追われた人狼がたどりついた穏やかな村の日常、の謎

ハナノネ

第1章その1 追われる人狼、聖女に出会う

第1章 人狼とイチゴの事件


その1 追われる人狼、聖女に出会う


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夜の森を一匹の獣が駆けていた。

 人狼――昼は人間、夜は狼男に変身する怪物だ。

 名をタチバナという。

 狼男と化したタチバナは、普段は二足歩行も可能だが、今は四つの手足を使い、ほとんど狼と同じように走っていた。

 月明かりに濡れた茶褐色の剛毛が全身を覆い、隆起した筋肉が躍動する。まとっているのは、擦り切れた革のジャーキンと、色褪せた麻のシャツだ。汗と泥、そして獣の脂の匂いが染み付いている。

 人間と獣の狭間で生きる、半端者。それが人狼だった。


 タチバナは荒い息を吐きながら、背後を振り返った。

 暗闇の向こうから、赤い炎が揺らめき迫ってくる。松脂の焦げる匂いと共に、殺気立った男たちの足音が地響きのように響いてきた。

 手には錆びついた斧や、樫の棍棒が握られている。

 視線を前に戻すと、そこにも松明を掲げた男が立ちふさがっていた。炎に照らされたその目は憎しみに歪み、険しい光を宿している。

 タチバナは立ち止まる。

「囲まれたか……」

 低く唸ると、がっしりした体格の中年男が叫んだ。

「もう逃げられんぞ、タチバナ」

 横から現れた別の若い男が、悔しげに吐き捨てる。

「やはり人狼を村に置くのは間違いだった。こんな裏切りを……」

「待ってくれ! 俺は無実だ!」

 タチバナは手を広げ、武装していないことを示した。その掌は人間の形だが、深い毛におおわれた指の先に、隠しきれない鋭い爪のきらめきがあった。

「黙れ、犯人はお前しかいない! 余所者のお前以外、あんな酷いことをするやつがいるか!」

「飢えた人狼め……!」

 若い男が激情に任せて棍棒を振り回し、周囲の若木をなぎ倒した。バキリ、という生木の折れる鈍い音が響く。男の顔は血走り、もはや獣のようだった。

 その迫力に、タチバナは思わずたじろいだ。

「嘘だろ!? ……たかが、イチゴ畑のイチゴが食い荒らされたぐらいで、そこまで怒るか?」

 その言葉が、男たちの逆鱗に触れた。若い男が棍棒の先を突きつけ、唾を飛ばして絶叫する。

「『たかが』じゃない! 春の収穫祭のイチゴパイをみんな楽しみにしとったんだぞ!」

 周囲の男たちが揃って深く頷く。食い物の恨みは恐ろしい。

「その言い草、やっぱりお前が犯人なんだな!」

 長身の男が古びた斧を振り上げ、切りかかってくる。タチバナは身を翻し、紙一重でそれを避けた。斧が空を切り、風圧が毛を撫でる。

「だめだ……スイーツが食えなくなった男どもは見境がねえ……怒りと憎しみと腹ペコの匂いでむせそうだ!」

 タチバナはそのまま男の肩を踏み台にして宙へ躍り上がると、松の木の幹を蹴り、太い枝の上に着地した。

 おお、と男たちがざわめいた。

「待て、イチゴパイの恨み晴らさでおくべきか! 棒っこでタコ殴りにしてやる!」

 騒ぐ男たちを見下ろし、タチバナは呆れたように叫んだ。

「タコ殴りって、俺は人狼だっつの! 俺はイチゴ泥棒なんかやってねえが……信じねえならしょうがねえな、あんたらとはおさらばだ!」

 タチバナは枝を強く蹴り、包囲網の背後へと大きく跳躍した。

 湿った土の上に着地すると同時に、四足歩行の姿勢をとる。野生の本能が、今は逃げるが勝ちだと告げていた。

「待てええい!」

 男たちの怒号が遠ざかっていく。

 瞬間、風を切る音と共に一本の矢が飛来し、タチバナの脇腹を服ごと浅く切り裂いた。

 焼けるような痛みが走り、タチバナは顔を歪めた。

「いで! いや死ぬって! 殺す気か! いや、まじでそうなのか……ほんっとに、人間なんて信用ならねえ」

 タチバナは血のにじむ傷口を押さえることもせず、木の合間を縫うように森を駆け抜けた。枝葉が顔を打ち、茨が革のズボンを引っ掻く。

 視界が開け、彼は勢いのまま飛び出した。

 そこには、地面がなかった。

「あ?」

 切り立った崖。

 タチバナの体は重力に引かれ、暗い谷底へと落下していった。

「ああああぁぁぁぁ…………」

 絶叫が闇に吸い込まれ、やがて小さくなっていった。

          


