第2話 昭和10年 1935年の日本
『雪と灯りの夜』
昭和十年の東京、冬の冷たい風が街を吹き抜ける。人々の息が白く立ち上り、石畳の上に足跡が刻まれる。通り沿いの商店には小さなクリスマスツリーが飾られ、電飾の光が雪に反射して、夜の街を淡く照らしていた。
「お母さん、見て! あのツリー!」
小学五年生の陽子は、手袋をした手を前に突き出してはしゃぐ。
「まあ、きれいね。でも、雪で靴がびしょびしょになるわよ。」
母の美智子は、肩まで届くコートをきちんと整え、娘の手を握った。街路のガス灯が、二人の影を長く伸ばす。
通りには、人々のざわめきが広がる。着物にコートを羽織った人々、学生帽をかぶった少年たち、そして商店の呼び込みの声。鼻をくすぐるパン屋の匂い、揚げ物屋から漂う油の香りが、冬の夜の空気に混ざる。
「お母さん、あのパン屋さんのクリスマスケーキ、今年はどんなのかな?」
「うーん、まだ小さいから見えないかもね。でも匂いだけでも楽しもう。」
陽子の鼻先に漂うバターと砂糖の甘い香りに、思わず口元がほころぶ。通りの角の洋品店には、赤いリボンと金色の鈴で飾られたショーウィンドウがあった。そこには小さな人形や、緑と赤のモールで飾られたツリーが並び、子どもたちの目を釘付けにする。
「お母さん、あのドール、欲しいなあ……」
「今年は無理ね。でも、来年のお楽しみよ。」
美智子は、やさしく微笑む。だがその目には、家計を気にする小さな影が見え隠れする。
銀座の通りを歩くと、馬車の車輪の音、新聞を配る少年の声、学生たちのはしゃぐ声が混ざり合い、街全体が活気に満ちている。澄子は手袋の指先で雪を握り、冷たさに顔をしかめながらも心の奥がわくわくするのを感じた。
「お姉ちゃん、雪だるま作ろう!」
「うん、でもあとで手が冷たくなるから、ほんの少しだけね。」
二人は雪を丸め、小さな雪だるまを作る。鼻先に雪の冷たさが触れるたび、思わず笑い声が弾む。
街角の洋食屋からは、バターと小麦の香りが漂う。店内では、家族連れや若いカップルがクリームシチューやハンバーグを楽しんでいる。澄子は窓越しに覗き、目を輝かせた。
「おいしそう……」
「たまには外食もいいものね。」
母は小さくため息をつき、娘たちの手をぎゅっと握った。昭和十年の暮らしは、まだ不安定な部分も多く、家計のやりくりに神経を使う日々だった。
夜が深まると、雪はさらに舞い降り、街路樹の枝に薄い氷の花を咲かせる。澄子は窓の外を見上げ、灯りが反射する雪を目で追った。白い世界に、街の灯りやショーウィンドウの光が柔らかく溶けていく。
「お母さん、見て、雪の結晶みたい。」
「ええ、冬の夜って、静かだけどなんだか胸があたたかくなるのよね。」
陽子も小さな手で窓ガラスを撫で、雪の冷たさを感じながら笑う。
帰宅すると、居間には小さな火鉢の赤い光がともり、家族の気配が温かく包む。母は手元の鍋をかき混ぜ、煮物の香りが部屋に漂う。澄子はクリスマス用に用意された小さなオーナメントを取り出し、妹と一緒に簡素なツリーに飾りつけた。
「見て、陽子。雪の結晶みたいにきらきらしてるね。」
「うん、あたたかいね。」
五感が冬の記憶を満たす。鼻に届く煮物とパンの香り、手に触れる木の温もり、耳に響く雪を踏む音と遠くの鐘の音。澄子は心がじんわりと温かくなるのを感じた。
夜遅く、澄子は窓の外を見上げる。雪が舞い、街の灯りが瞬く。銀座の煌めきも、家の小さな灯りも、同じ冬の光。胸の奥にぽっと温かいものが広がった。
「来年のクリスマスも、こうして笑っていられますように。」
小さな声が雪に溶けて夜空に消える。
遠くの教会の鐘が静かに鳴る。澄子はその音に耳を澄ませ、心の中でつぶやく。
「メリークリスマス。」
白い雪と暖かい光に包まれた、昭和十年の冬の夜。街と家族の温もりが、澄子の胸に深く刻まれていった。
