第17話 自由都市と、影の足音
聖騎士セドリックとの死闘から、さらに4日が経過した。
灰色の荒野を抜け、吾輩たちが辿り着いたのは、大陸北部に位置する非公式居住区――通称、第3自由都市『バビロン』だ。
巨大な渓谷の裂け目にへばりつくように建設されたこの街は、転生者評議会の法が届かない無法地帯だ。
頭上を覆うのは、無数のパイプと違法増築された居住区画が織りなす鉄の空。
絶え間なく噴き出す蒸気と、けばけばしいネオンサインが、昼夜の概念を曖昧に塗り潰している。
(周辺環境スキャン:人口密度・極大。治安レベル・最低)
(大気成分:魔導燃料の排ガス、安酒のアルコール、血の匂いが混在)
『騒々しい場所だ。秩序というものが欠片も存在しない』
吾輩は鞘の中から街を観察し、呆れ交じりに思考通信を送る。
だが、イニトの反応は悪くない。彼はボロボロのフードを目深に被り、雑踏に紛れながら、どこか安堵した様子で周囲を見回していた。
「……秩序がない分、息がしやすいよ。ここなら、誰も僕の『ステータス』なんて見てこない」
ここでは、「転生者」も「現地人」も関係ない、あるのは、金と暴力、そしてどれだけ有用なスキルを持っているかという実利だけだ。
隣を歩くルーナは、上機嫌だった。
彼女の背負い袋には、アイザックの金庫から奪った希少金属と、セドリックの鎧の破片が詰め込まれている。
「まずは換金だ。それから、お前のその腕をメンテナンスする場所を探そう。……今のままじゃ、いつ爆発するか分かったもんじゃないからね」
路地裏にある、薄暗い酒場兼・情報屋。
ルーナがカウンターの奥へ消えている間、イニトは壁に張り出された電子掲示板を見上げていた。
そこには、大陸中で指名手配されている犯罪者たちのリストが並んでいる。
(画像照合:ターゲット確認)
リストの最新項目に、見覚えのある顔があった。
不鮮明な隠し撮り写真だが、それは間違いなくイニトだ。
【指名手配】
氏名: イニト(姓なし)
罪状: 第1級聖遺物窃盗、都市アイゼンの破壊、聖騎士殺害(未確定)
危険度指定: ランクA(即時殺害推奨)
懸賞金: 50,000,000 G
「……5000万、か」
イニトが小さく呟く。
学園を追放された時の彼は、ゴミのような無価値な存在だった。それが今や、小国の国家予算に匹敵する首代がついている。
『出世したな、小粒。アイザックとセドリック、二人の転生者を葬った代償だ。これでも安いほうだろう』
「……別に、嬉しくはないさ。ただ、これで引き返せなくなっただけだ」
その時、酒場の扉が乱暴に開かれた。
入ってきたのは、全身をサイボーグ化した傭兵たちの集団だ。彼らは掲示板を睨みつけ、下卑た笑い声を上げた。
「おい見ろよ。こいつが新入りの『聖騎士殺し』か? どんな化け物かと思えば、ヒョロガキじゃねえか」
「5000万は俺たちがいただくぜ。ここら辺に潜伏してるって噂だ」
イニトは息を潜め、フードを更に深く被った。
右腕のナノマシンが、敵意に反応して微かに明滅する。
(戦闘予測:対象4名。武装レベル・低。制圧所要時間、0.8秒)
『……やるか?』
「いや、目立つのは避けたい。行こう」
イニトは彼らの横をすり抜け、静かに店を出ようとした。
だが、すれ違いざま。
傭兵の一人が、イニトの背負っている「布に包まれた吾輩」に目をつけた。
「おい待てよ兄ちゃん。その背中のデカブツ、いい鉄の匂いがするな。……見せてみろよ」
太い腕が伸びてくる。
イニトの足が止まった。
「……触るな」
「あぁ? ここは自由都市だぜ。力の強い奴がルールなんだよ!」
傭兵が無理やり布を掴む。
その瞬間。
ゴシャッ!!
