これって契約結婚ですよね!? -身代わり少女は鬼侯爵の秘かな愛に気付かない-

みんと🐾これって契約結婚〜!?連載中

第1章 身代わり少女の契約結婚

第1話 日常に差した影

 冷たい春雨が降り注ぐ。


「どういうことよ、お姉ちゃん。フォグネージュ侯爵にデパートの買収を申し込んだなんて……!」


 少女が家を、自分の居場所だと思わなくなったのはいつだろう。


 低い位置でまとめたミルクティーピンクの髪に、丸く分厚い地味な眼鏡。その奥にあるエメラルドの瞳はまっすぐに、ソファでほくそ笑む女を見つめている。

 薄雲に覆われた王都スティリアの小さな家で、少女は声を震わせた。


「ねぇ、答えてよ、お姉ちゃん。あのデパートはお父さんから受け継いだ大切なものなのよ? なのに、なんで……!」

「なんでも何もあたしの意思よ。あんなボロデパート、買い取ってくれるなら万々歳じゃない。それに、デパートを継いだのはあたしなんだから、自分の持ち物をどうしようと勝手でしょう?」

「でも……!」

「うるさいわね、ユフィリー」


 少女にしては地味なドレスを握りしめ、懸命に声を上げるユフィリーに、お姉ちゃんと呼ばれた女はにべもなく告げる。


 彼女は王都に店を構える老舗デパート「ラ・エティティア」のオーナーだ。

 だが女はそれを、とある御仁に売りつけたらしい。


 張り詰めた空気の中、秒針を刻むカチコチと言う音だけが、やけに大きく響いた。


「いーい? 父も母もいなくなった今、この家のすべてはあたしのものよ。あたしの命令は絶対。寝床を与えてやったあたしに感謝して、あんたは今まで通り対応なさい。買収締結の折には、って、条件も追加しておいたから」


 すると、なおも食い下がろうとするユフィリーに姉――フィールエッタは嫌味たらしくわらう。

 父が馬車の事故で逝去して三年。実際に店を回しているのは、フィールエッタではなく、その名前を名乗らせたユフィリーだ。


 すべては大嫌いな妹を使い、働かずして自らの評判を上げるため。フィールエッタにとって妹のユフィリーは、その程度の価値だった。


「ぐふふ、最高でしょう。侯爵様が何とかって施策のために買収希望店を探しているって聞いて、あたしピンと来たの。この話にあんたごと差し出せば、邪魔なものはぜーんぶ一掃できる」

「……っ」

「今まで身代わりをさせていたのは、あたしの評判を上げてイイ男を捕まえるための手段だし。それが見つかった以上、あんたもデパートもいらないの。まぁ、と言ってもフォグネージュ侯爵は、病気持ちの話なんだけれどねぇ~っ」


 口元に手を当て、フィールエッタはわざとらしく肩を震わせる。


 悪意ある話に対してもそうだが、相手がフォグネージュ侯爵と聞いて、ユフィリーの冷や汗は止まらない。

 侯爵の噂は、半年ほど前からユフィリーの耳にも届いていた。


 発端は、とある病にせ、しばらく国政を離れていた若き国王オルリアにある。

 薬師を得てようやくまつりごとに復帰した彼は、財務副大臣であったフォグネージュ侯爵に、低下してしまった経済を活性化させるための施策を命じたという。


 話を受けた侯爵は、助成金の話を王都に広めた。

 特定の期間に一定の成果をあげるための計画書を提出すれば、国からお金が出るというものだ。


 だが、内容の細かさに大抵の市民はついて来られず、困った侯爵は自ら店舗を買収し、経済復興のモデルとなる店舗を作り上げようとしていた――。


(でもそれも上手く行かなくて、半年もせずに六店舗が壊滅。「六殺ろくごろしの鬼」なんて呼ばれている侯爵に買収を持ちかけるなんて、最早狂気よ……!)


 心の中でひとりごち、お嫁の話など全く頭に入らない様子で、ユフィリーは嘆く。

 姉の身代わりとして経営しているデパートだが、共に働く仲間たちは皆、ユフィリーにとって大事な人たちだった。


 彼女の居場所は意地悪な姉の居る家ではなく、あのデパートなのに。

 そこを失くしてしまうかもしれない恐怖に、震えが止まらない。


 と、妹の表情に満足したフィールエッタは、ソファの隣に置いていた荷物を持ち上げると、時計を見ながら歩き出した。


「じゃあ、そう言うことだから。あたしは若くて有能なダーリンと国を出ることにしたの」

「えっ、ちょっ……」

「いつも通り出国にはあんたの名前を借りる。だからあんたは「フィールエッタ」として、ジジイ侯爵相手をなさい」





「お姉ちゃん……」


 止める間もなく、姉は春雨の中、迎えに来た男と出て行った。

 残されたユフィリーは暫し呆然とし、しかし立ち止まることに意味はないと動き出す。


 急いで部屋へ向かい、外行きの青いドレスに着替えた彼女は、眼鏡を外すと帽子と傘を手に中央通りから少し外れた場所にあるデパートへ。


 姉と話していたせいで開店まであと一時間ほどしかないが、皆に状況を知らせたい。

 そして可能な限りの対策を練るのだ。

 居場所を守るためにも、絶対にデパートを失うわけにはいかない。


 駆け足のまま、彼女はバックヤードに飛び込んだ。


「おはよう、みんな! 大変なの!」

「あっ、フィリー!」

「やっと来たか、フィリー。こっちも大変な事態だぞ!」


 しかし、デパートで働く職人や従業員の休憩所も兼ねたバックヤードで、既に事件は起きていた。


「……!」


 はぁはぁと肩で息をする彼女の前には、幼馴染みを始めとするいつもの面子が揃っているものの、その奥に、見知らぬ顔が二つある。


 ひとりは佇まいと服装を見るに、目の前の人物の従者だろう。

 スモーキーアッシュの髪に、つり上がったアクアブルーの瞳を持つ青年は、ユフィリーの姿を認めると、洗練された優雅な足取りで近付いて来る。


 仕立ての良いスーツにきりりとした眉、高い鼻梁を持つ彼は、美しくもどこか冷たい印象だ。

 誰とも知らない青年の雰囲気に、ユフィリーはごくりと唾を飲み込んだ。


「フィールエッタ・ナイアーウッド嬢だな」


 すると青年は、姉の名でユフィリーを呼んだ。

 表向きユフィリーは、フィールエッタとしてこの店を経営している。仲間たちは全員事情を知っているものの、外で「フィールエッタ」と呼ばれることには慣れている。


 静かに頷くと、青年は懐から白い封筒を取り出した。

 見覚えのある筆跡に、ユフィリーの表情が「まさか」と動く。


「手紙に頂いたデパート買収の件で参った。あなたからの要望はすべて呑むつもりだ。最終調整と書類へのサインを願いたい」

「えっ。あ、あの」


 氷のような表情で告げられた内容は、ユフィリーの予想通りだった。

 だが、予想に反する青年の登場に、彼女の動揺は収まらない。


 姉は、ユフィリーへの嫌がらせとして、御年六十の侯爵に嫁がせようとしていた。しかし、目の前にいる彼はどう見ても二十代だろう。

 訳が分からず混乱するユフィリーに、彼はさらりと名乗る。


「ああ、私はシュクヤ・フォグネージュ。あなたが望まれた侯爵家当主だ」

「……!」

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