堕天使になった君と、恋に堕ちるまで

@kamokira

第1話 堕天使ミカエル

 初めて会った時、君は言った。


「神を殺したい」


 その台詞を聞いて、僕はとても驚いたんだ。そんな過激な思想を持つ人間がこの国にいるだなんて、バレれば異端審問にかけられてしまう。


 でも、君は人間じゃなかった。君は、彼女の翼は黒く染まっていた。かつては純白だったその面影は、今やどこにもなかった。


「君は、誰....?」


「私はミカエル。堕天使ミカエルよ」


 それが、君との出会いだった。



 堕天使は毎日、僕の耳元で囁いてくる。


「ねぇ、私と一緒に、神様に復讐しようよ」


 それに対する答えは決まってノーだ。僕はお前とは違って、神様を信じている。協力者を探してるなら他を当たってくれと..。


 なのに君はなかなかしつこい。何度拒絶しても消えてくれない。どうしてなのか理由を聞いても、答えてはくれなかった。


 その代わりか、彼女は僕の事についてやたらと詮索してくる。


「ねぇ。君はどうして、教会で暮らしているの?」


「生まれた時点で親に捨てられたから」


「どうして、毎日教会の掃除をしているの?」


「それが仕事だからだよ」


「辛くない?」


「別に..。それが、神様が僕に与えた試練だから」


 寒い冬の日だった。教会の中の一室で暖をとる聖職者とは対照的に、僕は薄暗い納屋でじっと蹲っていた。


「寒いでしょ。どうして、教会の中に入らないの?」


「僕が汚い奴だから。勝手に入ると、大人に殴られる」


「それも、神様の試練だって言い張るつもり..?」


「うん。神様は、僕の信仰を試しているんだよ」


「そう....」


 堕天使は珍しく、その日は何も言わないまま去って行った。ようやく一人で落ち着いて過ごせると安堵した時、急に意識が遠くなった。


「....もう、死ぬのかな」


 今年は大凶作で、冬に蓄える穀物が不足した。孤児である僕を養う余裕のない教会から追い出されて、ここに居着いて以来、何も口にしていなかったっけ。


「......。お腹、空いたなぁ」


 なんでそんな願望が湧き出たのか自分でも分からなかった。僕は今、死という最後の試練を乗り越える最中だというのに、これ以上何を期待しているんだ..。


『辛くない?』


「....」


 教会を追い出された日、手切金として貰った金貨が胸ポケットに入っているのを思い出した。結局死ぬ直前になった今まで、一度も使わなかったな。


「......」


 こうして僕は死んだ。神の信仰を果たそうと、その事実に変わりはなかった。


「どう? 神は嫌いになった?」


「え....」


 死んだはずなのに、堕天使ミカエルの声が脳内に直接響いた。僕の肉体はというと、地面の上に横たわったまま動かない。


「貴方はまだ完全に死んでいないわ。私がそれを阻止しているから」


「というと?」


「人間は死んだら、天界にある死後の世界に行くんだけど、その橋渡しをするのが本来の天使の役目ってわけ。でも、私は”堕”天使。死んだ人間を現世に留めておくって最大の禁則事項もこなせちゃうんだ」


「へぇ..」


「死後の世界なんて行かない方が良いわ。断言できる」


「どうなるのさ?」


「無になる。自己の境界線が消えて、神という総括された人格の一部になる。全知全能といえば聞こえは良いけど、もう二度と何かに笑ったり、感動する事も出来なくなってしまうのよ。それで、良いの?」