鈍い音が響き、傭兵の巨体が店の壁まで吹き飛んだ。
イニトが拳を振るったわけではない。
ただ、肩を少し動かし、吾輩の質量を瞬間的に300キログラムへ増加させて体当たりしただけだ。
「が、は……ッ!?」
吹き飛ばされた傭兵は、肋骨が砕け、泡を吹いて気絶している。
残りの仲間たちが呆然として武器を構えるより早く、イニトは冷たい視線を一瞥だけ残し、路地へと姿を消した。
街の最下層、廃工場を改造した隠れ家。
ルーナが確保したこの場所で、イニトは吾輩を整備台の上に置いていた。
傍らには、セドリックが持っていた聖剣エクスカリバー・レプリカの破片が転がっている。吾輩が100トンの質量で圧殺した際、主と共に砕け散った残骸だ。
「……イグノール。本当にこれを?」
『ああ。喰わせろ。聖騎士の武器に使われているオリハルコン合金は、魔法抵抗率が極めて高い。これを吾輩の素材として取り込めば、あの理不尽な魔法障壁を中和する機能が得られるはずだ』
イニトが頷き、聖剣の破片を吾輩の刀身に押し当てた。
(捕食プロトコル:起動)
(対象:高純度オリハルコン、および聖属性マナ残滓)
吾輩のナノマシンが黒い触手となって伸び、輝く金属片を貪欲に包み込む。
バキバキと音を立てて分解される聖剣。かつて「選ばれた者」の象徴だった輝きが、錆びついた鉄塊の養分となって消えていく。
(解析完了:聖属性・物理干渉拒絶回路を抽出)
(新機能実装:『断法』。刀身に触れた魔法術式を、物理的接触によって強制解体する)
吾輩の刀身に、新たな模様が刻まれた。
黒錆の中に、血管のような金のラインが微かに走る。
『……いい味だ。これで次は、相手の障壁ごと叩き斬れるぞ』
イニトは自身の右腕を見つめ、軽く握りしめた。
冷却を終えた腕は、以前よりもスムーズに動く。吾輩の強化に合わせて、彼の中のナノマシンも最適化されたようだ。
夜。
イニトとルーナが眠りについた後も、吾輩のセンサーは警戒モードを維持していた。
バビロンの喧騒は止まない。
だが、そのノイズの海の中に、異質な「静寂」が混じっているのを吾輩は感知した。
(警告:半径50メートル以内に、生体反応なし)
(異常検知:エリア内の小型生物反応、完全消失
何かがいる。
音もなく、殺気もなく、ただ「死」そのもののように近づいてくる何かが。
『……小粒、起きろ。客だ』
吾輩の通信より早く、イニトが弾かれたように目を覚ました。
彼は無言で吾輩を掴み、ルーナを蹴り起こす。
「……囲まれてる」
イニトが低い声で告げた瞬間。
廃工場の天井ガラスが音もなく融解し、黒い液体のようなものが滴り落ちてきた。
それは床に落ちると、人の形を成してゆらりと立ち上がる。
一つ、二つ、三つ……。
黒い影たちは、顔を持たない。ただ、その手には不気味に歪曲した短剣が握られていた。
(データベース照合:該当なし)
(推測:転生者評議会・暗部直轄『影縫い』。公式記録に残らない、汚れ仕事専門の処刑部隊)
「……5000万の賞金首ともなると、寝る暇もくれないらしいな」
イニトが吾輩を抜き放つ。
新たな力『断法』と、質量兵器の重量感。
『数は6。……派手にやるぞ、小粒。この街なら、いくら壊しても文句は言われん』
影たちが一斉に跳躍した。
自由都市の夜に、新たな戦いの火蓋が切って落とされる。
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