恋だ愛だは品切れ中
月影 流詩亜
前編 美少女幼馴染み達との秘密の試験勉強
カチ、カチ、と時計の秒針がやけに大きく聞こえる。
参考書とノート、そして散らかった冬用ミカンが散乱した俺の部屋。
後期中間試験が間近に迫り、恒例の「緑野家・合同試験対策本部」が設置されていた。
まあ、本部長(俺)と、お隣に住む幼馴染みの双子、
「コリャーッ 、海! 寝るなぁー!
中間試験で赤点取ったら、冬休みのスキー旅行がお流れになって、地獄の補習授業に強制参加なんだぞぉー!」
俺の声に、テーブルに突っ伏しかけていた海が、んん……と小さく唸りながら顔を上げた。
大きな瞳がとろんとして、明らかに意識が半分夢の世界に旅立っている。
「だって……大ちゃんの部屋、あったかいんだもん……」
「暖房入れてるからな。だが寝るな!
特に苦手な数学、ここで踏ん張らないとマジでスキー行けなくなるぞ!」
まったく、先に夕食を腹一杯食べたのが良くなかったのか、それとも単に勉強が嫌なのか。
可愛い寝顔なのは認めるが、今はそれどころじゃない。
隣で海を注意する俺の言葉に、うんうんと神妙に頷いていた空は……あれ?
微動だにしない。
教科書の一点を見つめたまま、まるで彫像のように静かだ。
嫌な予感がして、空の目の前でそっと手のひらをヒラヒラさせてみる……反応なし。
「お前も寝てんのかよ!
しかも目を開けたまま!
器用なことしてないで起きろ!」
ハァ……。俺、緑野大地、十六歳。未だ彼女いない歴=年齢を更新中。
目の前には、校内でも可愛いと評判の双子姉妹がいるというのに、この状況はどうだ。
色気もへったくれもない。
あるのは参考書のインクの匂いと、迫りくる試験のプレッシャーだけ。
ラブコメの主人公は、もっとこう……なんか特殊能力とか持ってそうだもんな。
俺の人生に、ある日突然可愛い転校生が現れて恋に落ちるとか、廊下の角で運命の出会いとか、そんなドラマチックな展開が用意されているわけがない。
じゃあ、一番身近なこの幼馴染み二人はどうなんだって話になる。
太陽みたいに明るくて、ちょっと強引だけどいつも周りを引っ張ってくれる空。
月みたいに穏やかで、物静かだけど、ふとした時にドキッとするような優しさを見せる海。
どちらも、ずっと隣にいて当たり前の存在だった。
家族みたいで、空気みたいで。
……まあ、こんな平和な関係が、このまま続けばそれでいいのかもしれない。
恋愛に焦るよりも、このままみんなで卒業して、大人になってもこの関係が続けば、それはそれで最高の人生じゃないか、なんて、少しだけ安堵している自分もいる。
「……と、感傷に浸ってる暇はねえ!」
俺は気合いを入れ直し、数学の問題集を開いた……その時だ。
ピロン ♪、とスマホが通知音を鳴らした。普段は勉強中はサイレントにするのだが、今日は設定を忘れていた。
「大ちゃん、誰から?」
空が目を開けたままの彫像モードから一瞬で覚醒し、テーブルを乗り越えんばかりに覗き込んでくる。
海も、寝ぼけ眼をこすりながら体を起こした。
画面に表示されていたのは、他クラスの女子生徒、
橘は大人しくて美人で、校内でも評判の女の子だ。
「緑野くん、試験勉強お疲れ様。
すごく大事な話があるので、今日放課後、二人きりで公園の東屋でお会いできませんか」
俺の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
「なっ……!?」
「えーっ!誰これ!?」と、空が声を上げる。
「しーっ、空!うるさい!」
俺は慌てて画面を隠そうとしたが、空と海は、双子ならではの連携で既に画面の内容を把握していた。
「橘……陽菜さん?他クラスの……」
海が、いつになく冷静な声で名前を呟いた。
「おい、冗談だろ……?二人きりで大事な話って、まさか……からかわれてるんじゃねえか?」
モテない歴十六年の俺の自己評価は、すぐに「からかい」という可能性に辿り着いた。
だが、空と海は、俺のその言葉には反応しなかった。
