鬼"が"花嫁~国防結界術師の愛し愛され異類婚姻譚~

ふとんねこ

前編


 たちばな家は、この国が誇る三大術師家の内の一つであり、国防に関わる結界術を専門とする一族である。


 その歴史は古く、この国の始まったその時から皇家に仕え続けており、同時にこの国を巨大な結界で包み、守護し続けている。


 さて、そんな橘家であるが、文明開化華やかなるこの現代においても他の二つの術師家と同様に、とある古い慣習を守り続けている。それは――


「不束者と称する気はない。役立つ自覚がある故、末永くよろしく頼むぞ、旦那様」


 見上げた勝ち気な笑顔は六尺を少し超える高さにあり、更にその上に二本の角。紅い髪のその女は、我が国の友好的人外種の一つ、鬼族の姫であった。


「あぁ、よろしく頼む……」


 そして目の前に壁のような背の高さでどーんと立つ鬼の姫をちょっとしおしおしながら見上げているのは橘家の次期当主である。


 三大術師家が守る古い慣習。それは、年代を重ねるごとに自然と弱まっていく術師としての力を保ち続けるため、五代ごと友好的人外種と婚姻を結ぶ、というものであった。


 橘家はちょうどその時期タイミング。そうして鬼族から花嫁を迎えることとなったこの青年がこの橘佐名彦さなひこである。







 妻となったひとは、身の丈六尺六寸にばきばきの筋肉という、大層立派な肉体を持つ鬼族の女性であった。


 佐名彦の目からすると筋骨隆々と例えて差し支えない恵体であるが、鬼族の中では姫君らしく華奢な方であり、特に力が強い(この場合の意味は文字通り「力が強い」である)方でもないらしい。


 鬼族怖い、と佐名彦は密かに震えた。


 紅花べにばなの名に相応しく、燃えるような紅い髪をしており、瞳は鬼族の中でも力の強い(この場合の意味は「霊的能力が強い」である)者に発現するという深く鮮やかな青色だ。


 そして、額から天へ向けてスッと伸び上がる二本の角。人間とほとんど同じ姿をしている鬼族の人外的特徴の一つだ。


 妻となったひとは、そこに指輪のような金の環飾りを幾つか嵌めており、なるほど鬼族にとってはそういう部位なのだなぁと思うなどした佐名彦である。




「此度の婚姻は双方の利益のための婚姻だ」


 紅花は初夜のとこで真剣な顔をしてそう言った。


 その内容には同意だった上、ちょっとびっくりするくらい大きな乳が目の前にどーんとあって途方に暮れていた佐名彦は、ここぞとばかりにその話題に乗っかることにした。


 慣習としての異種間婚姻は愛のないものになることが多い。そういう話かなぁ、と少し覚悟を決める。佐名彦としては、折角嫁いできてくれたので希望があるなら極力叶えたい、という気持ちだ。それがたとえ「貴方を愛するつもりはない」とかであっても。


 身長が違いすぎて、双方座っているのに目の前にあるのはひとえの袷から溢れんばかりの乳である。人間相手じゃそうお目にかかれない大きさだ。それを見ていると途方に暮れてしまうので、ちゃんと顔を上げて紅花の顔を見る。


「そちらは血族の霊力維持のため。こちらは密猟からの守護継続のため。契約としての側面が強い婚姻と言えよう」


 やはり「愛はない」系の話だなぁ、と頷いた彼であったが、続いた言葉に目を見開くことになる。


「だが私は君を愛するつもりだ、旦那様」

「へ」

「君が私を愛してくれなくとも構わない」


 ド間抜けに声を裏返してしまった佐名彦の手をそっと掬い上げるようにして握り、紅花は真摯な瞳で含めるように「分かってくれるか」と重ねる。


「私の目を見て話を聞いてくれる君を、私はきっと好きになるだろう。だから君にも好いてもらえるよう努力すると誓う」


 ぐっと近づいた距離に思わず「ひゃわ」と更に間抜けな声が漏れたが、紅花は小さく苦笑し「い人だ」と大きな手で佐名彦の頬を撫でた。白い肌は頬の紅潮を全くもって誤魔化せないので、彼は紅花の褐色が羨ましくなるなどした。


 いやしかしこれでは男が廃る、と佐名彦は首を振り、生娘のような顔でぷるぷる震えたまま何とか口を開いた。


「ぼ、僕も、歩み寄ろうとしてくれる貴女のことをす、すきに、なるだろうから……貴女が心地好くこの屋敷で暮らせるよう、心から努めるつもりだ」


 よもや「好き」すら上手く発声できないとは思わず、もう生娘でいいです、と彼は誰にともなく胸中で白旗を振るなどしたが、紅花はその言葉を喜んでくれた。


「ありがとう、旦那様。君の気遣いを嬉しく思う」

「うん……こちらこそ。それと、佐名彦と呼んでくれると、嬉しい」


 そう頷いて、お互いにこにこしながら微笑み合ったところで、佐名彦はそう言えばここが初夜のとこであったことを思い出す。目の前でばいーんと構えている乳が再び彼を途方に暮れさせた。


