第11話 歯車の支配者と、錆びた鍵
アイゼンの街は、二十四時間休むことなく鋼鉄の摩擦音を奏で続けている。
吾輩の集音センサーが捉えるのは、高圧蒸気が弁を叩く断続的な破裂音と、数万の歯車が噛み合う規則的な振動だ。
大気の成分を分析すれば、高濃度の重金属粒子と、不完全燃焼を起こした魔導燃料の煤煙が混じり合っているのがわかる。視覚センサーをサーモグラフィに切り替えれば、街全体が魔導エネルギーの奔流による不自然な熱源の塊として網膜に焼き付いた。
ルーナという女に連れられて辿り着いたのは、工業区の地下深く、かつて地下鉄と呼ばれていた交通網の遺構であった。
「ここが私の拠点だ。評議会の連中は、ここを単なる汚染区域だと思って見向きもしない」
ルーナが壁のスイッチを叩くと、老朽化した電球が不規則に明滅し、埃っぽい空間を照らし出した。
吾輩は即座に空間スキャンを開始する。空間容量は約四百立方メートル。コンクリートと鉄筋で構成された堅牢な造りだが、劣化進行度は三十パーセントに達している。
室内には解体された魔導機械の残骸や、劣化した潤滑油のボトル、そして彼女が自作したと思われる仕掛け武器の予備が散乱していた。
『ふん。整理はされているようだが、ネズミの巣と大差ないな。生存環境としては最低ランクだ』
吾輩は思考通信を飛ばしたが、イニトからの返信はない。彼は壁に背を預け、泥だらけの床に腰を下ろしていた。
吾輩のスキャナーが計測する彼のバイタルは、心拍数が依然として高く、前腕の筋肉には過度な乳酸の蓄積が確認された。シオンとの戦いで負った負傷に加え、アイゼンへの強行軍。彼の肉体は、設計限界に近い負荷を抱えている。
イニトが重い瞼を上げ、室内のガラクタに視線を走らせた。
その際、吾輩のパッシブセンサーがある一点で特異な反応を示した。棚の最奥、錆びたボルトや歯車の山に埋もれるようにして、煤けた黒い円筒形の物体が転がっている。
吾輩のデータベースが即座に照合を開始した。識別コード、STB-09。ジャイロスタビライザー・ユニット。それは魔法などという不確かなエネルギーで動く代物ではない。
かつて吾輩が搭載されていた巡航艦の姿勢制御、および質量慣性制御に用いられていた、紛れもない同系統の技術体系に属するパーツだ。
「……ルーナ。これ、何だ?」
イニトがその物体を指差した。
「さあね。昔、遺跡のガラクタ山から拾ってきたゴミだよ。魔力も通らないし、ただ重いだけだ」
ルーナが興味なさげに断じる。ゴミではない。
『小粒、ルーナの隙を見てそのユニットに吾輩を接触させろ。内部に残留しているナノマシン群を回収すれば、吾輩の休眠セクターを一部再起動できる』
イニトは無言で立ち上がり、何気ない動作を装って棚に手を伸ばした。ユニットの表面に吾輩の刀身が触れた瞬間、微弱な高周波振動が発生する。
吾輩のナノマシン触手が目に見えぬ速さでユニット内部へ侵入し、数千年分の塵を掻き分けてエネルギーと構造情報を貪り始めた。
外部拡張ユニットを検知。ナノマシン・シンクロ率は九十八パーセントを記録。内部電力が三パーセントから五パーセントへと上昇し、長らく沈黙していた物理演算プロトコルが息を吹き返した。吾輩の内部で、質量制御回路が微かな熱を持ち始める。
『内部診断完了。質量操作プロトコルの使用を承認する。……小粒、貴様にこの機能が扱えるか試してやろう』
「……また新しい機能か?」
『物理定数の改竄だ。まずは質量軽減。吾輩の自重を、貴様の筋力に合わせて限りなくゼロに近づける。今すぐ抜いてみろ』
イニトが吾輩の柄を握り、力を込めた。次の瞬間、彼の表情に困惑が走る。吾輩の質量は、演算によって一時的に三キログラム以下まで低減されていた。
「軽い……。まるでおもちゃだ」
イニトが吾輩を抜き放つ。これまでは三十キログラムという質量を御すために全身のバネを使わなければならなかったが、今は手首の返しだけで吾輩が空を舞う。抜刀速度は時速百八十キロメートルを計測。空気抵抗のみを感じさせる神速の軌道が、地下室の埃を切り裂いた。
「これなら、どんな体勢からでも反撃できる」
『調子に乗るな。本番はもう一つだ。質量増加。インパクトの瞬間にのみ、吾輩の密度を強制的に跳ね上げる。出力を最小に抑えてやる。そこの屑鉄を叩いてみろ』
吾輩が指示したのは、床に転がっていた重厚な魔導エンジンのブロックだ。イニトは頷き、吾輩を振りかぶる。振り下ろす動作は質量軽減により、回避不可能な速度へと加速される。そして、刃がエンジンの金属外殻に接触する直前、吾輩は質量制御回路を最大励起させた。
ドォォォォン……!