「....それは」


 死後の最大のネタバラシを喰らって悩んでいた直後の事だった。遥か遠方より発光した何かが接近し、僕と堕天使の眼前に現れた。


「マズいわね..」


 と、堕天使は言う。


「本物の天使が、貴方をお出迎えに来たわ」


「え..」


 あっさりとした物言いに驚く間も無く、本物の天使は僕に急接近してきた。


「さぁおいで。そこにいる堕天使に惑わされる必要などない。其方は私の手を取り、神にその身を捧げるんだ」


「い、いやでも..」


 僕の事をじっと見据える堕天使の方を向いて言った。


「....。はい、分かりました」


「うんうん。物分かりのいい子供は好きだよ、素質があるね」


「はい。僕はーー」


「ん? どうしたんだい?」


「ぼ、僕は..。あれ、可笑しいな..。涙が止まらないや....」


「それは歓喜の涙だよ。神の祝福さ。試練を克服した君の到来をさぞかしーー」


「ち、違う..」


「は?」


「僕は....、僕はまだ幸せになっていないじゃないか..」


「....。何を言っている?そんな異端な思考を持ってしまうとは、そこの堕天使に一体全体何を吹き込まれた....。とりあえず、元凶は潰しておくか?」


「え....」


 それが何を意味するのか、理解した時には手遅れだった。


「神法に基づき、堕天使であり人間を唆したお前には最上級の処罰を下す。多少は痛いが、悪く思うなよ..」


 ミカエルが殺される。


「まさか..」


 直後、振り下ろされた特殊な形状の剣をも通さない。正体不明の透明な膜が周囲を覆った。それが堕天使の力によるものである事は明白だった。


「天使は、地球上では観測不可能だけれど、この宇宙の何処かには確かに存在する物質の力を、一つだけ神様に与えられているの」


「ぐっ」


 敵の攻撃は通らない。


「私に与えられた物質は、あらゆる方向から加えられた力に対し、速度10乗の粘性抵抗がかかる..。だから抵抗を上回る加速度で攻撃しない限り、私の防御陣は破れない」


「で、でも....」


「....。分かってる、向こうも相当な手練れみたいね。この防御陣が突破されれば。再構築には10秒のインターバルが必要なの」


「ふふ..。その通りだ堕天使。俺は神に超高密度の物質を与えられている。お前の特性ごと吸い寄せた後に、なぶり殺してやろう!」


 天使は禍々しい剣の軌道を変えず、頭を目掛けて真っ直ぐに振り下ろしている。


「ここは持って30秒。その前に、貴方は逃げて....」


「........」


 僕は逃げるという選択をすべきだった。なのに身体は動かない。天使の剣はついに防御陣を破り、醜悪な表情を浮かべながら堕天使に斬りかかろうとしている。


 そんな姿を傍で見て、自分の中の本能が悟ったんだと思う。


 こいつら(天使)は、悪だとーー


 そう判断した僕は、持てる力を振り絞って天使の腹に一撃を加えた。


「えっ....」


 予想外の攻撃、しかし絶命に至るものではない。そもそも、天使に死という概念は存在しないからだ。聖書にも記述されている。


 天使は特別で、神の他にその身を脅かす事の出来ぬ存在。人間の役割は、ただ彼らの運ぶ神の声に耳を傾ける事だけだとーー


「......」


「....。君は、堕天使の味方なのかい??」


「....別に。ただ、貴方が良い人じゃないと思っただけだ」


「ふっ..。そうかい? それで、苦し紛れの一撃を加えたのかぁ..。ふふふっ。そんなことで、満足できるなんて君は健気だねぇ」


「もう喋るな。僕を殺せよ。死後の世界なんか行かなくても良い!」


「あ、あぁ..。それなら安心したまえ..。君はもう、私を殴った時点で死後の世界には行けないが、堕天使と共に地獄へ送る前に一つだけ教えてやろう....」


「....何を今更」


「...!? 聞いちゃダメ!!」


 天使が語る事の重大さがうかがえた僕は、堕天使の静止を無視した。


「ふふふっ..。お前がずっと不幸な人生を歩んできたのは、神の試練なんかじゃない。私たちは何も手を加えてなどいない。君がただ、不幸だっただけさ」


「......」


「ははっ..。悔しくて声も出ないか??」


「....違うよ」


「は? 何が違うと?」


「......。神の試練じゃないんだろ。つまり、神は全知全能を持ってして、僕というちっぽけな存在すら管理できない存在だと気付けた。それを教えてくれてありがとう。もう何も後悔する事なんてないけど、僕からも君に一つ言いたい」


「あ......」


 最初に異変に気が付いたのは天使だった。彼は自身の崩壊する腹部を抑え、血眼になってこちらを睨み付けた。


「な、何をしたんだお前!!」


「....」


 堕天使はその光景を見て、口を閉じた。


「さぁ..。でも、僕は君(天使)を殺せるみたいだ」


「ふ、ふざけるなよ! 私を殺して、ただで済むと思うな!」


「別に構わない。全員殺す。お前ら天使も....」


 最後まで言おうとした時、目の前の天使は既に粒子となり大気に散っていた。この世界から消滅したかのように、彼はいなくなったのだ。


「おーい」


 堕天使に背後から呼びかけられ、身体をビクつかせる。振り向いた先にいた彼女は、大きく手を広げ僕のハイタッチを待っているようだった。


「....協力はしないよ」


 彼女の掌と触れ合う。


「君は崩壊しないの?」


「だって私は堕天使。世のことわりから外れた落伍者だよ」


「そうか....」


「うん。それでさ、君にお願いがあるんだけど..」


「....。何だよ?」


 僕は既にその答えを知っていて、同じ事を期待していた。



 




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