🌸第5話🌻 図書室に咲く声なき花

生徒会室の空気は、春の午後になると不思議な重みを持つ。


騒がしいはずの学園の中心から少し離れただけで、時間の流れ方が変わるような場所。


(……静かだ)


真白は、椅子に腰掛けながらそう思った。  昼休みの終わり。けれどここには、チャイムの余韻も、廊下のざわめきも届かない。


正面に立つのは、生徒会副会長──藤宮 紫苑。藤色の髪をまとめ、穏やかな微笑みを浮かべている。


「改めて、来てくれてありがとう。突然呼び出してしまって、ごめんなさいね」


「い、いえ……」 「大丈夫です」


ひよりと葵が、それぞれ小さく応じる。


なぎは相変わらず肘をつき、いのりは興味津々で室内を見回していた。


(……なんだろう、この感じ)


真白は、自分の胸の内を探る。怒られるわけでも、試されるわけでもない。けれど──“選ばれている”感覚だけが、確かにあった。


「今日はね、新入生オリエンテーションについて、少し相談があって……」


紫苑の声は静かで、よく通る。


「例年は、生徒会が中心になって運営してきた行事だけれど……今年は、少し形を変えたいと思っているの」


「形を?」なぎが即座に反応する。


「はい。1年生自身が、1年生のために作るオリエンテーション。“教えられる場”ではなく、“一緒に学びを見つける場”にしたいの」


その言葉に、真白の胸が小さく揺れた。


(一緒に、見つける……)


今まで彼は、誰かに与えられた場所に、ただ静かに立ってきた。自分から選ぶことも、作ることも、避けてきた。


「その補佐として、1年A組に協力をお願いしたいの」


「やる!」葵が、間髪入れずに手を挙げる。


「楽しそうだし!ね、真白!」


名前を呼ばれて、真白は一瞬だけ言葉に詰まる。


(……選ぶ、のか)


視線を感じて、ふと顔を上げると──生徒会室の端、少し影になる位置に──菫坂澄玲(すみさか すみれ)が座っていた。


いつから、そこにいたのだろう。


濃い菫色の髪。背筋を伸ばし、静かにこちらを見ている。存在感は薄いのに、不思議と視界から消えない。


(……C組の、菫坂さん)


言葉を交わした記憶は、ほとんどない。けれど、“いる”ことだけは、確かに分かる。


「特に──霞くん」


「あなたは、人を選ばない。それは時に脆くもある……でも今は、それが逆に強みになると思ったの」


紫苑に名前を呼ばれ、真白は我に返る。


「人を選ばないのが強み……」


「もちろん強制ではないわ。話し合って、できる範囲で構わないの」


その隣で、蓮城蒼真が腕を組んだまま、低く言った。


「ただし──やるなら、中途半端は許されない」


鋭い視線が、真白を射抜く。


(……この人)


迷いがない。選ぶことを、恐れていない人の目だ。


「……やります──僕でも、やれることがあるなら……」


真白は、静かにそう答えた。


葵が、ぱっと笑顔になる。ひよりは、安堵したように小さく息を吐く。


「決まりね」


紫苑は頷き、話を続けた。


「準備の打ち合わせは、放課後に。場所──」


「……図書室が、いい」


場に落ちた、控えめな小さな声。全員が振り向く。


菫坂澄玲だった。


「静かで……落ち着く。人も少ないから……」


一瞬の沈黙。


紫苑は、すぐに微笑んだ。


「素敵な提案ね。では、放課後は図書室で」


澄玲は、それ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。


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──生徒会から出て、肩の力が抜けたのもつかの間……そのこの後の方が真白にとって問題だった。


「ねぇねぇ、オリエンテーションって何やるのぉ?」


廊下に出るなり、いのりが真白の腕に絡む。


「校内案内とかぁ?ゲームとかぁ?」


「ちょ、いのり、近い!」なぎがすかさず引き剥がす。


「距離感!距離感が!百合原さん!」


「えー?でも真白くん、嫌そうじゃないよ?」


「それが問題なんだよ!」


その瞬間──


「きゃっ!?」


角から飛び出してきた別クラスの生徒とぶつかり、いのりが前につんのめる。


「うわっ!」


支えようとした真白の手が──偶然、いのりの胸元に。


一瞬の静寂。

「……」

「……」

「……」


「きゃーーーーっ!!」


「ご、ごめん!!」


廊下に響く悲鳴。周囲の視線が一斉に集まる。


「真白、最低!」なぎが即断罪。


「え、でもこれ……不可抗力では!?」真白は必死に弁解する。


「不可抗力でも事実は事実だよ!」なぎが指を突きつける。


葵は──笑っていなかった。


「……ましろ」


低い声。


「な、なに?」


「あとで、ちゃんと説明してね?」


にこっと笑う。目が、笑っていない。


(……あ、これ不味いやつだ)


ひよりは、静かに一歩下がった。


「……にぎやか、だね」


ぽつりと、澄玲が呟いたのを、誰も気づかなかった。


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放課後── 


オリエンテーションの相談で訪れた図書室は、別世界だった。


騒がしさは嘘のように消え、本の匂いと、柔らかな光だけが残っている。


「……ここなら、落ち着くね」


真白がそう言うと、澄玲は小さく頷いた。


席に着く。誰も無理に話さない。


葵は、真白の隣に座りながら──さっきより少しだけ距離を取っている。ひよりは向かいで、本を開いたまま視線を落としていた。


澄玲は、ノートを開き、静かにペンを走らせる。


 スっと机の真ん中に出されたノートに書かれた文字。


『話さなくていい居場所』


真白は、それを見て、ゆっくり頷いた。


「……いいね」


それだけで、十分だった。


声なき花は、ここに咲く。騒がしい世界から、少し離れた場所で。


恋も、選択も、まだ名前を持たないまま。


図書室という静寂の中で、確かに、根を張り始めていた。

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