第7話
ある日、村はずれに住むクマケと言う名の大男が訪ねてきた。
「食い物を分けてもらえないか。子供がひもじいと泣いてたまらんのだ」
クマケは、コツコツと働き穀物や木の実を蓄えるゴボウを、ずっと馬鹿にしていた。クマケが山に入ればシカやタヌキ、時にはクマでさえ狩ることが出来たからだ。しかし、噴火は山の獣たちを遠くに追いやり、蓄えのないクマケの一家は、早くから飢えていた。
クマケは食べ物を分けてくれと言い、火の気のないひんやりした土間に手をついて頭を下げた。ゴボウとヨモギは、男の背中を照らす西日にこの世の黄昏を見た。
「かわいそうだが、やることはできん」
夫婦の蓄えは山で集めたキノコやドングリなどで、それも残り僅か。クマケの頼みを断るしかなかった。
「これほど頼んでも、俺には食い物を分けられないのか!」
クマケが立ちあがると、西日の中に巨体が大きな影を作った。その手の先に、どこに隠し持っていたものか、光を曲げる得物があった。獣をさばくのに使う小刀だ。彼はそれを振りかざしていた。その形相は、鬼の宿ったクマのようだ。
「狂ったか……」
クマケに追われ、夫婦は竪穴式住居の隅に逃げた。
「死にたくなければ食い物を出せ」
「ワシたちを殺す気なのか? ゴボウ、やるしかない!」
ヨモギは覚悟を決めた。たとえ敵わなくても、むざむざ殺されるわけにはいかない。
「オウ」
夫が呼応する。
「俺に敵うものか。さっさと食い物を出せ。さもないと、お前たちを殺して食うぞ」
彼は、ネズミを追うネコのように驕っていた。ゴボウに向かって悠々と迫る。背後からヨモギがしがみついても落ち着いたものだ。ヨモギの力など、たかが知れている。彼女を軽くはねのけてゴボウに襲い掛かった。
ゴボウは、辛うじてクマケの腕を押さえて被害を免れた。
ごろごろ転がったヨモギは、土間にあった獣獲りの罠の木杭を手に取った。「エイッ!」と、クマケの引き締まった横腹めがけてそれを突き立てる。無我夢中だった。
「ぐぇー」
クマケは呻き、襲い掛かった姿勢のまま動きを止めた。が倒れることはなかった。杭は筋肉を貫き、ヨモギが手を放しても抜けることがない。それは脇腹から突き出た男根のように、クマケの呼吸と苦痛と共に上下した。黒い血が杭を伝い、その先から地面にどろりと流れ落ちた。
「クマケ、お前の負けだ」
ゴボウは握っていた彼の腕を解放し、小刀をもぎ取った。
クマケがよろよろと外に向かう。が、外に出た途端、膝をついた。それから、ゆっくりと身体は前傾してうつ伏した。
「殺してしもうた」
ヨモギは、動かなくなったクマケの脇にしゃがみ込むと、血で汚れた両手で顔を覆った。生臭い臭いが鼻を突く。それは腐った魚とも、ネズミの血の匂いとも違っていた。慌てて水甕に走り、顔と手を洗った。
「襲ってきたのだ。仕方がなかろう。こいつ、のっけから俺たちを殺そうとしていたのだ」
「死体をどうしたものだろう?」
夫婦は話し合ったが、隠そうとは考えなかった。役所に届けることなど、尚更、思いもよらない。村は大和朝廷の管理下に入って日も浅く、夫婦は陸奥の国府の存在さえ知らなかった。
「これも何かの運命だ。こいつの肉を食って、次の春を待とう」
夫婦はクマケの身体を切り分け、肉を食って空腹をいやした。余った肉は乾して保存した。
その頃、人の肉を食うのはその夫婦だけではなかった。餓死した家族の肉を食う者が現れ、隣人を襲う者もいた。クマケの後も近在の者が夫婦を殺そうとやって来た。しかし、仲の良い夫婦は協力してそれらを撃退した。相手が死ねば、逆に食った。そうして冬を生き延びた。春が近づくと夫婦の家を訪ねる者はいなくなった。
夫婦が近在の者を殺して食ったという話が国府に伝わり、国司は夫婦を捕縛した。
陸奥国司は官位の異なる八名で構成されている。夫婦の取り調べに当ったのは、最下級で従八位下の
「お前たちが人食い鬼の夫婦か!」
それは質問ではなく、怒りだった。そして、人の道を外れたものに対する侮蔑と嫌悪だ。大江は白い顔を怒りで赤く変え、時折、猜疑で青く変えた。
「そうせずして、どうして生きていけましょう」
夫婦は反論したが、飢えを知らない役人の心に言葉は届かない。
「米がなければ猪の肉でも食えばよいではないか。それが無ければぺんぺん草でも食うておれ」
大江は厳しく、時にはネチネチと、なぶるように責めた。
ヨモギは言葉を失った。状況を知らない者には何を言っても無駄だと思った。
「しかし……」大江が、縄で縛られたヨモギの顔を両手ではさんだ。「……肉を食らったからか、色は黒いがこの肌の滑らかで美しいことよ」
顔を寄せて舌なめずりをする。
「少しくさいが、洗えば臭いも落ちよう」
ヨモギの丸い乳房を握った。
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