第3話 「もやもやの正体――甘えん坊は、席を譲れない」
最近、恵風の“距離”がおかしい。
――いや、正確に言うなら、元に戻っただけのはずなのに。
なのに、胸がざわつく。
「遥斗……」
朝のホームルーム前。
恵風は俺の席の横に立ち、控えめに俺の袖をつまんだ。
「なに?」
「……こっち、来て」
小さな声。
拒否の余地がない。
俺が立ち上がると、恵風はほっとしたように息をついて、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
――絡めて……きた。
「恵風?」
「……昨日、あんまり話せなかったから」
それだけ言って、ぎゅ、と力を込める。
密着。
二の腕に、柔らかい感触がはっきり伝わる。
……近い。
いつもより、確実に。
その瞬間。
「おっはよ~、二人とも」
明るい声とともに、如月が現れた。
「あ」
恵風の肩が、ぴくっと跳ねる。
でも、腕は離れない。
「……おはよう、お姉ちゃん」
声はいつも通り。
でも、俺の腕を掴む指先が、さっきより強い。
如月は一瞬だけその様子を見てから、にっこり笑った。
「ふ~ん。朝から仲良しだね~」
「……いつも通り、だよ」
「そっか。じゃあ、私も“いつも通り”しよっかな」
そう言って、如月は反対側から、俺の腕に触れた。
軽く。指先だけ。
――両側から、挟まれる形になる。
「っ、如月!?」
「なに? 恋人なら、これくらい普通でしょ?」
わざとらしく、でも自然に。
周囲から見れば、完全に“そういう関係”だ。
恵風の動きが、止まった。
「……恋人」
ぽつりと呟く。
その言葉を、口の中で転がすみたいに。
「恵風?」
「……なんでもない」
そう言って、恵風は俺の腕から、ゆっくり離れた。
離れる前、ほんの一瞬だけ――
名残惜しそうに、指先が擦れた。
胸が、きゅっと締め付けられる。
◇
昼休み。
俺が弁当を開くと、恵風が隣に座った。
これは、いつもの光景。
なのに、今日は違う。
「……遥斗」
「ん?」
「これ、あげる」
恵風が差し出してきたのは、ミニトマト。
しかも、フォークに刺して。
「あー……」
無言の圧。
俺が口を開けると、恵風は少しだけ安心した顔で、そっと運んでくる。
唇に触れないギリギリの距離。
でも、吐息がかかるほど近い。
「……美味しい?」
「……うん」
そのやりとりを、斜め前から如月が見ていた。
「へえ。恵風、そんなことするようになったんだ」
「……だめ、なの?」
「ううん? 可愛いなって思って」
如月はそう言いながら、俺の方に身を乗り出した。
「じゃあ私も。遥斗、はい」
今度は、如月が自分の箸で卵焼きを差し出す。
距離は、恵風よりさらに近い。
俺が固まっていると、如月は耳元で囁いた。
「……ほら。揺れてる」
その声は、俺にだけ聞こえる。
策士の声だ。
視線を戻すと、恵風がじっとこちらを見ていた。
フォークを持つ手が、止まっている。
「……遥斗」
「なに?」
「……それ、いや」
小さい。
でも、はっきり。
如月が、ふっと笑った。
「あ、やっぱり?」
「……」
恵風は答えない。
でも、その目は、俺から離れない。
◇
放課後。
如月が用事で先に帰ったあと、俺と恵風は並んで歩いていた。
沈黙が長い。
「……遥斗」
「ん?」
「最近……お姉ちゃんと、仲いいね」
昨日と同じ言葉。
でも、今日は少し違う。
「……私といるの、楽しくない?」
胸が、強く跳ねた。
「そんなことない」
「じゃあ……」
恵風は立ち止まり、俺の袖を掴む。
「じゃあ、いっちゃやだ……」
視線は伏せたまま。
でも、声は震えていた。
「遥斗は……私の……だから」
その一言で、頭が真っ白になる。
――恋じゃない?
本当に?
少なくとも、“当たり前”の感情じゃない。
「恵風……」
「……分かんない。でも……」
恵風は一歩近づき、額が触れそうな距離で囁いた。
「遥斗が、誰かのになるの、やだ」
それは、紛れもなく――独占欲。
如月の言葉が、頭をよぎる。
《遥斗は……耐えられないよ》
その通りだった。
俺は、恵風の頭に、そっと手を置いた。
撫でるほどじゃない。触れるだけ。
「……今日は、俺と帰ろう」
「……うん」
恵風は、小さく笑った。
安心したように、でも、どこか必死に。
まだ、恋とは言えない。
でも――
恵風はもう、自分の“席”を、譲る気がない。
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