腹に響くような、重苦しい衝撃音が地下駅を揺らした。斬撃による切断面はない。しかし、叩かれたエンジンブロックは、巨大なプレス機に押し潰されたかのように無残にひしゃげ、周囲の床ごと十センチ以上もめり込んでいた。
「……っ、うあぁ!」
イニトが吾輩を放り出すようにして、右腕を抑えて後退した。吾輩のセンサーは、彼の前腕の筋肉に生じた過度な衝撃と、手首の腱に走った微細な損傷を検知した。
「今の……一瞬、この剣が何十倍にも重くなったみたいだ。腕が千切れるかと思ったぞ」
『当然だ。物理的な衝撃はそのまま貴様の肉体に跳ね返る。低出力でこれだ。最大負荷をかければ、敵を砕く前に貴様の骨が粉砕されるだろう。この機能は、貴様の肉体を薪にする禁じ手だ。一撃、せいぜい三撃が限界だと思え』
イニトは脂汗を拭い、痺れる右手を握りしめながら吾輩のグリップの感触を確かめていた。彼は恐怖しているのではない。この自壊のリスクをどう管理し、どう転生者の喉元へ叩き込むかを、冷静に演算しているようだった。
その時、壁の通信機が耳障りなノイズを吐き出した。ルーナが受話器を取り、短く言葉を交わす。彼女の表情が、冷徹な仮面を剥がすように険しくなった。
「……鉄の魔王が動いた」
その言葉に、室内の温度が一段階下がったかのような錯覚を覚えた。
「明日の朝、強制収容区の職人たちを全員、北の鉱山へ移送するつもりだ。あそこは生きて帰れる場所じゃない。使い捨ての消耗品にする気だ」
「鉄の魔王。そいつが、この街を支配している転生者か」
「ああ。奴の本名はアイザック。鋼鉄を自在に操る魔法を使い、この街を鉄の檻に変えた男さ。奴は、自分以外の人間が何かを造ることを許さない。……だが、奴の金庫には、旧文明の動力源である魔導コアが眠っている」
ルーナがイニトを真っ直ぐに見据えた。
「それを奪えば、お前の剣も少しはマシになるし、私もこの街とおさらばできるだけの資金が手に入る。……乗るか? 死ぬ確率の方が高い仕事だが」
イニトは痺れの残る右腕で、吾輩を背負い直した。ベルトが軋む音は、もはや迷いのない一歩を踏み出すための合図のように聞こえた。
「ああ。奴の鉄のルールが、どこまで僕の『壊れる拳』に耐えられるか、試してやるよ」
イニトの心拍数は一定のテンポを刻み、完全な闘争モードへと移行した。
エネルギー残量は五パーセント。
残る課題は、この小粒の肉体が、吾輩が叩き出す超質量に何発耐えきれるか、それだけだ。
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