第四話 それぞれの役割

 休日明けの月曜日、昼休みの食堂には定食をつつく瑚乃海このみがいた。何人かで集まって食べる人が多い中、一人で丸椅子に座り黙々と食事をしている。白い天板のシンプルなテーブルに置かれた盆には焼き魚や副菜が配膳されている。


「ここ空いてる?」


 どこか人を寄せ付けないような雰囲気を醸し出す瑚乃海に、盆を持った野田が声をかける。瑚乃海は手で空いていることを指し示して野田が向かいに座る。


「曲作りの方は順調?」

「ぼちぼちですね。来週には渡せるかと」


 副菜の切り干し大根を食べながら瑚乃海は答える。


「仕事が早いね古井さん、こっちは全然だよ。曲をもらう前にある程度形をつくっておきたいんだけど」


 いつも明るい印象を与える野田の顔は、元気がなく落ち込んでいるようだった。よっぽど動画の作成が進まず精神的に疲れているのだろうかと瑚乃海は感じる。

 

「古井さんはあの指示書はどう解釈した? なにかヒントとかあれば教えてほしいんだけど……」


 縋るような目で野田が尋ねる。

 食事のペースを落とすことなく瑚乃海は意見を述べる。


「私は指示を気にせずやりたいようにやってるので」

「え、そうなの!?」


 さらっと出たとんでもない発言に野田は大きな声で反応し、慌てて口元を手で押さえる。


「考え込んでも仕方ないと思って」


 瑚乃海は焼き鮭の骨をめんどくさそうに箸で取り除く。


「凄い大胆……。私もそうしようかな」


 年齢的にも社会人年数的にも野田の方が歳上であるが、あまりに堂々した瑚乃海の態度に尊敬の眼差しを野田は向ける。


「一応、”見る人を笑顔にできるものにすること”に則って明るい曲にはしますけど、それ以外は諦めましたね。企業理念に沿ったものとか製品をイメージできるものとか」

「やっぱり難しいよね。それだけ絞れただけでもすごいと思う」


 なんとなく話が長引きそうだと瑚乃海は感じ、白米をじっくりと味わう。


「最初の頃は営業部の皆で意見出し合ってたんだけど、会長が噛んでるとわかってから一気に手を引いたんだよね。今は私だけでやることになっちゃって」


 よっぽどこの件で悩んでいるのか、早食いがスキルの一つとされる営業職でありながら野田の箸はほとんど進んでいない。


「会社に長くいる人はわかってたんですかね」

「そうなのかもね。なんか上司に失望しちゃった」


 会長の目に留まってしまった案件がそれまでの経緯や納期などを無視してちゃぶ台返しをされる映像が瑚乃海の頭で上映される。そういうことが今までに何度もありそれを知っている人達は今回の件から一斉に退散したのだと推測する。会社の負の面を垣間見てしまい心なしかご飯がまずく感じられる。

 微妙な空気が二人に流れる中、野田が辺りを見渡してから小声で口元に手を添えてヒソヒソと話す。


「なんか会社のSNSアカウント作って情報発信するとか言い出してるみたい」

「そうなんですか。急ですね」

「そうでしょ? まだ動画が片付いてないのに」


 企業のSNSアカウント自体は至って普通のアイディアだが、中規模の法人向け運搬機器メーカーが何を発信するのだろうと疑問を抱いてしまう。

 会長と話したことはないがアクセルをベタ踏みする暴走おばさんのイメージが瑚乃海にできあがりつつあった。


「ウチの会社って広報活動はどの部署がしてるんでしったっけ。そこに任せられないんですか」


 脳内で組織図を展開してみるが広報専門の部署が見当たらず、どこの管轄かを瑚乃海は見当がつかなかった。


「ホームページの運営は情シス課だけど内容は営業とか総務が決めてるかな? あ、でも人事とか開発とかも内容によっては絡んでくるかも」

「バラバラなんですね。運営が大変そうです」


 返ってきた答えは、はっきりとしない雑然としたものだった。この会社らしいなと思いつつ、専門部署がないことによって被害を被っている瑚乃海としては嫌な事実だった。


「正直、SNSまでやるなら専門部署を立ち上げて欲しいのが本音だね。動画のアカウントは放置されてたから今回から営業が運用することになったけど……」


 すでに食べ終え、いつもなら長居せず自分のデスクへ戻る瑚乃海だが、食後のお茶をゆっくりと飲みながら野田の話を聞く。


「ところで、古井さんは動画編集とかできたりしない?」


 ふと野田が話題を変える。期待がこもった質問だった。


「動画編集ですか……」


 できる場合はどうなるのか、その先を予測する。おそらく、手伝えるかどうか聞かれるのだろう。

 返答後の未来を見て反射的に断ろうとして口が動くが、言い淀んでしまう。いつもの瑚乃海なら管轄外のことは関わらないようにしている。多少なりとも野田のことを一緒に苦労を分け合う同僚だと認識し始めていたことが、瑚乃海の判断を迷わせていた。