 だがすぐに閃く。この「これからゆっくり歩み寄っていこう」という雰囲気からして今宵どうこう、ということはないのではないか、と。


 良かった、ひとまずはどうにかなる、と勝手に安堵した佐名彦の視界がぐるりと回った。


「へ??」

「怖がらずともいい。優しくする」

「へ??」


 何一つとして「ひとまずはどうにかなる」ではなかったのだった。




――――――




 夫となった人は、自分より頭一つ分は小さくて線も細い、全体的に華奢で繊細そうな印象を受ける人間の男だった。


 紅花からすると「こんなに細っこくて大丈夫なんだろうか」という感じだが、人間の中では大きい方らしい。


 人間って小さい、と紅花は素直に思った。


 佐名彦という都の人間らしい雅やかな印象の名の彼は、日の光を浴びたことがないのかと思うほど白い肌に艶やかな黒檀の髪をしており、褐色の肌に鮮やかな髪や瞳の色を持つ鬼族の目には新鮮な色彩だった。


 人間の多くは人外種を恐れる。身体能力も霊的能力も桁違いで、人間が敵う要素など数の多さだけだからだ。だからきっと夫となった人も自分を恐れるだろう、と紅花は思っていた。


 だが、彼は細い首を思い切り反らして、潤んだ黒曜石のような瞳で、紅花をじっと見上げるのである。

 それで彼女は、あぁ、この人はそういうひとなのだなと、婚儀の席で一人、胸を温かくしたのだった。




「紅花、不便はないかな。何か、困っていることがあれば言ってくれ」


 佐名彦はよく、紅花にそう問いかける。彼女が橘家の屋敷にやって来てから、ほぼ毎日のように彼は心配そうにそう訊ねるのだ。


 紅花からすればその気遣いは有り難いが鬼族の女を舐めてもらっては困る。居を移した程度でへばるような柔な生き物ではない。だから毎回「心配ない」「十分だ」と答えている。そうすると佐名彦は柳の眉をへにょ、とハの字にして「そうか」と苦笑するのだ。


 橘家は鬼族と長く婚姻による縁を結んでいるため、本家の屋敷は特別仕様であり、鬼族の者が苦労せず暮らせるよう天井が高く作られている。鴨居を角で破壊するような悲劇は今のところ起きていない。


 初夜の床でよくよく話し合った通り、二人はきちんと言葉を交わして分かり合う努力をしている。文化的な違いはお互いを時に驚かせるが、彼は決して鬼族の文化を野蛮と蔑んだりはしない。それだけで十分すぎるほどだ。


 それに、紅花の前ではよく生娘のように白い肌をぼわわと赤くしている佐名彦だが、国防を担う橘家の次期当主としてしっかりしていることは分かっていた。


 何せ、紅花に「汚らわしい人外種が」と吐きかけて着物を汚した女中が次の日には姿を消していたので、紅花が何か言わずとも屋敷のことに目を光らせているのは明白である。守られるのはしょうに合わないが、そういうところは好ましいと思うのだった。


「紅花」

「どうした、佐名彦殿」

「その、こういうものを作らせたのだが……貴女は好きだろうか……」

「む?」


 ある日、そんなことを言いながらもじもじと彼女の部屋へやって来た佐名彦が小箱をおずおずと差し出した。開けてみれば青玉の嵌まった金環が鎮座している。


「その、貴女は毎日角の飾りを替えているようだから、その一つに加えてもらえたら嬉しいなと、そんなことを考えて……」


 俯きがちにそう続けた佐名彦を、紅花は深青の目を丸くしてまじまじと見つめた。


 男と言うのはそういうものに疎いと聞いていたののだ。だが、まさか彼が日々のこんな小さな変化に気づいていたとは。そして、自惚れでなければ、この角環に嵌め込まれた青玉の色はは自分の瞳のそれに良く似ている。


 紅花は、佐名彦が数ある青玉の中からこの一粒を選ぶ様を想像した。


「…………っ、い」


 何だか色々込み上げて地鳴りのように低い声で呟いてしまった。


 佐名彦が「へ」と声を漏らし、目を丸くして顔を上げる。いかんいかん、と紅花は軽く首を振って笑顔を浮かべた。


「ありがとう、佐名彦殿。君の心遣いがとても嬉しい。早速着けてみてもいいか?」


 不安げだった黒曜石がほわわっと柔らかな喜色に染まる。本当に愛い生き物である、何だこれ、と紅花は噛み締めた。


 金環を手に取り右の角に通す。太さを測られた記憶はないが、程好い辺りまで通って丁度良く留まる。金と深い青が自分の紅髪に似合っているのではないだろうか、と後で鏡を覗くことに決めた。


「どうだ、佐名彦殿。似合うだろうか」


 ほわほわ微笑んで紅花を見上げている佐名彦に視線を戻しながら問うと、彼はきゅっと笑みを深めて何度か頷く。鬼族の目からすると最早「いとけない」と形容したいまである愛おしさである。


「とても、とても良く似合っているよ。ありがとう、着けてくれて嬉しい」


 この人は笑うといっとう幼く見えるのだ。愛らしい、好ましい、そんな柔らかな気持ちが湧いてくる。こうして一つずつ、お互いの好きなところを見つけていけたら良いと、紅花はそう思うのだった。

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