み、パネルへ叩きつけた。
一度、二度。何度も、何度も。火花が散り、警告音が鳴り響く。
次の瞬間、ポッドのロックが外れ、冷たい空気が噴き出したのが解った。どうやら間に合った。
俺は慌てて中を覗き込む。すると、霜に覆われた白い肌。様子を窺い、ぺちぺちと頬を叩くが反応はない。
「……大丈夫か?」
不安がよぎった、その時だった。
ぱちり、と。灰色がかった瞳が、俺を射抜く。綺麗だ、と思った次の瞬間、伸びてきた両手が俺の首を絞めた。
「――ぐっ!?」
抵抗する間もなく体勢が逆転する。馬乗りに押さえつけられ、息ができない。力が違いすぎる。スラムの浮浪児の腕力ではどうにもならなかった。
見上げた表情は、怒りに塗れて、目覚めてばかりでもなお、美しかった。
しかし、その姿に見惚れているばかりにもいられない。
「たす……け……て……! だず……けて」
俺は掠れた声で必死に懇願した――数秒後。
彼女は怒りの形相から、「……はっ!」と声を上げ、慌てて力が抜け、俺は解放された。
「ゲホ……! 目は覚めたかい? イングリッド様」
情けなく咳き込みながら声をかける。彼女は額を押さえ、ぼんやりと周囲を見回した。
「ごめんなさい……まだ頭がふらふらする……。ここ、どこ? あんたは誰? ……お腹すいた」
「ここはマナタイト採掘星ダーナ。俺はシモン。飯はない。他に質問は?」
「ダーナ? 嘘でしょ。こんな臭い場所、私、知らないわよ?」
周囲を見渡した彼女は顔を顰めた。
俺は冷たくなった喉元を擦り、不貞腐れ気味に答える。
「間違いないよ。あんたが知ってるダーナの二百年後の姿がこれさ」
その言葉に、イングリッドの表情は凍りつく。
あ……、やべ。 言い方が悪かった。
次の瞬間、彼女は勢いよく詰め寄ってくる。
「二百年? ……はっ、冗談にしては趣味が悪いわね。 でもあの嫌味な皇帝なら、嫌がらせのためだけに、この星をゴミ塗れにしてもおかしくないわ」
そう笑おうとして、彼女の口元が歪んだ。
「でも……あんた、知ってる顔してる。
私が、何故捨てられたのかも」
言葉が途切れ、彼女はそのまま泣き崩れた。
嗚咽だけではない。
「マナタイトの灰……、青い空、木々も、美しい草原も、海も!」
灰が混じる空を儚み、失われた物を数える姿に俺は何も言う事ができなかった。
混乱している。無理もない。俺だって、目覚めたばかりの
暫くしてイングリッドが落ち着いたあと、俺は用意していた言葉を伝える。
「……あぁ、うん。うちの家系は元貴族なんだってさ。かぁさんがよく、妄言みたいに言ってた。
あんたがここに棄てられることも……知ってた、らしい」
少し間を置いて、俺は肩をすくめる。
「だから、助けた。理由はそれだけだよ。
かぁさんの遺言だったからさ」
嘘である。
だが素直に自分は転生者で、前世の記憶が――なんていうよりはマシだろう。それだけで怪しさがストップ高だ。
俺の言い訳を聞いて、警戒心を少し解いた彼女は俺から降りた。
「遺言……怪しいわね? でも、嫌な目はしていない。とりあえず……ところで、あんた名前は?」
「シモン……らしい」
「“らしい”ってなによ、それ? 私の事は解る癖に自分の名前は曖昧なの?――」
呆れたように言って、彼女は胸を張る。
「――私はイングリッド。ダーナ王、赤毛のエイリークの娘よ!」
「ごめん。イングリッド……様? かぁさんが死んだ時に、心中でもしようとしたのか……何か薬を打たれてさ。それから少し記憶がはっきりしないんだ」
これは本当の事だ。
以前から調子は良くなかったと記憶している――しかし、この三か月は更に酷くなった。
イングリッドのタイムリミットもそうだが、シモン、俺自身のタイムリミットも刻一刻と近づいているのを感じていた。
探し人であることを確認して、俺は一歩踏み出す。
「イングリッド……様。俺に力を貸してくれ。あんたの復讐に、力を貸す。その代わり、この星を出るのを手伝ってほしい」
彼女は眉をひそめる。
いきなり現れた浮浪児が力を貸す? 「――お前に何が出来る?」そう言いたげな視線だ。
「様……はいらないわよ? この感じ、二百年で我がダーナ王朝が滅びたのは解る。今更、姫扱いしてくれる民なんていないでしょ? でも……なんで、私が復讐したいなんて? あんたに何が出来るの?」
「そりゃあ……元臣下として……。――目的は同じ筈だ! 俺は確かに力も金もない! だが、あんたを助ける知識がある! この星の現状やスラムの歩き方だって――!」
少しの沈黙。そして――。
「嘘――。でも分かったわ。ポッドが壊れかけてたのは事実みたいだし。私が生きてるのは、あんたのおかげなのは事実だと……思う。今は、あんたの提案に乗ってあげるわ!」
イングリッドは疑念は残るものの、信用してくれる様だ。まずは一安心。そうして一息ついた頃。
その瞬間。
イングリッドのお腹が「ぐーっ」と鳴る。
「……」
「……」
二人で顔を見合わせる。
イングリッドの顔は真っ赤だった。
「とりあえず飯にしようぜ?」
俺はそう提案する。しかし――。
その提案は辺りを捜索するスラムにはありえない武装集団の足音で、却下されたのだった。
――さすがだ。
この世界は、弱者に楽はさせてくれないらしい。
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