***
昭和10年(1935年)の日本の人口と暮らし
昭和10年(1935年)は、満州事変以降、日本が軍事的な拡張路線へと傾斜を強め、国際社会から孤立を深めていった時期です。国内では、大正デモクラシーの自由な気風が後退し、**「戦時色」**が色濃くなり始めた激動の過渡期にあたります。
📊 1935年(昭和10年)の人口動態と社会
1935年は、第3回国勢調査が実施された年であり、急速な人口増加と都市への集中が続いていました。
項目 データ(概算) 備考
総人口 約6,925万人 外地(朝鮮、台湾など)を含まない内地のみの人口
都市人口比率 約35% 都市化がさらに進展し、人口の3分の1以上が都市部に居住
社会環境 軍事費増大、国際連盟脱退(1933年)後 国家総動員体制への準備が進む
平均寿命 男性 約44歳、女性 約46歳 医療・衛生水準の緩やかな改善が続く
Google スプレッドシートにエクスポート
【社会のキーワード】
経済の復興: 高橋是清蔵相の経済政策(高橋財政)により、世界恐慌から比較的早く脱し、景気は一時的に好転しました。しかし、軍事費の増大が財政を圧迫し始めていました。
思想統制の強化: 自由主義的な思想が弾圧され始め、国家主義や軍部の影響力が強まりました。
満州移民: 国策として、満州国への農業移民が奨励され、多くの人々が新たな生活を求めて大陸へ渡りました。
🏠 1935年の暮らしと変化
1. 都市生活と「消費の抑制」
都市の生活はモダン化が進みましたが、華美な消費を避ける風潮が強まりました。
ファッション:
洋装の普及: 男性は洋装(背広)がほぼ定着。女性も職業を持つ者を中心に洋装が増えましたが、政府は「贅沢は敵」としてパーマや派手な色使いを控えるよう指導し始めました。
「国民服」の萌芽: シンプルで機能的な服装が推奨され、後の国民服へと繋がる動きが見られました。
交通とインフラ:
私鉄の発達: 東京や大阪では私鉄網がさらに発達し、郊外のベッドタウン化が進行。
電気の普及: 電気は都市部ではほぼ普及し、扇風機や電気アイロンなどの電化製品が普及し始めましたが、地方ではまだまだ稀少でした。
娯楽: 映画(トーキーの導入で人気増大)、ラジオ、カフェなどが依然として人気でしたが、次第に娯楽の内容にも国家的な**「健全化」**が求められるようになりました。
2. 地方・農村の生活
農業の疲弊: 繭価の暴落などにより、農村経済は依然として困窮していました。多くの農家の次男・三男が、都市や軍隊、あるいは満州へと出ていきました。
都市との格差: 都市との経済的・文化的な格差は広がる一方でした。地方の貧しい農村では、「娘を女工として売る」という悲劇も少なくありませんでした。
3. 食生活と配給の影
食の西洋化(限定的): 都市部の家庭では、パンや牛乳、ジャムといった食料品が食卓に上る機会が増えましたが、主食は米でした。
物資の統制の兆し: 鉄や石油などの戦略物資は軍事に優先され、一般生活用品の不足や価格統制の兆しが見え始めていました。米や砂糖などの主要な生活物資の配給制度が、遠くない将来に導入されるという予感がありました。
🌐 まとめ:見え始めた「影」
1935年の日本は、一見すると都市化と技術進歩の恩恵を享受しているように見えましたが、その裏側では言論の自由の縮小、軍事優先の経済、そして農村の困窮という、重い「影」が広がり始めていました。
人々は、ラジオから流れる軽快な音楽を楽しむ一方で、時折挿入される**「国防」や「愛国」**を強調するニュースに、漠然とした不安を感じ始めていた時代でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます