第一章 セイレン

“一番槍”(1)



 都市のネオンの輝きは夜の闇を遠ざけるが、隅々まで光を照らせるわけではない。それと同じように、システム化された正義と秩序もまた、都市に潜む悪意のすべてを暴くことはかなわないのだ。


 それゆえにセイレンは、自分たち──騎士の存在意義をよく理解していた。


 白銀の甲冑に身を包み、群青色のマントを翻す、ブロンド髪の青年の姿は、おとぎ話に登場する王子のような高潔さを放つ。マントと同じ色をした澄んだ瞳に、鼻筋の通ったシャープな顔立ちは、見る者の目を奪う端麗さだった。

 

 生真面目で礼節を重んじ、誠実さを誇りとするセイレンの頭上には、煌々ときらめく光輪が浮かんでいた。


 S・F──スターリング・フォートの住人の頭上には光輪があらわれる。それは人間を二種類に区分けし、周囲に自身の存在を示すためのものだ。

 規律を遵守し、社会の模範となる行動をしてきた誠実な人々の光輪は、明るい輝きを保つ。都市の大多数を占める善良な存在──それを“天使”と呼んだ。

 一方で、私利私欲にまみれ、他者から奪い、貶めることを何とも思わない悪人たちの光輪は、黒く淀んで輝きを失う──そういった堕落した存在は“堕天使”と呼ばれた。


 そして何より、一度輝きを失った光輪は、二度と元に戻ることはない。


 騎士はSスターリング・フォートの治安維持を目的に組織された国家機関である。都市の秩序を乱す堕天使を狩ることは、セイレンたちの仕事だった。


 またセイレンは堕天使を憎んでいた。奴らは卑怯で、救いようのないクズである。少しでも隙を見せたり、情けをかければ、身近な人に害が及ぶことをかつて身をもって知った。


 だからこそセイレンは、堕天使に対して情け容赦をしない。奴らは、虫けらや畜生にも劣るごみクズなのだから当然だ。


 降りしきる雨が、顔に飛び散った返り血を洗い流す。

 堕天使の胸を足で押さえつけ、刺し貫いた矛を引き抜くと、その亡骸は、周囲に転がる無数の亡骸のうちの一つに加わった。

 セイレンは正義を執行しただけに過ぎない。だが、最後の生き残りの堕天使が叫ぶ。


「この人殺し!」


「人殺し? これは正当防衛だ。おれは投降を呼びかけた。だが貴様らは愚かにも抵抗した。だから殺した」


「どうしてだよ!? どうして光輪が黒く濁らない? なぜ“堕落”しない!? 人を殺ったら一発で堕天使になっちまうはずだ! それがなんだ!? 大勢殺しておいて堕天使にならないのはおかしいだろうが!」


「おれはアガメルの民に選ばれた聖騎士。天界の民に代わり、正義を執行しているに過ぎない。アガメルの民は、貴様の死を望んでいる」


 次は貴様の番だ、とでも言いたげに、セイレンは矛の穂先を批難を浴びせてきた堕天使に向けた。


「そもそも、貴様らは人の皮をかぶった薄汚い外道どもだ。ごみ掃除に心を痛める理由がどこにある?」


 堕天使はひるんで後ずさった。だが彼に逃げ道はない。向かいのビルの屋上からはクロスボウを構える射手と魔術師たちが狙いを定め、上空を旋回する人員輸送用の飛空艇が、閉鎖された工場の敷地内をスポットライトで照らしていた。


「わかった、降参だ!」


 堕天使が潔く宣言した。


「ゆっくりと手を上げろ! 両手を見せるんだ。早くしろ!」


 セイレンは堕天使を拘束するべく近づいていった。すると、堕天使は隠し持っていた装置を操作し、魔術を放ってきた。


「こんなところで死んでたまるかよ!」


 だが無駄な抵抗だ。下等な連中がしそうなことくらい、セイレンには読めていたからだ。


「避けるまでもない」


 矛を薙ぎ、飛来する火球をセイレンは一刀両断した。不意打ちの成功を確信していたはずの堕天使の顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「おい、うそだろ……。こ、これが……“一番槍”の実力…………ま、待ってくれ、悪かった! おれが悪かった! だから、殺さないで──がはっ……!」


 命乞いなど聞く耳を持たない。セイレンは、装備した甲冑の筋力増強機能に物を言わせて堕天使を高く放り投げるや、掲げた矛で串刺しにしてやった。


 これで建物の外にいた堕天使はすべて無力化したはずだ。


「お見事でした、セイレン様」


 抑揚のない声がした。振り返ると、魔術を操る杖を携えた少女が立っていた。


「ラナ、きみは? 怪我はないか?」


 堕天使を相手にしていたときと打って変わって、セイレンは穏やかに声をかける。

 ラナは転がった死体を侮蔑ぶべつした目で見下ろし、そして吐き捨てた。


「このようなチンピラ相手に後れを取るようでは、セイレン様の補佐は務まりません」


 ラナは優秀な魔術師だ。高飛車な発言も、魔術師士官学校を首席で卒業したプライドと、実力に裏打ちされたものである。


「奴らはここで何をしていた?」


「愚問ですね。堕天使が集まって世のためになるようなことを計画するとお思いですか?

 それに、私たち騎士の仕事は、堕天使のことではありません。奴らのことです」


「騎士として模範的な回答だな。きみの言う通りだ。おれたちに個人の思想はいらない。果たすべき正義は、アガメルの民が決めるのだから。おれたちは、ただ命令に従えばいい」


「あぁ、クソ! 反吐が出るぜ。どこもかしこも死体だらけだ」


 重装甲の鎧に身を包む、大盾を装備した中年のくたびれた天使が近づいてくる。


「盛り上がってるとこ悪いんだがな、見せたいもんがあるんだ」


 その天使──ハリソンは、あごで背後の建物を示した。

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