第2話 贈り物は音もなく
翌朝。
江戸の空は薄曇りで、雪はやんでいた。
お凛は、弟の額にそっと手を当て、はっと息を呑んだ。
昨夜まで残っていた熱が、嘘のように引いている。
「……ねえ姉ちゃん」
弟は、久しぶりに穏やかな声でそう呼んだ。
お凛は思わず笑って、何度も頷いた。
その胸元には、昨夜の紙切れが大切に畳まれて忍ばせてある。
“夜は、必ず明ける”
その言葉は、お守りのように心を支えていた。
だが、町はどこかざわついていた。
長屋の井戸端で、女たちが声を潜めて話している。
「聞いたかい、裏の横丁でもだってさ」
「戸も開けてないのに、子供の枕元に包みがあったって」
「盗人じゃないよねぇ……」
お凛は黙って水桶を持ち上げながら、胸が高鳴るのを感じていた。
同じ頃、日本橋詰所。
若い同心見習い・新之助は、書付を片手に眉をひそめていた。
「鍵も壊さず、戸も開けず……しかも盗られた物はなし」
それどころか、置かれていたのは
木彫りの独楽、
縫い直された足袋、
そして、短い言葉を書いた紙。
「悪戯にしては手が込みすぎだ」
年配の同心は鼻で笑った。
「年の瀬の迷信だ。ふろしき童子ってやつだろう」
「そんなもの――」
新之助は言いかけて、口を閉ざした。
笑い飛ばすには、報告が多すぎる。
その夜。
お凛は弟を寝かしつけ、灯を落とした。
昨夜と同じように、耳を澄ます。
――来るかもしれない。
そんな予感だけが、胸を満たしていた。
しかし、夜は静かなままだった。
代わりに、遠くの路地で、かすかな足音がした。
新之助だった。
雪の残る屋根を見上げ、闇の中に目を凝らす。
「……いるなら、姿を見せろ」
当然、返事はない。
だがその時、
屋根の影をよぎる、若草色。
ほんの一瞬。
風に揺れる布切れのようにも見えた。
新之助は、確かに見た。
それは、逃げる盗人の背でも、
人の悪意の色でもなかった。
まるで――
誰かの願いを抱いて歩く、夜そのものの色。
その夜もまた、
江戸のどこかで、
音もなく、贈り物は置かれていった。
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