 夜が明け、世界は柔らかな朝の光に包まれていた。

 遠く高くそびえる山々を背景に、なだらかな緑の傾斜地が広がっている。朝露を含んだ短い草は宝石のように輝き、その中腹に、数十軒の小さな家々がぽつぽつと建っていた。

 三角屋根の木造家屋は、まるで絵本の世界から抜け出してきたかのように色彩豊かに壁や屋根が塗られ、煙突からは朝食の支度をする白い煙がたなびいている。

 山の上から降りてくる乳白色の霧が村を優しく包んでいた。

 その隅に、朝日を受けて尖塔を輝かせる教会がある。

 もっとも、近くで見ればその屋根の漆喰は剥がれ落ち、壁の板は反り返り、塗装は風雨に晒されてボロボロだったが。


 その教会の一室で、タチバナは目を覚ました。

 清潔だが使い古された綿のシーツの感触。タチバナは上半身を起こし、自分の手を見た。毛のない、人間の手だった。

 昼の姿だ。茶髪の短髪をした、ただの冴えない36歳の男に戻っている。

 下着だけになった身体のあちこちに、真新しい白い包帯が巻かれていた。消毒用のアルコールらしきツンとした匂いが鼻をつく。

「ここはどこだ……? 誰か手当してくれたのか?」

 木枠の窓の外を見ると、のどかな村の風景が広がっていた。村人たちが起き出し、毛足の長い羊を檻から出したり、畑に水を撒いたりと、朝の営みを始めている。タチバナから見える村人は、一人残らず人間だった。

「ちっ、人間の村かよ……」

 タチバナがため息交じりに呟いたとき、背後から底抜けに明るい声が掛かった。小鳥がさえずるような澄んだ、それでいて甲高い声。

「フローラ村にようこそ~~~」

 タチバナが驚いて振り返ると、入口に一人の女が立っていた。

 黒いウールの修道服は、彼女の華奢な体を包み込んでいる。頭を覆う白いウィンプルからは、朝日に透けるような金髪がこぼれている。

 はちきれんばかりに開かれた大きな青い瞳。薄く上品な唇と対照的に、パカッと開かれた大口に、大きく上がった口角。

 ただ、その満面の笑顔とは裏腹に、彼女の両手には痛々しいほどの厚い包帯が巻かれていた。

 パンとチーズの入ったバスケットを肘に抱えつつ、包帯の巻かれた両手を合わせる。

「目を覚まされたんですね~~~良かった~~~」

「あんたのその格好……シスターか?」

「はい。ローズと言います~~~ここは教会の、お客様用の部屋で~~~す」

 "~"が多いな……と一瞬タチバナは思ったが、口には出さなかった。

 それよりも先ほどの発言が聞かれていやしないかと心配になる。気まずそうな顔で、タチバナは視線を逸らした。

「……今の聞いて……いや、なんでもない」

 ローズはタチバナの渋面を真似て、わざとらしく顔をしかめた。

「『ちっ、人間の村かよ……』ってところですか? バッチリ! 聞いてました~~~」

 そしてローズは満面の笑みに戻る。心なしか愉悦の成分を感じる。

「モノマネは要らねえ! くそっ、聞かれてたかよ……」

 タチバナは頭を抱えた。

(このローズって女、シスターのくせに……なんかこう、軽い……?)

 ローズはベッドの脇机にバスケットを置いた。竹で編まれたカゴの網目には、使い込まれたささくれがあった。

「朝ごはんです~~~お口に合うといいのですが~~~」

「聞いてたなら気にならねえのかよ」

「ああ!」

 ローズが思い出したように、笑顔のままポンと手を叩いた。

「あなた、人狼ですよね~~~!」

 タチバナの顔が引きつる。

「崖の下に狼男さんが倒れているので運んできて手当したのですが、朝食を持って来てみたら人の姿になっていたので驚きました~~~」

「驚いたって風に見えなかったが」

「ええ!? そうですか~~~? さっき部屋に入ってきたときは心臓が飛び出るかと~~~」

「どこがだ!? 第一村人みたいな挨拶してたろうが!」

「第一村人ですし~~~やってみたくて~~~」

 タチバナはこめかみを押さえた。

(なんだこのシスターは……本当にシスターなのか? ただのお調子者じゃないのか?)

「その"~~~"なんとかなんねえか? 調子が狂うんだが」

「すみません、癖でして~~~あの、朝ごはん~~~~~~食べません~~~~~~か~~~~~~?」

「~~~を増やすな!」

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