「正直私だけだと手詰まりなんだよね」


 人の心がわからないというわけではない。公私を分け、身内とそうでない人との境界がはっきりとしているだけだ。その境界線が今は揺れて見えていた。


「……簡単な編集くらいならできます。バンドのアカウントでアップしている動画の編集もいくつかしているので」


 口にしてから、その程度の技量では元映像研である野田の手伝いにはならないだろうと思い至る。


「ほんとに!? 作曲だけじゃなくて動画編集もできるんだね」


 瑚乃海を見る目がキラキラと耀く。 


「動画は担当の人が別にいて、私は手伝ってただけですよ」


 イラストや動画作成を担当していた蛍子の顔がちらつく。


「それでもすごいじゃん。……そこでお願いなんだけど、ちょーっとでいいから動画の方も手伝ってもらえるかな?」


 瑚乃海の思い至った考えとは違い、野田は素人同然の編集技術に縋りついた。ここまで来れば乗りかかった船だと瑚乃海は決断する。


「わかりました、大して力にはなれないと思いますが」

「いいの!? ありがとう、助かるよー!」


 手を組んで拝むように野田は感謝する。まだなにもしていないのに大げさだと瑚乃海は思いながらも、悪い気にはならなかった。

 

「取り敢えず曲ができてからでいいですか」

「もちろん! そっち優先でいいからね」


 確認をしてから、瑚乃海はふとあることに気がつく。


「ところで、作業の時間って時間外手当はつくのでしょうか。特に作曲は家でやってたんですど」


 射抜くような瑚乃海の黒目。怒っているわけではなく真顔であるが、却ってそれが迫力を増していた。


「あっ、そうか。私はみなし残業だから気にしてなかった」


 口調は軽いが、冷や汗が出る錯覚に陥る野田。残業が当たり前の営業職の感覚と何事もなければ定時帰宅の瑚乃海との感覚の違いが出ていた。


「……まさか無給ってことにはならないですよね」

「あー、また確認しとくね?」


 野田の目線が瑚乃海の周辺を泳ぎ回る。

 

「お願いしますよ」


 最初に確認をしておけばよかったと後悔する瑚乃海だったが、しっかりしているとはいえまだ社会人二年目の若者。抜け漏れというものはどうしても出てくる。

 もし次があるならば最初に条件を確認すると決意するのであった。


 ◇


 最初に会社のPR動画用の曲を依頼されてから早一ヶ月、鯉が空を泳ぐ季節となっていた。大型連休の真っ只中、瑚乃海の部屋には約束通り蛍子けいこが来ていた。

 蛍子は録音に向けて指の動きを確認しながらギターを弾いている。

 自前のギターは弦を巻くペグが片方に六つ配置された一般的なストラトキャスター型。猫柄のストラップやステッカーがあちこちに貼られたボディから飾り付けるのが好きな性格が伺える。

 瑚乃海より遥かに小さな体躯だが、ギターを構える姿は様になっている。

 しばらく練習を眺めていた瑚乃海は頃合いを見て声を掛ける。


「そろそろ始めるか?」

「うん、そうだね」


 テキパキと準備に取り掛かる二人。蛍子がヘッドフォンを装着して録音が始められる状態になる。蛍子の表情には少し緊張の色が見られる。


「じゃあ始めるぞー」


 軽く手を挙げて合図を出し、録音が始まる。打ち込みベースとキーボードに瑚乃海が叩いたドラムが組み合わさった曲を耳にしながら蛍子の指が動き出す。

 適度に脱力した右手がしなやかにスナップを効かせて弦をピッキングする。弦を押さえる左手のフィンガリングは右手とずれることなく同期している。リラックスしたピッキングから放たれるのは感情をもっているかのように抑揚のある音。派手ではないが正確で強弱をつけるのが絶妙なのが蛍子のギターの特徴だった。

 演奏を見ながらその特徴を思い出して懐かしくなる瑚乃海。その一方、正面から弾いている姿を見ることに新鮮さを覚える。

 ドラムを叩いている時はいつも後ろ姿しか見ていなかった。曲始めと終わりに音を合わせるタイミング以外は前を向いているため、どういう風に演奏しているかをまじまじと見ることがなかったのだ。