二人は、俺の背後で、互いの目と目を合わせた。
その顔から、瞬時に感情が消える。
それは、嵐の前の不気味な静けさ。
空の目には、いつもの太陽のような明るさの代わりに、鋭利な警戒心が宿っていた。
海の瞳には、月の穏やかさの代わりに、深く静かな決意が宿っていた。
言葉は、交わされない。
だが、アイコンタクトだけで、二人は完璧に意思を疎通させた。
(……この関係を乱す者は、容赦なく排除する by 空)
(……大地に、この密約を知られてはならない by 海 )
「……まあ、いいじゃん大ちゃん!とりあえず返事しとこ!委員会の仕事かもしれないしね!」
空が、わざとらしく明るい声でそう言い、海も小さく頷いた。
「そうですよ、大地くん。橘さんは真面目な子と評判ですから。あなたが勘違いしないように、私たちがちゃんと見張ってあげますからね」
海が、俺を安心させるようにそう言った。
その言葉の裏に、別の意図が隠されていることに、鈍い俺は全く気付かなかった。
「……ああ、そうだな。からかいじゃねえといいけどよ」
俺はそう呟くと、返信を打ち始めた。
その瞬間、幼馴染みの平和な日常の終わりを告げる、秘密のミッションが、ひっそりとスタートしたのだった。
◇
昼休み。大地は購買へ。
空と海は、大地に「先に中庭の席を取っておくね!」と伝え、別行動をとった。
しかし、二人が向かったのは中庭ではなく、人気の少ない図書館棟の裏だった。
そこには、海が送った「大地の幼馴染みとして話しておきたいことがあります」というメッセージを見て、戸惑った様子で立っている橘陽菜の姿があった。
「橘さん、ごめんなさい。わざわざ来てもらって」
海が静かに頭を下げた。空は橘の手を握る。
「あの……藍井さんたち。緑野くんは……?」
「大ちゃんは今、パンを選んでる。すぐ来るよ」と空は愛嬌たっぷりに笑うが、その笑顔の奥には、全く隙がない。
「でも、その前に、私たちから橘さんにどうしても伝えておきたいことがあるんです」
海が、一歩前に出る。
その涼やかな瞳は、一切の迷いを許さない迫力を持っていた。
「私たちは、大地くんの全てを知っています。
彼の弱点も、彼の馬鹿なところも、そして、彼がどれほど恋愛に臆病なのかも」
「え……?」橘の顔に戸惑いが広がる。
空が、意図的に大地を貶める情報を吹き込んだ。
「そうそう!大ちゃんは、橘さんみたいな美人に話しかけられると『どうせ俺なんか、からかわれてるに決まってる』って、すぐ拗ねちゃうんだよ!」
「だからね、橘さん。私たち、大ちゃんの一番の理解者として、一つお願いがあるの」
海が空の言葉を引き継ぎ、静かに、しかし決定的な一言を放った。
「残念ですが、大ちゃん(大地)の恋だ愛だは品切れ中です。
私たちは、生まれた時から彼の隣を売約済みにしているんです。彼はそのことに気付いてさえいませんけど……」
海は橘の反応を見極めながら、さらに畳み掛けた。
「もし、あなたが大地くんに告白すれば、彼は『からかわれている』と勘違いし、深く傷つくでしょう。
私たちも、彼のモテないという自己評価を崩したくない。それが、彼の平穏につながるからです」
海は、橘に「大地のために身を引く」という、最も断り難い選択肢を提示した。
「どうか、からかいという形で、彼の勘違いを強化して、引き下がっていただけませんか。それが、私たちからのお願いです」
橘は、二人の圧倒的な圧力と、「大地は既に売約済み」という真実の言葉に打ちのめされ、顔色を失う。
空と海は、橘が立ち去るまで、一歩も動かなかった。
そして、橘が涙ぐみながら立ち去るのを見届けた後、二人は互いに無言で、強く、短く、手を握り合った。
── ミッション成功。大地くんの平和は守られた。
誰も知らない、美少女幼馴染み二人の秘密の任務は、こうして完遂したのだった ──
(後編に、つづく)
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