半ズボンの落日

森崇寿乃

第一章 泥の王国

 昭和四十三年、六月。

 北関東の平野にへばりつくようにして建つ市立第三小学校の校庭は、常に乾いた黄土色の砂埃に覆われていた。

 午後二時過ぎの太陽が、容赦なく地表を焼き尽くしている。蜃気楼が揺らめくほどの熱気の中で、六年生の黒田猛くろだたけしは、半ズボンから剥き出しになった両足で大地を踏みしめていた。

 膝小僧には、昨日作ったばかりの赤黒い瘡蓋かさぶたがこびりついている。スネには無数のひっかき傷と、乾いた泥の跳ね返り。それは猛にとって、痛みである以前に、この過酷な校庭を支配する男の勲章であった。

「おい、女子! とろとろすんじゃねえぞ! 球拾いがお前らの仕事だろうが!」

 猛の怒声が、昼休みの校庭に響き渡った。

 クラス対抗のドッジボール。猛は陣地の最前線に仁王立ちし、獲物を狙う鷹のような目で相手チームを威圧していた。

 彼の視線の先には、逃げ惑う女子たちの集団があった。スカートの裾を翻し、悲鳴を上げながら右往左往する彼女たちの姿は、猛の目には実に滑稽で、自分たちの遊びを彩るための弱々しい獲物に過ぎなかった。

「いくぞ! 目ぇ開けてろよ!」

 猛は上体を大きく反らすと、指先に泥のついたボールを渾身の力で振り抜いた。

 唸りを上げて放たれたボールは、一直線に相手コートの隅で縮こまっていた少女の背中を直撃した。

 ドスン、と鈍く重い音がして、少女が前のめりに倒れ込む。

 幼馴染の早川カズ子だった。

「やったあ! 猛ちゃん、すげえ!」

「ヘッドショットだ!」

 味方の男子たちが歓声を上げ、猛の背中をバンバンと叩く。猛は鼻の穴を膨らませ、肩で息をしながら、倒れたまま動かないカズ子を見下ろした。

 カズ子はゆっくりと起き上がったが、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。膝を擦りむいたらしく、白い靴下に赤い血が滲み、土埃と混じって汚れている。

「……痛いっ、猛ちゃんのバカぁ! 手加減してよぉ!」

 涙声で抗議するカズ子に、猛は嘲るような、残酷な笑みを返した。

「うるせえな。ボールから目ぇ離す奴が悪いんだよ。泣くなら運動場から出て行け。ここは男の戦場なんだよ。お母さんのオッパイでも吸って寝てろ!」

 その言葉には、一ミリの罪悪感も混じってはいなかった。

 猛の世界において、力こそが正義であり、泣くことは敗北を意味した。そして女子という生き物は、生まれながらにして敗北を運命づけられた、庇護されるべき弱者──いや、時に足手まといになる邪魔な存在でしかなかった。

 カズ子はそれ以上言い返すこともできず、ただヒックヒックとしゃくり上げながら、保健室の方へと去っていった。その小さく丸まった背中を見送りながら、猛は胸の奥で奇妙な万能感に浸っていた。

 俺は強い。俺はこの校庭の王だ。誰にも縛られず、誰にも負けない。

 汗と泥の匂い。そして、圧倒的な力の差。この心地よい秩序が永遠に続くと、猛は無邪気に信じていたのである。

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