 瑚乃海が見つめる中、録音は恙無く完了する。しかし、瑚乃海はどこか納得いかないようだ。


「ねえ、録り直してもいい?」

「いいけど、なにか気になるところあったか?」


 特に演奏ミスはないため、なにかこだわりたいことがあるだろうかと瑚乃海は考える。演奏者はそれぞれ独自のこだわりをもっていることをよく知っているためだ。


「コノミンが前にいると落ち着かないから、私の後ろにきて」


 蛍子は自身の後ろを指差す。


「なんだそれ」


 新鮮さを覚えていた正面からの蛍子の演奏。本人からすれば演奏する時にいつもはいなかった瑚乃海がいることが気になっていたようだ。

 瑚乃海は呆れながらも言われたとおりに蛍子の右後ろに待機する。


「できたら座って欲しいかなー?」

「ドラムのポジションにいろってことかい」


 渋々といった様子で瑚乃海はカーペットに腰を下ろし、胡座をかく。


「こんな感じか?」

「そうそう、いい感じ!」


 蛍子は指で輪っかを作りにっこりと笑う。


「じゃあ始めるぞ」


 瑚乃海は一度立ち上がり、録音ボタンを押してからすぐに蛍子の後ろに座って待機する。

 高校時代に見慣れていた蛍子後ろ姿。大人になった今も変わらない。小さくても頼もしいギタリストは顕在だった。

 蛍子にとっても瑚乃海が後ろにいることに安心感を覚えたのか、最初の緊張感がなくなり演奏の切れが増している。ノッてきたのか、少し体を揺らしながら弾いている。体は揺らしても演奏に乱れはなく、正確なピッキングなのがわかる。


「ふう、さっきよりもいい感じだったんじゃない?」

「問題なかったと思う。これで試してみるか」


 録音が終わると瑚乃海はパソコンの前に座り、すぐに録音したギターの音を編集する。

 編集ソフトに映し出されるのはギター音の波形。まずは不要なノイズを慣れた手つきで除去する。目指すはスッキリとした抜け感のある音、低音域をカットし中音域を増幅させる。バンドの曲ならボーカルと競合する音域が今回は空いているためそこをブーストして音にコシを出させる。


「なんだか難しそうー」


 作業を見ていた蛍子が感想をこぼす。手持ち無沙汰なのか毛先を指先で持て余す。


「蛍子も動画編集できるじゃん。似たようなもんだろ」

「音は曲を流すだけだから全然編集したことないよー。私は映像専門だから!」

「さいですか」


 雑談を挟みながらも編集は進み、ギターの音が完成する。打ち込みの音と入れ替え、できた曲の確認作業に入る。

 

「……どう?」


 不安げな目で蛍子が聞く。


「いいできだ、流石ギタークイーン蛍子様だな。聞いてみるか?」


 瑚乃海は軽い冗談を飛ばしながらヘッドフォンを渡す。


「ふふっ、なにそれ」


 蛍子は表情を緩めながら曲を聴く。

 どこか冷たさを感じるキーボードのイントロから始まり、軽妙ながらも重いリズムが流れ、そこに蛍子のギターが晴れやかな音を奏でる。喜びと悲しみが同居した曲だった。


「……うん、いいね! でも、会社の動画に使うには暗くない?」


 ヘッドフォンを外しながら蛍子は素朴な疑問を口にする。


「そうか? こんなもんだろ。私基準では明るい曲だ」


 瑚乃海は気にしていないようで、親指をグッと立てる。


「それならいいんだけどね! 会長さんも納得するかな?」

「そればかっかりはわからんな。まだ動画もやらないといけないし」


 動画編集のことを思い出し、途端にテンションが下がる瑚乃海。手足をだらしなく伸ばす。


「動画もコノミンがやるの?」

「手伝うことになった。頼まれてな」

「ふーん? コノミンが会社のことでここまで協力するなんて珍しいね。いつも愚痴ばっかりなのに」


 公私をはっきりと分ける瑚乃海を知っている蛍子からすれば、今の瑚乃海は随分会社に入れ込んでいるように映っていた。


「……確かにそうかもな。はあ、早くこの件を片付けて解放されたい」


 自分でも気づかぬうちに依頼に入れ込んでいたことを知り、ため息が漏れる。


「ギターならいつでも協力するから頑張ってー!」


 蛍子は両手で握りこぶしを作り、瑚乃海を激励する。

 しかし、激励をしたのも束の間、その目が怪しく光る。


「ところで、ご褒美はあるんだよねー?」


 蛍子はニヤニヤと瑚乃海にねだる。キラキラと目が光っているかのようだ。


「ご褒美ー? まあなんか軽く奢るよ」

「言ったね? 忘れないでよ!」

「はいはい忘れない忘れない」


 瑚乃海は適当にあしらうように返事をする。

 うらうらとした陽気の休日の昼下がり、一仕事を終えて弛緩した空気が部屋には流れていた。

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